ゆっくりで良いよ
「届いたよー。食べよ食べよ」
奈月がピザを運んできて並べる。ようやく食べられるぞ、と空腹の直人は唾を飲み込んだ。
「カンパーイ! ふう、今日までに私の体が治って良かったー」
奈月は、健康のありがたさを噛み締めつつ、喉に炭酸を流し込んだ。
「――美味しい。炭酸とかいつ以来なんだろ」
「体はもう大丈夫そうなの?」
「平気。完治。
けど、好きな物が全然食べられなくて、つらかったー。太る物が大体食べられないわりに、体重の方は三キロしか減ってくれてないし。もー悲しいわ」
と言いながら、奈月はピザにかぶりついた。
直人は、美味しそうに食べる奈月の姿を見ると感慨深くなった。
「本当に大変だったね」
「最近はもう全然お腹痛くなかったから、体は楽になった代わりにクリスマスイブが待ち遠しくて。やっと食べられるから本当に美味しく感じる」
奈月は、そう言うとピザを再びかじる。
「……んー、最高。ピザってこんなに美味しかったっけ。私が久しぶりだからかな?」
「いや、これは本当に美味しいよ」
「そうだよね? 森田くん、食べられるだけ食べてね」
「押田さんが頑張ったんだから、押田さんもたくさん食べないと」
「私が食べまくっても幻滅しない?」
「今さらしないよ。押田さん、昔は明らかに俺より食べてたじゃん」
「そうそう、昔は森田くん少食だったよね。私、森田くんがたくさん食べられるようになったの嬉しくて、学食で見てたよ」
「学食は給食と違って好きな物が食べられるから、偏食の俺にはありがたくてさあ。そのせいか、なんか身長も伸びたし体調も崩しにくくなってきて。
栄養足りてるかどうかってすごく大きいんだなって、びっくりした」
「森田くんに身長抜かされるって昔よくお母さんが言ってたけど、本当に抜かされちゃったね。手も大きいし、のどぼとけもあるし」
奈月はそう言いながら、ピザを触っていない方の手で直人の喉を撫でた。
「触るの怖くないの? 昔、お父さんののどぼとけを触って気持ち悪がってたよね?」
「大丈夫、森田くんのはかわいい」
「何か違いあるの?」
「森田くんの体が大人になってきてる証拠だと思うと、よしよしって気持ちでなでられるから。すごい変わったよね、格好良くなった」
「押田さんも、すごくきれいになったよね」
「本当!?」
「うん。最近こうして近くで見れるようになったら、本当にかわいくて、ビックリした」
「じゃあさじゃあさ、私が近くにいるとドキドキとかする?」
「するよ。押田さんは?」
「私もドキドキしっぱなし」
「今も?」
「うん。ドキドキして、止まらなくなっちゃってる。一人じゃ恥ずかしいから、森田くんもドキドキして?」
「してるよ。これ以上ドキドキ出来ないよ」
「私がこの先、もっと馴れ馴れしくしても怒らない?」
直人には、奈月の言葉の意味がよく分からなかった。
「もちろん、怒ったりしないけど……」
と、とりあえず返事だけする直人。
「森田くんと私、かなり仲良くなれたと思うんだけど、どうかな?」
「うん、なれたと思うよ」
「じゃあさ、今日は森田くんのお母さんみたいに、私も直くんって呼んでも良い?」
「えっ、なんで?」
直人の心臓がさらに高鳴った。まさに、直人にとっては夢にまで見た呼ばれ方だ。
「二人きりだし良いかなって。それに、昔は直くんって呼んでたし……ダメ?」
直人の肩に寄りかかった奈月が、直人を見上げる。
「い、良いけど」
「ありがと、直くん」
直人の耳元で、奈月がささやいた。
直人は、今度はピザが届いた時とは違う意味で、ゴクリと唾を飲み込んだ。
押田さんがこんなことを言うなんてなんか変だぞ。大体、散らかるからって理由で、クリスマスパーティーをこの部屋にしてくれたけど、それだって変っちゃ変だ。最近、すごく優しいし、かわいいし、考えてみればずっと変だ。
特に今日は、絶対に変だ。
「直くんは、クリスマスのプレゼントに、何かしてほしいこととかある?」
「えーっと……。なんでも良いの?」
「良いよ。なんでもする」
「えーっと……。えーっとね……。どうしよう」
直人は、何も言えない自分が悔しくなった。
なんで急に何も言えなくなっちゃうんだろう。あせればあせるほど、言葉が出なくなる。
直人はもう、歯がゆくて情けなくて、たまらなかった。
「ちょっとエッチなことだから言えないとか?」
奈月がクスッとからかった。
「うう……」
直人の頭の中に、一瞬だけ頭をよぎってしまった男の欲望。それを奈月に見抜かれたことで、直人はさらに気が動転した。
「私ね、知ってるよ? 直くんがよく私の太もも見てるのも、胸の辺り見てるのも」
微笑む奈月。
「ごめんなさい」
直人は泣きそうになりながら、謝った。
「直くんが私のこと大好きなことも、私のためにたくさん頑張ってくれたことも……全部知ってるよ」
奈月が直人をそっと抱きしめた。
奈月は、そのまま、直人に優しく語りかけた。
「だからね……。ゆっくりで良いよ。喋らなくても良いよ。
これから私が、心の中で一分間、目を閉じるから。私のことが好きなら、キスしてほしい」
――直人と奈月の唇が重なるまで、十秒もかからなかった。