一生分
「森田は良いよな、彼女と来てるから安心じゃん。俺の場合、友達が他の人に声を掛けられたら、下手したら今日この後ずっと一人だぜ」
「そんなの、俺だって下手したら一人じゃん。奈月が友達に声を掛けられて、友達と遊ぶことになるかもしれない」
「そんなんねーよ。付き合ってるってバラしてなかったらともかく、バラした状態では森田の誘い最優先に決まってるじゃねーか」
「その誘うのが難しいんじゃん」
「付き合ってて何で誘うの難しいんだよ!」
「いやそれはさ、奈月には人付き合いとかあるから――あれ、いつの間にかみなさんが」
飯田とふざけあっていた直人が、こちらに向かって来る一団を見て、ふざけ合うのをストップした。
「うわ、みんな来てるじゃん。恥ずかしい」
飯田も、慌てて姿勢を正す。
「お待たせー」
真っ先に二人に声を掛けたのは、最前列を小走りに歩いてきた桜子。
「森田くん、体調は?」
「俺はもう平気なんだけど、なんか飯田が心配してばっかりなんだよ。後でからかって、リラックスさせてあげてよ」
何を言われるか気が気じゃない飯田が
「も、森田だって心配ばかりしてたじゃねーか!」
と、焦って話の主役を変えた。
「森田くんも? 何が心配なの?」
「車酔いしちゃって奈月に迷惑かけたかなとか、退屈な思いさせたかなとか」
そう言いながら、直人はキョロキョロと奈月を探した。
うーん、奈月いないな。トイレかな?
「――奈月、疲れる様子ないかな?」
「あんなの全然問題ないって」
桜子がケラケラと笑い飛ばした。
「奈月、無口な森田くんを見てるの好きみたいよ?」
「どういう意味?」
「気だるそうにしてる森田くんのファンなんだって。バスの中で写真を撮ってたの、気付いてたでしょ?」
「ああ。なんか、昔からバスで撮りたがるんだよね。けどあれ、俺を少しでも良い気分にさせたくてやってるんじゃないの?」
「男っぽくて格好良いんだって」
「格好良いなんて思われてるかなあ。感じなかったけど」
「照れてるんだと思うよ。私は照れずに話してもらえるから、たまに感じる。
森田くんが体育頑張った日の奈月も、大好きオーラがすごかったよ。メロメロになってるって、こういう状態なんだなって」
「ああ……あの日はたしかに、奈月の態度が違ったかも」
「ちなみに、今もメロメロになっちゃってると思うよ」
「なんで?」
「森田くん、奈月への気持ちを歌にしたでしょ?
すごいんだよ奈月。一発で森田くんの歌詞だって見抜いちゃったんだって」
「なんで分かったの?」
「歌詞に乗り物酔いの話が出てくるでしょ? 遥さんはあまり車酔いしないから、森田くんっぽいと思ったみたい」
「うわ、しまった。あのときの気持ちをそのまま歌詞にしちゃったからな……」
直人は、頭を抱えた。
「奈月に気まずい思いさせちゃったなあ、謝っておいてよ」
「奈月、すごく喜んでたよ。髪乾かしてるときとか、恋してる顔をしてるもん。ずっとニヤニヤしてる」
「そうなの? さっき話してたときは普段通りだったけど」
「照れてるだけ。着替えとか歯磨きとか、一人で作業してるときは、幸せそうに森田くんのこと考えてたよ」
「歯磨きといえばさあ」
すかさず直人が言った。
「使い捨て歯ブラシ、昔と違って小さく感じたんだよね。奈月とその話をしようと思ってたんだけど、忘れてた。
奈月はどこ行ったの?」
「仕方ないから、タオルもらって来てあげたのよ」
と、ちょうど戻ってきた奈月が言う。わざと、つまらなそうな顔をしている。
「タオルなんてどうするの?」
奈月は、直人の質問には答えずに
「そこの椅子に座って」
と、ぶっきらぼうに指示した。
直人は言われるまま椅子に座り、不思議そうに奈月を見上げた。
「どうしたの奈月?」
奈月は直人の頭にタオルを乗せると、わざとらしくためいきをついた。
「恥ずかしいから、本当はこんなことしたくないんだけどね……」
「だったら、やらなくて良いんじゃないの?」
と、直人はよく分からないまま質問した。
奈月はムッとして
「だって、髪の毛きちんと拭いてないじゃない! すぐ湯冷めして風邪ひくくせに」
と言い、直人の頭をペチンと叩いた。
「あう」
痛くもないのに、直人はつい小さな悲鳴をあげた。
見ていたメンバーの多くが、笑い声をあげた。
箱入り娘であるレナだけは、叩かれた直人を心配そうに見つめた。
奈月は、直人の髪の毛を拭きながら
「昔、帰りのバスで風邪と車酔いが重なって、鼻提灯を出しながら吐いたの忘れたの?」
と、言い聞かす。
レナが
「鼻提灯って、実際に起きるのですか?」
と聞いた。
「ああ、条件とかがあるみたいですよ」
たまたま調べたことがある直人が、目を閉じたままレナに言った。
「奈月の言ってる日は、帰りのバスの中でティッシュが足りなくなっちゃって、鼻をかむのを控えてたら鼻水がすごく溜まっちゃったんです。それが良くなかったんでしょうね。
そのまま口でハアハアやってたら、プクプクーって鼻提灯が膨らんで」
「なるほど。ティッシュがなくなってしまうなんて、大変でしたね」
「俺は見かけほどつらいわけじゃなかったですけど、他人から見ると悲惨だったでしょうね。
見るに見かねたのか、知らないおばさんグループが、持ってたティッシュ全部くれました。ありがたいです」
直人はそう答えてから、思い出し笑いをした。
「……そういえば、バスを降りたときに奈月の緊張切れちゃって。おばさんたちにお礼を言いながら泣いたんですよ、奈月」
「そうじゃないって」
奈月が異議を唱えた。
「あれはねえ、バスの中で泣いてうるさくしたら迷惑だって思ってたから、必死で我慢してたわけ。
怖いおじさんとかに怒られたら、直くんが鼻をかみにくくなるでしょ?」
「はあ!? 奈月、あの歳でそんなことを考えてたの!?」
「考えるよ。だって、あんなに温かくされて。運転手さんまで『なるべく早く運転するから、頑張ってね』って言ってくれたじゃん。
あれ以上迷惑かけたくないでしょ?」
「それどころじゃないよ」
「バカ! あれだけしてもらって、なんとも思わなかったの?」
「奈月の印象がかなり強くて、他の人のことはよく覚えてないよ。
たしか、すごく心配してくれたよね」
「そりゃあ心配するでしょ。あの日は相当ひどかったからね?
ケンカしてベッド占領したまま自分だけうっかり寝ちゃったときは、直くんの体がものすごく冷たかったから、もっと心配だったけど」
「ああ、その日も心配させちゃったよね。心配させてばかりだなあ、俺」
「直くんには、もう一生分の心配させられちゃった感じ。
だから、もうあまり心配させないでほしいんだけど?」
「気を付けます」
「だったらさあ、他の人の前で頭を拭かせるようなこと、させないでよね」
奈月は顔を赤くして訴えた。
「もう大人でしょ?
気を付けてて風邪をひいたなら仕方ないけど、髪の毛ビショビショにしてて風邪をひいたら怒るからね」
「ごめん。次から気を付けるから」
「約束ね?
手抜きをして風邪ひいたら、看病してあげないからね?」
「うん。忘れないように頑張る」
様子を見ていた亜紀が、クスクスと笑った。
「奈月、今すぐお母さんになれそうだね」
「なれるよね。優しいお母さんになれそう」
と、桜子も同意する。
「やめてよ恥ずかしい。嫌々やってるんだから」
奈月が顔をますます赤くする。
その顔がまた可愛らしく、レナたちがクスクスと笑う。
奈月が気まずそうにふくれた。
「ほら、笑われちゃったじゃん。直くんのせいだからね!」
「これから気を付ける。許して」
「許すけど、本当に気を付けてね。学校じゃ、あまりおおっぴらに助けてあげられないからね」
「えー!? じゃあ子供の内に一生分甘えておけば良かったー……」
直人のなげく様子を見て、みんながまた笑った。