秘密です
「森田先輩の小説に出たら、そんなエロい目に遭うんですか?」
夢子はまだ半信半疑で、笑っている。
「普通に登場する分には、あまり変なことはされないんだけど……」
奈月は、恥ずかしそうに笑った。
「秘密をバラした人は小説でセクハラするって、直くんが宣言してるんだよね。
既に夢子ちゃんは、小説で一回ヒロインにされてて。直くんのお気に入りキャラ状態なのよ。だから夢子ちゃんにセクハラする小説を書きたがってると思う。
もし夢子ちゃんが私に秘密をバラさせたってことになったら、小説で何されるか分からないよ?」
夢子は、少し意外に思った。
「森田先輩のお気に入りとか、そんな感じしないんですけど。
私、どんな感じのキャラになってるんですか?」
「えっとね。そもそも、その小説を書くきっかけがあって。付き合いで行った合コンで無理矢理アルコール飲まされそうになって、すごい怖かったんだよねーって話を、直くんがクラスメイトの女子から聞いたのね。
その話を元に直くんが、勝手に夢子ちゃん――あ、名前は違うんだけどね。明らかに夢子ちゃんをモデルにしてる子が、酔わされる話で」
「酔わされる話ですか? やっぱ私、猫の件で森田先輩に恨まれてるのかな」
夢子はまた笑って、湯船の中で気持ち良さそうに体を伸ばした。
「それは全然気にしてないと思う。
小説の夢子ちゃんも、かわいくて元気で。すごく良い子に書かれてるから。この先輩ってお人好しだなーって思って、いつも適当にからかってあげてるって設定で。恨みがあったら、あんな風に書けないと思う。
えっと、小説の最初どんなだったかな……。
――ああ、思い出した。
ある日、夢子ちゃんのバイトがもうすぐ終わるって頃に、男の先輩たちにアルコール飲まされて。新しいジュースに見せかけて、実はアルコールを混ぜてある飲みやすいやつ。それをゴクゴク飲んで、夢子ちゃんが眠くなっちゃうの」
「いきなりひどい展開ですね」
「でも、大丈夫なの。
バイト終わった夢子ちゃんが『試作品のジュース作ってもらっちゃいましたよ、美味しいです。先輩もこれ飲ませてもらいました?』みたいなメールをして。直くんをモデルにしたキャラが、これは怪しいと思って急いで電話して。
眠くないかとか、ふらふらしないかとか、体熱くないかとか、女性店員は今他にいないのかとか、色々聞いて。
それはアルコールを飲まされたのかもしれないって直くん――っぽいキャラが言って、寝るなって注意して。もしバイトの先輩が帰りに付きまとってきたら、今から俺とデートの約束があって、俺が迎えに来てるって言えって。
直くん、すごく心配して。『着替えるから二分だけ電話を切るけど、絶対に寝るなよ。寝たらスカートの中を盗撮されると思って、電話し直すまで絶対に起きてろよ』って、念を押して。
そしたら、電話切った途端に本当にバイトの先輩が言い寄ってきてね。夢子ちゃんは直くんに言われた通りに説明して、追い払うの。
夢子ちゃん、とりあえずホッとして。森田先輩がいなかったら慌ててたかもって、心の中で感謝して」
「なんか、わりと真面目な小説というか、シリアスなんですね」
「そこまではシリアスなんだけどね。
走ってきた直くんが合流してからはもうダメ。
会うなり『アルコールかどうか知りたいから、とりあえず息を吸わせろ』って直くんが言い出すわけ。
バイト先でガーリック味の唐揚げを食べちゃってた夢子ちゃんは、歯磨きしてからじゃないと嫌って拒否して」
「ああ、ガーリック唐揚げ実際によく食べてます。ネタにされたかあ」
夢子は恥ずかしそうな顔をして、頬を指で掻いた。
「直くんは『そんなこと気にしてる場合じゃないだろ、アルコールの匂いが分からなくなったらどうすんだ。高校一年生を騙してアルコール飲ませたんだとしたら、相当な悪意だぞ。俺が寝てたら何かあったかもしれない。迎えに来たんだから、息くらい吸わせてくれても良いだろ』って怒って。
夢子ちゃんは直くんの怒ったところ見たことないから、もうびっくりして。
恥ずかしいけど、仕方なく息を吐いて。直くんは遠慮なく息を吸ったくせに『なんかよく分からなかったからもう一回』って言うわけ。さすがに夢子ちゃん、もうヤダって怒って」
「うわあ……。
助けにきてくれたその流れでさすがに怒りはしませんけど、実際に息を目一杯吸われたら相当恥ずかしそうですね」
夢子は想像しただけで顔が熱くなり、自分の頬をさすった。
「匂いが嫌なら体温や脈を調べるぞって直くんが言い出して、夢子ちゃんのおでことか耳とかベタベタ触って、手首握って脈を確認したり、色々やって。夢子ちゃんは、まあ息を吸われるよりましかと思って我慢するわけ。
ふと夢子ちゃんの顔を見た直くんが『あれ? よく見たら顔がものすごく赤いじゃん! やっぱりアルコールだよ!』って大声で言って、夢子ちゃんが『こんなセクハラされまくったら赤くなりますよ! 先輩バカでしょ!?』って顔を隠して。
直くんは、夢子ちゃんに嫌われたと勘違いして、たくさん謝って。夢子ちゃんが、悪気はなかったんだろうなって思って微笑むの。
最後は夢子ちゃんが『セクハラのお詫びにご飯をおごってくれても良いですよ。それと、先輩に言われた通りデートってウソついて逃げてきたんで、この先バイト中は恋人のフリってことでお願いします。ついでに、同じ時間にバイト入ってボディガードになって下さい』って言って。
直くんが困りながら『やっぱり酔ってるんじゃないの?』って聞いて『秘密です』って夢子ちゃんが上目遣いで笑ってみせて、おしまい」
「え、なにそれ。私、そういう終わり方って好きです。
思ったより起承転結がしっかりしてるんですね。少女漫画の読み切りみたいで」
「だよね、わりと良いよね。私もこの話の終わり方、好きで。
珍しく終わり方がすぐに思い付いたって、書いた本人も言ってて。直くんの小説の中では評価点の伸び方がわりと良いみたいで、喜んでた。人気が出たら続きを書きたいって」
「良いですよね。オチが漫画っぽいっていうか。
私、小説ってまともに読んだことないですけど、今のはちょっと読んでみたいです」
「わあ、良かった。夢子ちゃんが興味持ってくれたなら、直くんも小説バラしたこと許してくれそう」
「逆に私、小説の出演料としてエビフライ定食おごらせますよ。小説のお願いの再現ってことで。先輩におごりたい願望があるなら怖いものなしですし」
「良いなあ夢子。安心しておごってもらえるじゃん」
と里子が羨む。
「里子ちゃんも、絶対に大丈夫だと思うよ」
直人の性格を重々承知している奈月が、太鼓判を押した。
「もしダメでも、私がおごってあげるし」
里子は
「嬉しいですけど、良いんですか? 何度も聞いちゃってますけど」
と、遠慮がちにたずねる。
「私みんなに感謝してるから、それくらいさせてほしくて。
十五人揃ってバスを貸し切りに出来たから、直くんがちょっと安心してあの歌を作れたんだと思ってるから。
もし隣が怖いおじさんとかになって、緊張して吐きそうになってたら、きっと歌詞考えてるどころじゃなかったと思う」
「歌、すごく嬉しかったですか?」
「うん。もう不意打ちだったからね。
恥ずかしい話、一人だったらとっくに泣いちゃってる」
「そういえば、小説は隠してるのに歌については秘密にしてないんですか?」
里子はふと思ったことを聞いてみた。
「――そうじゃん、秘密じゃん!」
一呼吸考えてから、奈月がそう言った。
「最初は遥さんが自分で歌を作ったような言い方してて、私がたまたま直くんの歌って気付けただけなんだよね。それで、仕方なくバラしてくれた感じで。ってことは、誰にも秘密なはずだったんだ。
どうしよう。私その辺のこと気付かないで、みんなに言っちゃった。直くんに謝らないと」
「だ、大丈夫ですよっ!」
「大丈夫? 嫌われない?
でも私、小説も歌も両方バラしたんだよ?」
奈月が不安そうな声を出す。
「わざとじゃないことを丁寧に説明すれば、平気ですよ。ようするに、奈月先輩が歌詞に感動し過ぎて、少し勘違いしちゃったわけで。嬉しくてそうなっちゃったって言って、ガンガン怒る人じゃないですよ」
「ありがと。許してくれるまで謝る……」
今にも泣きそうな顔をしながら、奈月は返事をした。
そのとき、夢子が笑顔で言った。
「奈月先輩、かわいすぎますって! そんな顔で謝られたら、森田先輩きっと一瞬で許しちゃいますよ」
「許してくれるかな?」
奈月は照れながら、目をこすった。
「許してくれますよ。笑いましょ笑いましょ。悩み事はお風呂から出てからで」
「そうだね、笑おう。夢子ちゃん、良いこと言う」
「お風呂できれいになった奈月先輩見せたら、森田先輩なんて余裕ですよ」
「よし、きれいになってメロメロにさせよう。もうちょっと経ったら、牛乳風呂でお肌スベスベにしてくる!」
「私たちも行って良いですか?」
「もちろん。いっしょにきれいになろ。
夢子ちゃんたちも、気になる人とかいたら写真送ってドキドキさせちゃいなよ」
「あ、そうそう。私の相談乗って下さいよ」
「どうしたの里子ちゃん」
「さっき二宮先輩にも相談したんですけど、私まだ恋をしたことなくて、ドキドキと恋の違いがよく分からなくて。
相手が格好良いからドキドキしてるだけなのか、それとも――」
数分後、笑い声がハーモニーしたときには、さっきまで涙目だった奈月も、もう笑っていた。