俺も作れないけど
「あー面白い。奈月が戻ってきたら、お互いに嫌われる心配ばかりしてるよって教えてあげないと」
桜子がクスクスと笑っている。
桜子だけじゃなく、他の女子も機嫌良く談笑していた。
それにひきかえ、男子二名は椅子に座って大人しくしている。
髪を拭いてもらうために椅子に座らされていた直人は、そのまま奈月の帰りを待っていた。飯田も、流れで隣の椅子に座ったままだ。
この二人だけが座っていて、立っている女子に見下ろされている形になっている。
二人の目線だと、下を見ても女子の足だらけで良い景色、上を見ても女子の胸の膨らみだらけで良い景色。男子二名は目のやり場に困った結果、お互いに困り顔を見せ合っていたわけである。
「それでさあ、どうするの?」
ソワソワしながら、桜子が直人に聞く。楽しくて仕方ないといった感じだ。
「相談するなら、奈月が戻って来ない内にしないと」
聞かれた直人は話の見当がつかない。
「何の相談?」
と聞き返す。
「奈月といっしょにお風呂の練習」
「ああ、それか」
直人は返事をしてから、他の女子たちの様子を見た。
奈月のガードは固いってことにしておいた方が、奈月がからかわれずに済むよな……。
「もう良いかな。あんまり頼んだら、奈月に嫌われるかもしれないし」
「あと一回だけ頼んでみれば?」
「なんか広瀬さん、ずいぶんアドバイスしてくれるなあ」
直人は思わず笑った。桜子があまりに気にするので、なんだかおかしくなったのだ。
「だって、二人きりのときに頼めばオーケー出そうだし。
言わないだけで、みんなもそう思ってるんじゃないかな。ねえ亜紀?」
「まあ、あと一回なら怒られたりはしないと思うけど……」
「ほらね。なんか大丈夫そうだもん」
桜子は、亜紀の返答に満足げ。
「飯田くんからも言ってあげてよ。仲良くなるチャンスだよーって」
飯田は、桜子に話を振られたのは嬉しかったが、意見に同意は出来なかった。
「俺はまあ、森田自身が良く考えるのが一番かなと」
飯田の中には、かつて直人に遥への告白をけしかけてしまったという、やりきれない罪悪感が未だにある。
もう二度と直人の恋を台無しにしたくない。そう誰よりも思っているのが、飯田だった。
「やっぱり、ギクシャクするってあるからさ」
桜子にとって、それは意外な返答だった。だが、桜子はかえって興味をそそられた。
「へー。飯田くん、そういうとこ真面目なんだ?」
「ね。今日は真面目だよね飯田」
そう言って話に加わったのは、飯田と同じクラスの伊藤桃子だ。
「いつもは女子に冷たいのに、大人しく対応してるし」
「へ? 俺、女子に冷たくしたことなくね?」
飯田が聞いた。
「優しいけど冷たいじゃん。苦手な女子には最低限っていうか」
桃子は、笑いながら飯田に反論した。
「私、聞かれたことあるもん。どうしたら飯田くんと長めに話せるかなあって」
「それ、ちょっと分かるかも。一度嫌うと極端だよね」
同意したのは、飯田のかつてのクラスメイト、遥だ。
「話し掛けたら普通に話してくれるんだけど、すぐ逃げようとするみたいな感じでしょ?」
「そうそう! 逃げるらしくて!」
すぐさま相づちをうつ桃子。遥の説明がしっくりきたようで、嬉しそうだ。
「例えばさあ、ゲーセンのレディースデーに私たちと会ったら、クラスの男子が特典プレイの彼氏枠目当てに寄ってくるのよ。
だけど飯田の場合、苦手な女子が混ざってると絶対にいっしょに遊ばないからね。こっちから聞いても断るのは飯田だけ」
それを聞いた桜子が、思わず亜紀と顔を合わせた。
亜紀は微笑んだかと思うと
「へえー……飯田くんがゲームセンターに行きたがるのって、珍しいことだったんだ?」
と、飯田をからかった。
桃子も驚いて
「なにそれ!? 飯田、他のクラスの女子はナンパしてるの!?」
と、ニヤニヤしながら食いついた。
「ちっ、違うって! ナンパとかじゃねえよ!」
飯田は大慌てで弁解を始めた。
「そんときは森田がお好み焼き屋に誘ってくれて、みんなで飯行って。それで話を聞いてたら、森田の友達が増えたんだなーって分かって、嬉しくて。友達として、話とかもうちょい聞きたかったんだよ。
そういうの色々あって、食後の会話とかの感じもあって、たまたまだよ。お好み焼きを広瀬さんに作ってもらって、その恩とかもあって」
「え、お好み焼き作ってもらったって何? 飯田って、女に全部やらせるタイプ?」
「そうじゃなくて、俺ってお好み焼き作れねえんだよ。作るの失敗したら、せっかくの食材がもったいないしさ。
崩れるくらいなら良いけど、飛ばしちゃったりしたら大変じゃん。服にかかったりするかもしれないし。女子の服を汚しちゃったら失礼だから……」
「なんか言い訳くさいわー。飯田の性格なら、自分で作れないなら、お好み焼きじゃない物を頼んでるよね普段は。
服にかかったら失礼って考えるなら、お好み焼き作らせるのだって失礼だし」
「あ、あのね」
桜子が口を開いた。おそるおそるといった感じだ。
「あの……飯田くん、両親が忙しいみたいで。お好み焼き屋なんて、長いこと行ってなかったんだって。
だからお好み焼き、ずっと食べたくて。だけど、森田くんもお好み焼きを作るの苦手で、二人じゃ入れなくてね。いつも、いつか二人でお好み焼きが食べたいねって言ってたらしくて。
作らせるの悪いかなとは思ったらしいんだけど、せっかくだからお好み焼きを食べたくなって。一割プレゼントするからお願いしますって飯田くんが言って、私がそのエサにつられて作ったの。だから、やらされたわけじゃなくて。
えっと、何言ってんだろ私。とにかく、どうしてもお好み焼きが食べたくて、仕方なくそうなっちゃったみたいで」
桜子は、話してる内に飯田との思い出がよみがえって、泣きそうになってしまった。
飯田には、桜子が一生懸命に説明をしてくれているのが痛いほど分かった。ハラハラとしながら、桜子の説明を聞いていた。
だが、それ以上に動揺していたのが桃子だった。
「ごめん飯田! ひどいことたくさん言っちゃったよね!」
それまでとはうって変わって、真剣な表情で頭を下げる。
桃子の態度のあまりの変わりように、飯田は面食らった。しかし、すぐに笑った。
「なんだよ急に、別に良いよ。何も悪口とか言われてないだろ」
「言いまくったし!
ウチさ、弟いるからさあ。親が帰り遅いときとか、たまにポツリと食べる物リクエストされるのよ。
お好み焼きも作るんだけど、焦がしたりしても嬉しそうに食べてくれて。それ見てると、本当に食べたかったんだなって思うんだよね。
飯田はさあ、食べたいモードの弟以上にお好み焼きを食べたかったわけで。それで、勇気を出して森田くんの友達に頼んでみて。それだけなのに、ナンパ目当てだとか色々からかって。私の弟なら激怒してるって。
完全に調子に乗ってた。反省してます、ごめんなさい」
「そんなに謝ることじゃないって。ちょっと話のネタにしてくれただけだしさ。
俺、緊張で肩が凝ってたから、むしろ笑えてありがたかったくらいだよ」
そう言って飯田は、笑顔で肩を回してみせた。
「どうしても食べたければ、お好み焼きを自分で作れるようになるとか、男友達と食べに行って百円で作らせるとかすれば良かったんだし。普通に考えたら怪しいって」
「ううん。分かるよ。
ウチの弟も、ポップコーンだろうがホットケーキだろうが、どんなに腹ペコでも絶対に自分では作ろうとしないの。私が帰ったら『お腹空いた。ホットケーキ食べたい』って言って。
飯田くんもそんな感じでしょ? お好み焼きを作るくらいなら腹ペコで良いやっていう」
「そうなんだよな。どうしても外食に行っちゃうんだよ。今日は牛丼食べた方が楽、今日はカレー食べた方が楽。そうやって毎日を過ごしてる内に、何年も経っちゃっただけで。俺の食生活がおかしいんだよ」
「ずっと外食メインなの?」
「そうだね、かなりの比率かも。親となかなか時間が合わないからな」
「そんな生活、めちゃくちゃお好み焼き美味しく感じるやつじゃん!」
桃子は拳を握りしめ、力強く言いきった。
「うー、やっぱりごめん」
「そんなの分からねえって。むしろ俺からすれば、なんでこんなにお好み焼き食べたさが伝わったんだっていう。
分かってもらえて嬉しいし、ビックリして逆に笑っちゃうんだけど。変じゃね?」
「食べたさくらい、分かるよー。弟が小さい頃なんて、ゲームとかの料理を見て、手作りプリン食べたいとかよく言い出して。それはすぐには作れないからねって言っても、約束すると絶対忘れなくて、毎日約束の確認してきたもん。
今はもう弟も遠慮入ってて、そこまで露骨にねだらないけど、だからこそ頼んできたときは超食べたいんだろうし」
桃子はなんとか笑顔を作りながら、会話を続ける。
「弟がお好み焼きを三日我慢しただけでも、私の失敗作の黒こげのお好み焼きを慌てて食べて、しゃっくりになるくらいだもん。
飯田、お好み焼きすごく美味しかったんじゃない?」
「すげえ美味かった。みんな、違うクラスなのに優しくしてくれてさ。感動しちゃったよ」
「わあ、良かったね飯田。飯田、本当に良かったね……。
あーダメ。食べ物の話に弱いの私。なんか泣きそうになってきた、キモいわ私。
からかった相手が森田くんだったら、反省しまくって完全に泣いてたわ」
「え!? 俺より森田の方が扱い上なの!?」
「森田くん、ウチの弟に雰囲気が似てて。感情移入しちゃうんだよね。
お好み焼き作れないとことか、性格的に弟と同じで」
「お好み焼きなら俺も作れないけど?」
「飯田は慣れてないだけで、五回もやれば出来そうじゃん。森田くんは、真剣にやってみてそれでも派手に失敗するタイプ」
「なんだよその決めつけ。まあ分かるけど。
森田、他人がひっくり返すの見てるだけでも怖がるからな。そんで、成功すると尊敬」
「それ、弟の反応といっしょだわ」
桃子が、ようやくホッとしたように、自然に笑った。
「え? お好み焼きってバラバラになりそうで怖くない?」
直人が、誰に言うともなく問いかけた。
「分かります! 怖いですよね!」
と、それまで傍観していたレナが、珍しく大声を出した。
全員一気に緊張感がなくなって、辺りは一時、笑いに包まれた。