振られる人もいる
男女が風呂場の前で別れてから、小一時間が経った。
奈月たちが仲良く会話している間、男風呂の直人と飯田は、ひたすら同じ風呂に浸かり続けていた。
寝転がって浸かれる風呂を見付けて、直人は大喜びで仰向けになったのである。
「この風呂、あんまり混まないよな。人気ないのかな?」
飯田が、天井を見つめたまま直人に聞いた。
「わざわざ健康ランドに行こうなんて、基本的に風呂大好き人間だろうからなあ。俺らみたいに、仕方なく時間潰ししてる人は少ない感じだな」
「おいおい、俺は他の風呂も興味あるんだぞ?
ただ、お前がすげえ気に入ったみたいだから……」
「ごめん、そうだった」
「いや、謝らなくて良いけどさ。この風呂、寝られるから楽で良いし。
……熱くない風呂があって良かったじゃん」
「本当に良かった。楽だし、気分が良いよ。
なにしろ、絶対に女子の方が風呂は長いからね。どうやって時間稼ごうかと考えてたから、この風呂はありがたいよ。寝ても平気なように少しぬるくしてあるっていうのが、俺にとって最高」
「他の風呂は全部熱い感じか?」
「女子風呂は少しだけ温いのが二つくらいあるだけで、それ以外全部熱かったな。
当時から、男風呂にはこの寝風呂ってやつがあったのかな?」
「女風呂には寝風呂ないの?」
「少なくとも、当時はなかったな。女がこの角度で仰向けになると、完全に胸が湯船から出て寒いだろうし、作るにしても男の寝風呂より金がかかりそうだよな」
「そういうのって、どれくらい恥ずかしいんだろ?」
「もし男の股間だけが風呂から飛び出てたらかなり間抜けで気まずいから、それくらい恥ずかしいんじゃないの? もう少し角度を急にするとかしないと女の寝風呂は作れなさそう」
「けど、角度が変わるとあんまり楽じゃなさそうだよな」
「この角度がベストっぽいよな。もし女風呂に寝風呂がなかったら、自慢しようぜ」
「おー、それ良いな」
「まあ俺達、女子との合流までかなーり待たされるだろうけどな」
「女子って、そんなに風呂長いの?」
「そもそも、風呂に入るまでに俺らより三十分多くかかってると思った方が良い。
最初に体重計に乗ったりしてワイワイして、これから食べる分カロリー使って痩せなきゃとか話しながら歩いて、かなり丁寧に体を洗って、やっと風呂に入る。
そんで、嫌いな風呂以外の風呂は全部入って、説明文も毎回しっかり読む。サウナも何度も入る。
風呂から上がったら、また体重計に乗って。体重減ってないって慰め合って、髪を傷まないように乾かして、やっと出る。
当時の俺がもう飽きたって感じてから、奈月はさらに一時間は楽しんでた。
だから、この寝風呂でかなり時間を稼いだ方が良いと思うよ。動いて色々な風呂に入ると、体力消耗する。バスで酔ってて食欲なかった俺が腹ペコになっても、まだ風呂に入ってたからな」
「一人で先に出て漫画読みに行ったりとか、しなかったのか?」
「方向音痴だからなあ。一人で出たくなかった。というより、そんな発想なかったな。奈月といっしょに過ごしたかったし。
すげえ愚痴っぽく言っちゃったけど、時間潰すのも楽しかったよ」
「当時はどうやって時間潰したんだ?」
「わりと長い時間、プールに入ってたな。プールで奈月に泳げるようにしてもらったよ」
「プールっていくらだっけ?」
「あー、入場料別売りのプールじゃなくて、女風呂の中に全裸で入るプールがあるんだよ。今もあるかは知らないけど」
「プール入りてえよな」
「まあ、もし男風呂にプールあっても、俺ら二人で入ることになるから会話が多分ないけどな」
「それ悲しいな」
「やっぱりプールはさ、女子の声が必要だと思うんだよね。男二人で鬼ごっこしてボディタッチしたくねえよ。
女子とプール行きたくない?」
「行きたいよそりゃ」
「……よく考えたら俺、親か奈月としかプール行ったことないな」
「俺なんて、女子と行ったことねえぞ多分。中学の修学旅行とかが、まあ女子と海岸行ったって言えるかな程度で」
「中学はそんな感じだったな。
飯田の小学校って、女子とはどうだったの?」
「分からないけど、ほとんど遊んでないんじゃねえかな。なんか今思うと、あの小学校って男女仲が悪かったのかもなあ。プールの授業も男女の会話ほとんどなかった。バレンタインもクラスにチョコゼロで。
中学入ったら、先輩たちが男女でガンガン話してるわ、男女二人で恥ずかしがらずに帰るわ、バレンタインに女子がチョコばらまくわ、ギャップに結構びっくりしたような」
「スカートめくりとかはしなかったの?」
「してない。お前したの?」
「小学校で男子の間で一瞬流行ったな。ワクワクして真似してやってたら、問題になってすぐに禁止にされた」
「当たり前だろ。女子に嫌われねえの?」
「俺だけ全く影響なかったな。俺は、相手がやめてって言ったらその一回でやめるタイプだから。
むしろ『あいつらのバカに付き合わない方が良いよ』とか言って、違う遊びに誘ってくれて。優しいままだったな。
それまで積み重ねてきてた好感度が違ったのかな」
「ほんと、女子と仲が良かったんだな」
「でも、モテる方向とは全く違うけどね。バレンタインにチョコがもらえるのは、俺が嫌いな男子で」
「それって、わりとつらいな」
「俺と女子は、結局は友達感覚だったんだよな。誕生日に女子がマンションの玄関に来てくれてプレゼントくれたりとか、調理実習のクッキーもらったりとか」
「誕生日プレゼントってのは、かなり嬉しくねえ? 俺、もらったことねえよ」
「今考えるとありがたいけどなあ。奈月もそんな感じだったから、当時はありがたみをあまり感じてなかったな」
「隣に押田さんが住んでるし、女関係は恵まれてるよなお前」
「その分、男の友達が出来なかった。体育も、俺だけ女子と準備運動してた。実は、高学年になると肩とか触るときドキドキしてたよ」
「俺も、そんな環境だったらヤバイだろうな」
「飯田は、一番最初に女子にドキドキしたのいつ?」
「咄嗟のドキドキについては覚えてないなあ。やっぱ、パンツ見えたりするとドキドキしちゃうし。
相手が何もしてないのにドキドキってのは、橘さんを好きになってからかな。
見てるだけで苦しくて嬉しくて、これが恋なんだってハッキリ感じた」
「俺、わりと昔から奈月にドキドキしてたんだけど。でも奈月にキスされてもそこまで嬉しくなくてさ。全然、泣くほどの感動じゃなくて。まだ好きじゃなかったのかな」
「それはあれだろ、距離がすげえ近かったせいもあるだろ。それか、年齢的に早過ぎたか」
「確かに、遠くから見てるだけで興奮したのは大分経ってからなんだよね」
「興奮かよ」
「興奮したなあ。見ると押し倒したくなって、一時間でも二時間でもずっと抱きしめていたかった」
「それって、ある日突然そうなったの?」
「……あれっていつかな、小五の頃だったのかな。放課後、振られてる人を目撃したんだよ。放課後に美術室で、クラスの男子がクラスの女子に告白して振られてて。
直接見たわけじゃないけど、女子が一人ドアの前で立ってて、何してんのかなって近寄ったら、今は入っちゃダメって言われて。あんまり女子に強く釘を刺されたことなかったから、わりとビックリした記憶がある。
不思議に思ってなんとなくいっしょに待ってたら、違う女子が恥ずかしそうに出てきたんだけど、何してたか聞いたらごまかされて。後から、男子が悲しそうに出てきた。
普段なら絶対に女子といっしょに帰るんだけど、その男子の目と顔が、見たことない顔で。ドキッとして不安になって、その男子と帰った。
そいつ、普段は乱暴なのに、その日は帰るまで優しかったな。全然ふざけたりしなかった。たしか『ありがとな』だったか、ポツリと何か言われた。
見るからに元気がなくて、きっと振られたんだって思ったんだよね」
「それはたしかに、振られた可能性大だな」
「振られる人もいるんだなって思ったら、俺と奈月との関係が当たり前じゃないことに気付いて。
なっちゃんとちゅーしてるぼくってすごいなって、偉くなった気分になっちゃったんだよ。奈月に感謝するようになったんだけど、増長するようにもなって。
多分それからかな、奈月との関係にすごく興奮するようになっちゃったんだよね」
「うわー、それでか……。
小学生で、自分のこと好きって言ってくれる人がいたら、そりゃあ嬉しくなるよな」
「俺のことを好きになってくれたんだなって思いながら、改めて奈月を見ると、もう仕草から言うことからすげえ可愛くてさ。頭をなでると嬉しそうにしてくれて、ゾクゾクするんだよ。
それから、完全におかしくなっちゃったよ。きっと奈月は、俺が急に変になって、怖かっただろうな。
クラスメイトが振られた日にはかなりショック受けたのに、舞い上がって勘違いして、奈月の嫌がるようなことをしてさ。好きって言ってもらえることがどんなに幸せなのか、すっかり忘れてたんだよ。
俺って本当、救えないよな」
「でも、踏み止まって謝れたんだろ?」
「謝れたら良いってもんじゃないよ。一生かけて償わないと。
……どうすれば良いかなあ?」
「そりゃあ、優しくして……たくさん遊んだりとかじゃねーの?」
「俺、奈月とみんなでプール行きたい」
「どんだけプール行きたいんだよ! 話が戻っちまったじゃねーか」
直人たちは、同時にゲラゲラと笑った。