閑話:強敵
集団で活動する習性のあるノーマル、ホーネットが大量に生息する事で有名な、世界の東側にある広大な森林の真ん中。
そこに存在するネット村という小さな集落とも呼べるその場所に1人の男がベッドの上で何かを警戒するようにある1箇所を見つめ続けていた。
その男の体には真新しい包帯が巻かれている。
この村にこの男がやってきて、今の状態になるまでにおよそ1週間程の時間が経っていた。
傷の状態は、とあるゴーレムとの戦いの時と比べればかなりマシになっているが、この村の医者からもう何度目かわからない程に絶対安静を厳命されており、この男は既にゲンナリとしていた。
しかし、彼はそんなことは忘れたかのように。家主の居ないこの家。
彼が寝ている部屋の一部分をじっと睨みつけている。
「そろそろか……?」
声の主であり、この部屋で傷を癒している張本人であるナムは、ただひたすらに部屋の一部分……扉を見つめている。
ナムは時々部屋の時計へと視線を向け、今の時刻を確認する。
先程医者に包帯を取り替えてもらい、簡単な食事を済ませている。
そう、丁度昼を少し過ぎた辺りの時刻である。
彼が不思議と警戒を続ける存在は、ココ最近毎日のように大体この時間を狙って襲撃してくるのだ。
始まりはゴーレム、ハルコンとの戦いに決着が着いた翌日。
医者の言う通り大人しくベッドで眠り、そのまま朝どころか昼近くを迎えた時のことだった。
(そうだ、アレが始まりだった。)
ナムはその時の光景を思い出し、苦い顔になる。
思えば初めて遭遇した時から思っていたのだ、ヤバイ奴だと。
しかし、ヤバイ奴だと思いつつもここまでの事をする程の奴には思えなかっただけに、その時の光景は酷く記憶にこびりついている。
(他の奴はムカつきはするがマトモだと……いや1人はスゲー腹立つな。)
警戒している存在があまり得意ではない彼は、どうしてこうなったのか自問自答するように頭を抱える。
しかし、いくら頭を抱えた所で今の問題を解決出来る訳では無い。
そんな事より、扉をしっかり警戒すべきだと考えたナムは再び意識を扉へと向ける。
しかし、ナムはそこで息を飲むような光景を見たのだった。
(いつの間に。)
ナムの視線の先、この部屋の扉はいつの間にか僅かに開いていた。
そればかりでは無い、扉の向こうには微かに気配までするのだ。
日を跨ぐ度にどんどん気配を感じ取りにくくなっており、意識を外に向けていたナムは気付かなかったのだ。
(どんどん成長してやがる!)
その成長を別の事に発揮すれば良いだろうに、と内心悪態をつくが、自分を敵から守る扉が既に僅かにでも開かれている今、最小限の開閉音でその存在はこの部屋に入れてしまう。
敵にとって都合良い状態となってしまっていた。
歩いて自ら閉めに行けば良いのだろうが、自身の傷と医者がそれを許さないだろう。
特に医者に動いたなどと知られれば小言の嵐である。
ナムは大きくため息を吐いてから、視線を扉の隙間に向ける。
(医者と仲間達が居ない時間を完全に把握してやがるな。)
最初の頃はミナ達がいる時間、または医者のいる時間に現れたこともあった。
その時は彼等が全力で追い払ってくれた訳だが、最近は完全にそういう現象は起こっていないのだ。
改めて自分の体の状態が憎らしい、と本気で感じ始めていた。
(さっさと治してこの地獄から脱する……いる!)
ナムの思考は途中で中断される。
部屋の扉の隙間、そこをひたすら見つめていた彼の目が何かを捉えたのだ。
その僅かな隙間に見えたもの、それは目である。
しかも1つでは無い……上下に2つの眼球が存在し、それ以外に見えるものは横の顔の僅かな部分のみ。
体はその下には無い、それも当たり前のことである。
その上下2つの目は床に近い隙間に存在するのだから。
(変な所頭良いな!?)
ナムは敵の謎の頭の良さに悪態をつく。
床近くに目が2つ見えている、つまり敵は床に寝転がり、扉の隙間から両目で部屋の中を見ていることになるのだから。
僅かな露出だけで覗き見ることの出来る姿勢を自ら編み出したのか、誰かからの入れ知恵なのかはわからないが、恐ろしい程の執念である事は間違いない。
そして、見付かった事に気付いたのかは不明だが、目は扉の横へと移動していき、頭と思える部分が通過した後に見えなくなる。
ナムは自分自身を狙う存在であることを、その光景を見て確信すると、敵の襲来に備えて身を構える。
見付かったとわかれば、奴は部屋の中に堂々と侵入してくるのだから。
(いつまで続くんだ……これ。)
ナムは半分呆れ、そして敵の謎の執念に脱帽する。
そして、その時。
部屋の扉がゆっくりと開かれていく光景を目にしたナム。
見付かったのでは、と思いながらも見付かっていないという僅かな希望を敵が持った上での慎重な行動なのが見て取れる。
今のナムにとって、その慎重な行動は結果的に敵の襲撃の時間が遅れることにも繋がり、僅かに精神を落ち着かせる時間ともなる。
しかしその時間も僅かであり、敵の体が扉を通れる程度まで開放すると同時に、その存在が姿を現す。
「また来やがったな。」
この敵はナムの言葉に対して答えず、両掌を前に向ける形で腕を横に広げた。
その姿は犬や猫を前にした子供が取る……そう、触りたくて仕方ないといったようなポーズだった。
そんな格好を取った人間の少女は、同じポーズのままジリジリとナムに向かって歩み始める。
ネット村に住む子供であり、いつも4人で活動する集団の1人。
ナムの筋肉に異常な執着を見せるその少女が、ここ最近ずっとナムに纏わりついていた。
「何がお前をそんなに駆り立てるんだよ!?」
「そこに大きなうでがあるからだよ!」
そう、ハルコンとの戦いが終わり、セクト長老からのエイル奪還の依頼を受けたその翌日。
腕になにか違和感を感じたナムが昼頃に目を覚ました時。
いつの間にか家に侵入していたこの少女に腕を撫でまくられていたのだ。
それからである。
ナムが動けないことを良い事に、毎日のようにこの部屋に来ては隙を見て触ろうとするのだ。
「今日こそはさわらせてもらうよ!」
「触らせねぇよ!?」
ナムの返答も虚しく、彼女はジリジリと近付いてくる。
以前に触ろうと飛びかかった際に、首根っこを掴まれてその目的を果たせなかったことがあったせいか、やたらと慎重になっていた。
そのせいでこの争い(?)は長期化し、仲間達が様子を見に来るその時まで続く。
それが最早2~3日続いていた。
それより以前は部屋に侵入すると同時に、ミナや医者に捕まって、リィヤに引き渡された後に外に連れ出されていたからこそ、まだ2~3日で済んでいるのだが。
「あのこわいおねえさんと注射のおじさんがいない今がチャーーンス!」
「ふざけんじゃねぇ!?」
「減るもんじゃないじゃーん、すこしだけ!ちょっとだけ!うでとか体さわらせて!」
「それはちょっととは言わねぇ!?」
少女が腕を広げたままにじり寄り、ナムは彼女がいつ飛びかかってきても対応できるように神経を張り巡らせる。
下手な魔物相手よりも緊張感のある睨み合いがただひたすらに続き、ナムにとってはそれが永遠のように感じ始めたその時。
彼女はとうとうその場から動き出し、ナムに向かって突撃を開始する。
子供だからこその低身長から更に姿勢を低くし、ナムの拘束から逃れるように腕を掻い潜る。
まさか更に姿勢を低くするとは思わず、ナムの腕は彼女の頭上を空振っただけで終わってしまったのだ。
そして、それを避けただけで油断せずに彼女はその場から後ろへと跳ぶ。
ナムの腕が真上から向かってくることを予測し、位置をずらすことでそれを避けた彼女は、その場から素早くナムへと向かって再び走り出した。
腕を伸ばしきったナムはすぐには反応出来ず、その隙をついて彼女はその伸ばしきった腕へと真っ直ぐ突き進む。
「もらったよぉ!!」
「その執念本当になんなんだてめぇ!?」
子供相手に本気を出す訳にもいかない上に、彼はベッドの上から動けない。
いくら三武家、ブロウの跡継ぎとはいえ、自由に動ける上に身軽な少女相手には無力である。
傷付けられない相手への有効打が乏しい事、彼はそれを酷く痛感したのだった。
少女の腕がナムの腕へと迫り、最早大人しく撫でられるしかないとナムが覚悟した。
しかし、そこで彼にとっての救世主が現れたのだった。
「まぁた君か!!」
「んひぃ!?」
背後から聞こえた声に驚き、ナムの腕を掴んでいた彼女は背筋を伸ばして固まったのだ。
そしてゆっくりと首を後ろへと向け、声の主を確認するや否や、ナムの腕を素早く撫で回してから咄嗟に離れる彼女。
扉の近くに居たのは、何故か再び来たこの村の医者だった。
50近い年齢だが、髭などはしっかり剃っており、見た目だけなら大変若々しい。
彼のその手には、本来持っているはずのカバンが無い。
「あれ……今日はもう治療おわってたよね?」
「忘れ物をしてな、戻ってきたんだよ。」
少女は辺りを見回すように視線を動かし、床に放置された医療カバンが目に止まった。
恐らくこれが彼の忘れ物であろう。
「さて、君は何をしているのかな?」
「じゃーね!!」
最後に名残惜しそうにナムの腕をひと撫でしてから、彼女は足早に部屋から出ていこうとする。
しかし、医者はそんな彼女を捕まえて抱き抱えると、床に放置した医療カバンを手に取った。
そしてその場で振り返ると、彼は一礼をした。
「すまない、彼女にはよく言っておくよ……親も混じえてな。」
「え……ママにはいわな」
「頼んだぜ。」
腕から脱しようと暴れる彼女を強く保持したまま、医者は再び一礼すると部屋から出ていく。
結局腕をしっかり撫で回されたナムは、大きくため息を吐いた。
「ミナ達の誰かに交代で居てもらうか、それが良い。」
次の仲間の訪問時に願い出ることを強く決意した彼は、ようやく来た平穏な時間を強く噛み締める。
「ああいう手合いをいなす練習をしといた方がいいな、なるべく早く。」
魔物相手には全く役に立たない技術の練習を、訓練をサボる事の多い彼が本当に強く決意したのだった。
勿論。
この争いがこれで終わらなかった事は言うまでもないことだった。
閑話は基本的にこんなノリになります。
さて、活動報告に記した通り、今回から月曜投稿にしたいと思います。
結果的に7日投稿に伸びますが、ご了承ください。