相好崩し千回の刑
ナゲットのソースを完成させた奈月が、台所から戻ってきた。
「出来たよ、一つ食べてみて?」
嬉しそうにソースを付け、ナゲットをかじる直人。
「うん。……あっ、後から辛さが! うわあ、すごいなあ……美味しい美味しい」
直人は、ソースの完成度の高さに驚いた。
「このソースで良い?」
「俺が一番好きな感じのソースだよ。ケチャップっぽいの苦手でさ」
「分かる! ケチャップだとちょっと悲しいよね」
「そう。特にナゲットだとなんか、酸っぱくて悲しい。唐揚げのレモン感ある」
「唐揚げのレモンは合うでしょ」
「あれ?」
「唐揚げとエビフライはレモンも合うでしょ」
「俺、多分レモンかけたことがそもそもない。レモンがちょっとひっついてたやつ食べただけで酸っぱい」
と、直人は顔をしかめた。
「えー」
奈月は笑った。直人の苦々しい顔が、奈月にはかわいく見えたのだ。
「というか、多分レモンとか梅干しとか、食べたことないな」
「そんな人いる?」
「オレンジとか酸っぱいから苦手だよ」
「けどこの前、レモンティー飲んでなかった?」
「レモンティーはまあ」
「オレンジのグミも食べてなかった?」
「あれは甘いから」
「うーん、酸っぱいのが強いとダメなの?」
「酸っぱいのつらい。だからマヨネーズもつらい」
「辛いのは良いの?」
「辛いのと甘いのは大好き」
直人は、満面の笑みで答えた。
「ミルクティーは好きだよね。コーヒーとかは?」
「苦い。飲食店とかの、食後全員無料のコーヒー以外は飲んだことない」
「カフェラテは?」
「苦い」
「苦いのもダメなんだ」
「辛いのと甘いのが良い」
「そんなに極端だったっけ? ウナギの肝吸いの肝食べてくれたり、わりと色々食べてたイメージあるんだけど」
「いやいや、あれは奈月が困ってたから代わりに食べただけで。それまでは肝は食べてなかったんだよ。
俺ガリガリだったじゃん」
「あーそうそう! 昔は私の半分しか食べないで、私より十キロも軽かったんだよね。だから、クリスマスに直くんがピザたくさん食べてくれたの、嬉しかった」
「あのピザ、美味しかったもん。まあ、たしかに食べる量増えた感じはするけど」
「直くんのデータ集め直さないと。ピザ以外で好きな食べ物って何?」
「なんだろう。色々あるけど、ホットケーキとかアイスクリームとかたこ焼きとか?」
「あのねあのね」
と言いながら、奈月が距離を詰めた。
「ん?」
「私、それ全部得意」
奈月は自慢げに言う。
「ウソでしょ? ナゲットより得意なの?」
「たこ焼き大得意。友達が来たときめちゃくちゃ盛り上がる」
「友達って、男?」
「ううん。中学頃から、男子と遊んだりしたことないよ多分」
「モテそうなのに?」
「誘われても行かないもん。ちゃんと男子は警戒してますから」
「そうだと思って、俺は膀胱炎って聞いた時に、わざと奈月を激怒させて部屋に誘い込んだんだよね。普通にしたら部屋に来てくれないから」
「バカ」
奈月は笑いながら、直人の肩をペチペチ叩いた。
直人が冗談を言ったりするのは、ある程度リラックスしているときだと奈月は知っている。奈月は、直人の軽口が嫌いじゃなかった。直人とくだらないことを言い合えるということは、それだけ仲が良い証拠で、奈月にとっては嬉しいことなのである。
「また適当言ってる。
それに、小さい頃に部屋に入ったことあるじゃん。ジグソーパズルとかしたでしょ」
「でも、大きくなったら来てくれなくなったし」
そう言い、直人は奈月を抱き寄せた。
「来てほしかったな」
「だって、直くん暑中見舞いを返してくれないんだもん」
「何それ?」
「私、手紙書いたじゃん。おばあちゃん家から帰ったら遊ぼうって」
「あー、手紙ね。あれ暑中見舞いだったんだ? ちょうど昨日読んだよ」
「まだ持ってるの!?」
「あれって返さないといけない感じのやつだったのかあ」
「今からでも返してよ」
「今からはおかしいだろ」
「遊ぼうねって返せば良いじゃん」
「なんかあれ『直くんも奈月のこと好き?』とか書いてあるんだよな」
「うそ!?」
「本当だよ」
「絶対そんなこと書いてない」
「じゃあ賭ける? 負けた方は一週間言いなり」
「ううっ、賭けないっ!」
「『絶対そんなこと書いてない』って言っておいて、賭けないのかよ!」
「だって、直くんがそんな変なうそを言うとは思わないし」
「書いたこと、全然覚えてないの?」
「覚えてないよ。返事くれなかったってことだけ覚えてる。ショックだったもん」
「じゃあ、一番古い記憶って何? 俺は、お泊り会で奈月と二人でお風呂に入ったのが一番古い記憶」
そう言いながら直人は、幼い頃の奈月を思い出した。直人の思い出の中の小さな奈月が、水鉄砲で直人を攻撃しながら笑った。
「それは覚えてる。砂場やブロックを崩してたのも知ってる」
「ブロックって何?」
「直くん、ブロックとか高くするのがすごく好きだったでしょ?」
「知らないけど」
「直くんは並べたりするの好きだったの!
それで、積み上がったら絶対に私が崩しにいくんだけど、そうすると直くんが必ずビエーって泣くの。それが私の一番古い思い出。
私自身はあんまり覚えてないんだけど、お母さんに何百回もからかわれてるから忘れられないし、勝手に色々イメージしてるの。
とにかく、二人きりになったらすぐ意地悪してたって」
「なんで意地悪するんだよ。奈月ひどいなあ」
そう言い、直人は笑った。
「ごめんなさい! でも、直くんが遊んでくれないんだもん」
「どういうこと?」
「公園だと一人で砂場に行くし、家だとブロックとか積んでるだけで、絶対に最初はいっしょに遊んでくれなかったんだよ、直くん。ひどいよ」
「いや、そんなこと言われてもさ。きっと一人が好きだったんだよ俺は」
「多分そうなんだけど、それが私は嫌で。いっしょに遊びたくて砂の山を蹴っ飛ばしちゃうわけ」
と、奈月が恥ずかしそうに言った。
「そこが意味不明なんだよなあ。当時、公園に他にも何人か男子いたはずだろ。アルバムとか見ると、たまに他の男子いるじゃん」
「懐かなかったらしくて。とにかく直くんと遊びたかったみたい」
「うーん……」
「だからつい、崩したくなって」
「いや、やっぱりそこが意味不明なんだよなあ」
「崩したばかりで大泣きな時だと『いっしょに遊ぼう』って言っても手をブンブン振って嫌がるんだけど、メソメソ泣きくらいになった頃に『もうしないから、いっしょに遊ぼう』って言うと『うん』って、手を繋いでくれるの。やっといっしょに遊んでくれたーって、それが嬉しかったみたい」
「完全に騙されてるじゃん俺」
「直くんが私を毎回許してくれるから、崩すのが癖になっちゃって。そのせいでお母さんに怒られたんだから。『そんなことばっかりしてると嫌われちゃうよ』って言われて」
「じゃあやるなよ……。俺、その頃は全然覚えてないなあ。俺の記憶は多分、小学三年か四年までだから」
「本当に反省してます。ごめんね。今はしないよ?」
「今は、砂場を崩されても別に泣かないよ!」
「じゃあ今度、私の何か崩しても良いよ」
「これまで生きてきて、何かを崩したいなと思った経験なんかないよ」
「私のトランプタワーとか崩す?」
「そんなの出来るの?」
「出来ない」
「ダメじゃんか。
……じゃあ、これから千回、奈月の相好を崩すよ。それまで許さない」
「『ソーゴーを崩す』ってなに? なんか意地悪なやつ?」
奈月は身構えた。もしかしてエッチな何かかも、と奈月は思ったのだ。
「いやまあ、奈月を千回『笑わせる』って意味だよ」
直人は照れながら答えた。
「優しい! 直くん優しい」
「そうだろ! 奈月の相好は崩すけど、奈月の体調は崩さないようにするよ! 優しいからね」
奈月に誉められて図に乗った直人は、変なことを言い出した。
「すごい優しい! もっとある!?」
奈月もそれに乗っかった。
「まだ!?」
「まだあるまだある」
「うーん……。二人の関係を崩さないように頑張るよ!」
「それも優しい! まだある?」
「奈月が歩いててバランスを崩したら俺がすぐに支えるよ!」
「優しいし格好良い!」
「奈月が難病になったら俺の貯金崩して奈月の治療費にするよ!」
「もう優しすぎる!」
「惚れた?」
「惚れた! 惚れ直した!」
奈月は、なんだか嬉しくてたまらなかった。店の前でこっそり聞いていた、直人とお姉さんの話みたいな、『バカっぽい長話』が初めて途切れ途切れにならずに出来たからだ。
直くんが私との会話に慣れてきてくれたのかな? 奈月はそう思って、相好を崩した。