大食堂の小さなひざまくら
少女三人の恋愛話は、とどまるところをしらない。
「――そんな感じで、大したことない話がいつも気になってしまって」
里子は楽しそうに恋愛相談を続けていた。
「大したことない話っていうと、天気の話とかってこと? 意味が違う?」
と、奈月が質問。
「えっとですね。例えば、仲良い女子がたくさんいる男子が、私に声を掛けてきたとするじゃないですか。そうすると、この人はどういうつもりでわざわざ私に声を掛けたのかなあって、考えすぎちゃうんです。
こんなこと考えちゃうって、相手のことが気になってるってことなのかなとか……よく分からなくなって。クラスの他の女子も、人気ある男子に話し掛けられると『うわー、ドキドキした。寝癖っぽい日じゃなくても良いのにー』とか『あれはヤバイわ。まともに会話出来る気がしないわ。優しくされたらすぐ惚れちゃいそう』とか言ってて。私も好きになりかけてるのかなって。
そんなとき夢子は『たまたま私が目に入ったのかな?』くらいしか考えないし、普通に話すだけならあんまりドキドキしないって言うんです。
だけど、森田先輩にどう思うか聞いたら『俺はすごく分かる!』って力強く言って」
そこまで話した里子が、直人の顔を思い出して笑った。
同時に夢子も笑う。
「あれビックリしたよね。ちゃんと聞いてるのかなって感じだったのに、急にすごい肯定してきたよね」
「そうなんですよ。たまたま森田先輩がいたときにそういう話になって。私たちが勝手に話してて、先輩帰れないって感じで。
それでふと森田先輩に聞いてみただけなんですけど、森田先輩はちゃんと聞いてくれてて。色々安心すること言ってくれたんですよ」
里子が嬉しそうな顔で話を続ける。
「森田先輩は、中学で行った遊園地で写真撮影を頼まれたときとか、なんで俺なんだろって感じたらしくて。
バイトでもたまに質問されるらしくて、不思議みたいで。一番何も知らない俺が一番聞かれて、一回もまともに答えられたことがないって笑ってました。方向音痴の俺に市役所とか病院とか聞いてきて、分かるわけないよって。
何のマグロ使ってるかなんて俺なら絶対に聞かないけど、もしどうしても店員さんに聞かないといけないとしたら、バイトじゃなさそうな大人のスタッフに聞くけどなあって」
「直くんって歩いてるとき大人しいから、昔から道を聞かれるんだよね」
と、微笑む奈月。
「私が近くにいるときはアタフタしてこっちを見るから、私が代わりに相手に聞くけど。基本人見知りだから、知らない人への対応はかなり苦手みたいね」
「森田先輩も、自分で苦手って言ってて。森田先輩が言うには、自分に自信がないと気になるのかもって。格好良くもないし頼りになりそうもないし、実際に俺に聞いても解決しないことが多いし、なんで俺に聞いたんだろって気まずさが残るんだよねって。
それが私の男子へのドキドキと似てるかもって言うんです。
緊張したせいでドキドキして、相手のことが気になるっていう共通点があるって。『だからあなたもですね、受け答えがスムーズにいかないというか、百点満点に出来なかったのかもしれないですね。それで、なんで私に聞いたんだよって緊張して、そのドキドキに混乱して、深く考えてしまって。なんでしたっけ、吊り橋効果でしたっけ。緊張するとドキドキするやつあるじゃないですか。性格的な緊張と相手の格好良さが重なって、他人よりドキドキしやすいのかも』って、分かりやすく説明してくれて。
私、緊張しやすいからかなり納得して」
「あ、直くんその頃まだ敬語だったんだ」
「そのときは、二人のバイト先に客として行って対応受けた後の立ち話って状況だったせいか、まだ店員さんみたいな喋り方で」
里子が、当時の状況を懐かしそうに語る。
夢子も、その会話を思い出した。
「先輩、しばらく里子のこと『あなた』呼びで。聞いたら『すみません。木下さんと村上さんって、なんか名前がごっちゃになってしまって、呼ぶ自信がなくなるんですよね』って。『じゃあ私、今は夢子でも良いですけど』って言ったら『えーっと、こっちが夢子さんになるってことは、村っ――違うか。……いや、良いのか。村上さんと夢子さんか。女子の名前難しいなあ』って。
そんな難しいかなって思って、私たち笑っちゃいましたよ」
奈月は、時折笑いながら話を聞いていたが
「なんか、直くんの敬語って、直くんがいきなり『押田さん』って言い出した頃を思い出すなあ」
と、ふと言った。
「いきなり言い出したんですか?」
夢子が聞く。
「そうなの。高校でいきなり。
相談もしないで、みんなの前で『押田さん』だもん。私ショックで。ちょっと頭にきて『あなたは森田くんで良いんでしたっけ?』ってわざと聞いて。それに『はい』って答えられちゃったから、なんかこっちも意地になっちゃって。
次の日の朝に玄関で待ち伏せして、謝れば良かったんだろうけど」
「えー。それは森田先輩が謝るべきですよ。相談なしはダメですよ」
夢子が、半分怒りながら訴える。
「謝れって言えればまだ良かったんだけど、言えなくてね」
「言えないもんですか?」
「言えなかった。もう昔みたいに戻れないのかなって思ったし。怖かったのかな。
怖いなら怖いで、恋してるんだってハッキリ分かれば良かったんだけどね。中学時代にほとんど関係持ててなかったから、分からなくなっちゃってて」
「でも、実際には好きだったんですよね?」
「亜紀たちが言うにはそうみたい。私の行動が、友達レベルじゃないらしくて。『久しぶりに優しくしてくれたからまた好きになり始めた』ってより『好きな人が久しぶりに優しくしてくれたから嬉しくて仕方ない』って感じらしくて。ベタ惚れまでが早過ぎるって言われちゃった」
「そんなに早くベタ惚れになったんですか?」
「そうでもないんだよ?
仲良くなれた朝、直くんが声を掛けてくれて、いっしょに通学する感じになって。でも最初は、すごくドキドキしたわけじゃないの。楽しく会話が出来て、ちょっと安心したくらい? もしここで話が終わってたら、大好きって確信出来てないと思う。
だけどその後、私の体調を心配して叱ってくれて。直くんにきちんと叱られたの初めてだから、なんだかすごく嬉しくて。きっと、私のためを思って言ってるんだなって。
学校終わって、直くんの部屋に話をしに行ったら、昔みたいに優しくしてくれて。私のことだけ考えてくれてるのが嬉しくて。
ちょっと慣れてきたら、昔の調子が出てきて。からかってみたら、もう反応がかわいくて。
嫌われたくなかったって言われたときに、なぜか好きだよって言えなくて。でも、嫌いじゃないよって言っただけで喜んでくれて、胸がギュッとなって。
元気になるまでずっと優しくしてくれるって、約束してもらって。家帰ったあと、明日からは森田くんに毎日優しくしてもらえるんだってニヤニヤしながら寝て」
「完全にベタ惚れじゃないですか!」
「ベタ惚れなの?
私、直くんに会いたくなって勝手にバイト先に迎えに行った日があって、そのとき『ダメだこれ。私どんだけ森田くんと会いたいのよ。森田くんのこと大好きになっちゃってる』って思ったんだけど。
そこがベタ惚れじゃないの? 会いたい気持ちが明らかに一段階違ったんだけど」
「ベタ惚れがもっとベタ惚れになっただけですよ、それは」
奈月は納得がいかなかった。
「待って待って。ベタ惚れって、どういう意味? 一番上の状態のことじゃないの?」
「他人に聞いてベタ惚れって言われたら、大体ベタ惚れですよ」
「えー、そうなのかな……。
直くん小説書いてて言葉に詳しいから、直くんがこの場にいたらベタ惚れの意味聞けたのに……」
「じゃあ、お風呂出たら聞いてみましょうよ」
「聞きたいこと溜まりすぎて忘れそう。
歌のこと聞くでしょ。私が歌と小説をバラしちゃったことを謝るでしょ。ベタ惚れの意味を聞くでしょ。もう酔ってないのか聞くでしょ。あ、ちゃんとお風呂で温かくしてたか聞くでしょ。飲んだ酔い止めの眠気の成分が急に出るかもしれないから、眠くないか聞くでしょ。――お風呂で寝ちゃったりしてないだろうな、あいつ」
「私、酔い止めあまり知らないんですけど、そんなに急に眠くなるんですか?」
里子が不思議そうにたずねた。
「一回そういうことがあって。
直くんやお互いのお母さんたちとここに来てるとき、お風呂の後に食堂に行って。
直くんがやけに大人しいから、私が直くんの耳触ってみたら熱くて。お薬で眠いんじゃないのって聞いたら、眠いって言うの。けどもう料理頼んじゃってたから、仮眠室に行けなくて。
直くん、食堂のど真ん中で私のひざまくらで寝ちゃって。たくさんの知らない人たちに『仲良しさんね』とか『わーかわいい』とか言われちゃって、恥ずかしかったあ。今回はああならないようにしないと」
「私、それ見たいんですけど。食堂でひざまくら」
「今は無理。絶対あの頃より恥ずかしい!」
奈月が断固拒否すると、後輩たちの笑い声が響いた。