2章:人間
時はほんの少し戻り。
強力なネイキッドであるピードにマッド・ウルフリーダーのビネフが敗れ、その後に突如現れた三武家当主とピード達3人が衝突をし始めた頃。
1人の青年は町の外の平原を走っていた。
仲間であるノーマルの群れの中をくぐり抜けるように移動する青髪の青年、エイル。
先程目の前で展開されたビネフとピードの戦いに決着が付くと同時に、彼は突如として走り出した。
慌てたジカルの静止を振り切り、集中させていた魔力を霧散させて彼は走る。
ヒューマン……それもネイキッドであった為自分の正体を知らずにネットの村で暮らしていたエイルは、目の前で起きた惨事に我慢出来なかった。
こんな戦いを仕掛けているのだから、ある程度の人間の犠牲が出ることは覚悟していた。
しかし、それはあくまで軍の機能を停止させる為に事故のようなものに限られるとエイルは楽観視していた。
しかし。
ビースト達の所業。
協力者であるはずのサールの町の人達が気絶すると共に湧き出る謎の黒い煙。
そしてそれの処理をすると同時に、トラルヨークの町中へとサールの町人達をまるで回収するかのように連れていく軍の人間達。
それを黙って見てきていたエイルは、明らかに様子がおかしいこの状況に、更に疑念を深めていた。
軍の人間達にも犠牲者が出ており、更には後続で現れた赤い衣装を着込んだ集団にも僅かではあるが犠牲者が出た。
しかも赤い衣装を着込んだ者達を殺めたピードは、仕方なく殺めたという感じではなかった。
どう見ても実力差がある相手を、まるで弄ぶかのように殺した。
(どうなってるんだ!?)
エイルの心の中は、周りのこの状況への疑問で溢れていた。
ジカルが提案したのは、あくまで軍の機能停止。
ネットの村の住人の誰かの通報により、エイルを追う軍の機能を停止させることだけが目的だったはずだ。
それなのに、明らかに軍の人間ではない者を、ピードは殺した。
彼の実力なら、殺さずとも気絶させることが可能なはずだ。
トラルヨーク軍の人間達や、後に現れた赤い衣装の男達ですらサールの町の人達を殺さずに気絶させているのにだ。
(どうなって……いったい……どうなって!?)
自分でも驚く程に、あまりに突発的に彼は走り出していた。
何かを考えた訳では無い、本能のようなものだ。
彼が向かう先、それは前で起きている戦いの当事者の元だった。
ノーマルやビーストの群れの中で戦い続けるネットの村に現れた5人。
そんな彼らを迂回し、エイルはピード達の元へと走る。
(ぼくは……間違っているのか?)
エイルも身体能力に秀でたタイプのヒューマンである。
ピード程のスピードは無いが、それでも普通の人間よりは断然早く、彼が目指す場所への距離はみるみる縮まっていく。
彼の視界には新たに現れた3人とピード達3人が激しい戦いを始めている様子が映り、彼の緊張感は高まる。
あの3人と対等に戦える程の人間の3人、彼らからしてみれば自分もヒューマンの一体でしかない。
下手すると攻撃される危険もあった。
しかしそんなエイルの心配は他所に、新たに現れた人間3人は幸運なことにこちらに気付いていない。
いや、気付いているかもしれないがこちらに意識を向ける暇がないのだろう。
実際、彼ら3人の中で最もガタイのいい男は、ワパーとの戦いの隙を見てこちらを流し見てはいる。
完全に気付かれている。
しかしエイルはそんなこと気にせず、エイルは目的の人物の元へと走る。
その人物、赤い衣装を着た痩せ型の男。
ピードによって斬られ、瀕死の重体で倒れ込んでいる男。
(助けなきゃ……!)
エイルはその男、ビネフの元へとたどり着くと同時に、ジカルからいざという時のためにと貰っていた治療薬や包帯などを取り出すと、それを使っておっかなびっくりと治療を始める。
知識はない上に慣れてない処置であるため、効果があるかは分からない。
それでも何もやらないよりはマシだと、エイルは必死にビネフの治療を続ける。
(傷口が大きい……!)
エイルは、あくまで自分が傷を負った時のための治療品しか持っていない。
こんな大きさの刀傷を処置できるような物はない。
(血が止まらない……どんなに処置をしても。)
エイルは目の前で消えゆく命を前に焦り始めていた。
この世界の魔法には回復が可能な聖魔法が存在する。
しかし、それは生まれつき普通の人間とは違う魔力、聖魔力。
100年に一度生まれるかどうかのその魔力を持った人間でないと使用することが不可能な、非常に稀な存在だ。
聖魔力を持った人間は癒しの魔法を使うことが可能な代わりに、普通の魔力を持った人間なら使える魔法が軒並み使えない。
つまり、騙されてるとはいえマジック・ブラスターを使用出来る彼は聖魔法の適性はない。
噂でしか聞いた事のないそんな存在に縋るように、エイルは必死に処置を続ける。
(どうしたら……! ぼくは……人間を死なせたいわけじゃないのに……!)
泣きそうになりながらも、必死に処置をするエイル。
そんな彼の手は急に止まる。
エイルが諦めた訳では無い。
彼の手を掴んだ者がいたのだ。
「おまエ……向こうかラ……きたナ?」
「……!?」
エイルの腕を掴んでいたのは、今まさに治療を続けている存在。
ビネフだった。
「お前モ……ヒューマン……だナ?」
「……そうです、それよりも今は喋ってはいけない!!」
不思議な事だった。
エイルは自然にこの男に自分の正体を明かした。
隠していた訳では無いが、この状況で明かすような情報でもない。
ヒューマンだと知った相手がこの傷で慌てて逃げ、取り返しがつかなくことすらあるのだ。
しかしそれでも、エイルはこの男相手にそれを隠すという考えは一切浮かばなかった。
「お前……ロイス……に似てるナ?」
「喋ってはダメです!」
「お前から八……邪悪な雰囲気を感じなイ……まるでロイスだネ。」
ビネフから浴びせられる理解できない言葉。
しかし不思議と、そのロイスという存在が普通の人間ではなかった。
そう理解出来る。
「君ニ……聞きたイ。」
「……言っても無駄みたいですね、なんですか?」
ビネフはエイルのその返答を聞き、まるで何かを思い出すかのように力なく笑いだす。
声なんて出ていない、笑う力など残っていないのだから。
「君八……ヒューマン? それとも……人間カ?」
エイルはその質問を聞き、頭が真っ白になる。
治療中でありながら、自然に手は止まり、なんと返そうか悩んでしまう。
ネットの村で明かされた自分の正体。
人間だと思っていたら、世間で凶悪な存在……天災とも呼ばれるような強力な魔物だった。
村の人達からの通報で軍から狙われている、そう教えられ、自身の正体へのショックと納得のできる状況。
その2つが合わさってしまった故に、彼はネットの村を衝動的に飛び出してしまった。
しかし、今の彼の心の中には疑念が生まれていた。
本当にネットの村の誰かが通報したのだろうか。
「ぼくは……。」
エイルが答えようとしたその時、彼の近くに1つの物が投げ込まれる。
ビネフを挟んだ先に落とされたそれをエイルは手に取り、中を見る。
その物品の中身、それは傷の縫合を行う為の糸と針だった。
「……!?」
彼は物品が投げ込まれた先に目線を動かす。
そこには、ピードと戦う甲冑を着込んだ男が立っていた。
こちらに背を向けてはいるが、この物が投げ込まれた先には彼ら二人しかいない。
この男を殺そうとしたピードが投げ込むわけはない。
となると、投げ込んだのは甲冑の男の方だろう。
「……質問は後です……先に縫合します!」
「そうカ……後で聞かせてくれヨ?」
「……はい。」
エイルは投げ渡されたそれを使い、縫合を始める。
今までのやる意味のあるかわからない治療よりは効果はあるだろう。
勿論、エイルに治療の知識はないが。
まるで糸で布を縫うかのように、彼は縫合を続ける。
それから数分後、彼の縫合は7割ほど終わっていた。
拙い技術である為、かなり時間が掛かってしまっている。
既にビネフの意識はなく、彼の質問に応える暇もなかった。
血を失った影響により気絶してしまったようだ。
「ぼくは……ぼくは……。」
「何をしてるのですか?」
ビネフの治療を続けるエイルの後ろから、聞きなれた声色が聞こえる。
その気配、声色。
それは間違いなくここ最近で世話になった人物だった。
「人間を治療しています、ピードさんによって殺されかけている人を。」
「馬鹿なことを、君の目的はそんなことではないはずです……軍の機能を停止させるため、貴方には最も大切な役目を与えたはずです!」
ジカルから教わった、マジック・クラッシャー。
人工物への破壊には長けているが、生物への影響は無いと教えられている魔法。
それを使いトラルヨークを半壊させ、軍の機能を復興に費やさせること。
それがジカルから教わった計画だった。
今のエイルの行動は完全なる作戦無視である。
「そんなことでは……貴方はトラルヨーク軍に!」
「すみません……でも、ほっとけなくて。」
エイルはジカルと会話をしながらも、治療するては止めない。
人間を救いたい、そう考えるエイルの気持ちは嘘ではない。
「そんなことをしている暇はありません、その人間はもう虫の息です……治療なんて意味はない!!」
「やってみなければわかりません!」
「君を通報したのは人間なのですよ、なぜそんな存在を助けるのですか!?」
エイルはジカルの言葉から何かを感じとった。
縫合する手は止めず、彼の言葉を意識の中で反芻する。
違和感。
そう、彼の中で抱き始めていた違和感。
それを微かに感じとると同時に、この状況から感じ取った空気をも、エイルは理解する。
「人間を助けては……いけないのですか?」
「今はその時ではないと言っています、君の使命は軍の機能を破壊すること、人間1人助けたところで意味はない、無駄なことです!」
「何故ですか、ぼくは最初から言っています……無闇に人間を殺すことは嫌だと……ぼくは助けられる命なら助けたい……それなのに……なぜ、無意味だと? 無駄だと?」
エイルの不穏な雰囲気を感じとり、ジカルは内心で使う言葉を間違えたかと思案する。
エイルの空気は、疑問を呈する……というよりも、追求するようなものだったからだ。
「確かに、マジック・クラッシャーを使えば建物が崩れ、巻き込まれる者も出る……しかし、あくまでぼくが渋々了承した犠牲はそこだけなんです……貴方達なら人間程度殺さずに無力化出来るはずだ、それをなぜしないのですか?」
「彼らが我々に殺意を持っているからです、確かに我々ヒューマンならば人間など取るに足らない……しかしノーマルはそうはいかない。」
エイルは遠くの景色を見る。
そこには数多くのノーマルの死体が転がっている。
勿論人間の亡骸もそこそこあるが、最も多いのはノーマルの死体だ。
「彼らを守るためには、人間の数を減らす必要がある。」
「……そうですか……確かにそれなら納得できます。」
エイルはビネフの縫合を終え、その場から立ち上がる。
そして彼は、片手を広げて再度魔力を集中させる。
その様子を見たジカルは安堵した。
エイルは何かを感じているようだが、それでも無理やりにでも説き伏せられた。
彼の力は、空いた四天王の席を埋める為にも役立つ。
こんなところで敵対する理由などない。
「便利ですよね……人工物だけを破壊する魔法って。」
「そうですね、我々魔術師も重宝しています。」
「なるほど。」
エイルは片手に魔力を大量に集め、それを変換せずに発現させる。
そしてそれをトラルヨークへと向ける。
「ぼくは……悩んでいたんです……今助けた人間の方にあることを問いかけられましてね……ぼくはなんなんだろうと。」
「ほう……この死にかけの人間にですか?」
「はい……それと、さっきのジカルさんの言葉でもぼくは悩むことになりました……だから今からそれを試したいと思います。」
ジカルは何故か湧き上がる嫌な予感を感じとり、目線をエイルへと向ける。
彼の手に生成されたマジック・ブラスターは、真っ直ぐにトラルヨークに向いている。
それなのに、何故かジカルは冷や汗が出始めた。
「ぼくは……確かに常識がない、ネットの村で引きこもっていましたから…………それでも。」
エイルは手の前に巨大なマジック・ブラスターを生成し終え、それを操る。
打ち出すまでであれば、多少の操作が可能だからである。
「やはり……ぼくのことは……ぼくが考えたいんです。」
エイルはマジック・ブラスターを真っ直ぐに打ち出す。
それを行う前に、軌道をそらしてから。
「な……!?」
驚くジカルの目線の先で、トラルヨークから逸らされたマジック・ブラスターは、見事に魔物の集団へと命中する。
鳴り響く轟音と同時に、それの威力で吹き飛び、体が破裂したかのように爆散する魔物達。
マジック・ブラスターの命中した箇所の砂埃が少しづつ晴れていくにつれ、エイルの表情はみるみる険しくなっていく。
「おかしいですね。」
エイルの突然の凶行に驚くジカルは、ゆっくりとそんなことを話したエイルに視線を移す。
「生き物には効果がない魔法のはずなのに……魔物達が地面の崩壊によるものではない形で死んでしまいました……不思議ですね。」
「あな……貴様……なんのつもりです!?」
「それは……こっちのセリフですよ。」
エイルは怒りに燃えた表情でジカルへと向き直る。
「ぼくを……騙していたんですか?」
「くっ……!?」
「ネットの村の誰かが通報したのも……、軍がぼくを狙ってるのも……教えられた魔法すらも……!!」
ジカルは思わずたじろぐ、そして自然に手に持っていた杖を強く握り直す。
「この人に聞かれた質問……ぼくは今答えようと思う……確かにヒューマンは恐ろしい存在です、ぼくの正体がそんな存在だなんて信じられなかった……けど、ジカルさん……貴方の所業を見て確信しました。」
ジカルに近づくようにエイルは足を進め、ジカルは逆にエイルから距離を取るように移動をする。
「ぼくは……人間だ!!」
力強い発言と共に、エイルとジカルはどっちともなく距離をとる。
そしてジカルは体の至る所に魔力を集中させ、エイルは首を回して肩を回す。
「許しません……ぼくはネットの村の人達に……ぼくを追ってくれたあの5人にとんでもないことをした……そんな貴方達が人間の町を滅ぼすつもりなら!」
「ど……どうすると?」
「ぼくが……貴方達を止める……戦闘は苦手だけど……諦めさせてやる!!」
最早言い訳が通用するタイミングではない、そう感じたジカルはため息をつくと同時に、彼を殺すことを決めた。
「後悔……しますよ、この極魔……四天王のジカルと戦うことに!!」
エイルは距離を取り、近くに倒れるビネフから離れ、ジカルはそれを追う。
三武家当主達のいる場所から少し離れた場所でどちらからともなく戦闘を開始した2人。
戦闘経験では完全に負けている相手であるが、エイルは恐れない。
「必ず……止める……!!」
ミナが応急処置用の物を持っているのと同じく、ザベルも当然持っています。
ビネフとエイルは最初から巡り合わせる予定でしたので、ようやく書けました。