2章:業火
日が沈み、辺りの視界が暗くなる時間。
トラルヨークから北東に位置する小さな町、<マセヌ>は夜にも関わらず辺り一面に明かりが灯っていた。
町の建物の明かりや見張りのための松明とかでは無い。
防護壁や壁近くの建物を無慈悲に燃やす炎の明かりだ。
「これ以上奴に好き勝手やらせるな!」
町の1部が燃え盛る中、大声を上げてこの事態を引き起こした張本人相手と対峙する軍の人間と町の警備隊達。
彼等の前には1人の人型の生物が存在した。
頭が火炎のような形をしており、その頭の先から炎を噴出し続ける生物。
この事態を引き起こす直前にアグニスと名乗ったその魔物は、警備隊や軍からの攻撃を受けながら上機嫌に町に少しずつ近付いていた。
彼の体には無数の鉛玉や魔法が命中しているのにも関わらず、一切怯むことは無い。
「なんだアイツは……なんなんだアイツはぁ!?」
「言ったじゃねぇか!アグニス様だ!」
身の回りに炎を纏いながら移動するアグニスに向かって、半分錯乱した様子で必死に攻撃をする町の人間達。
魔術師達が放った水魔法すらも一瞬で蒸発させる猛火を潜り抜けた鉛玉や魔法が彼の体に何度も命中するが、アグニスと名乗った魔物は痛みを感じた様子は一切無く、侵攻を止めるには至らない。
「肩慣らしで来たんだ、もっと楽しませろよ!」
「ひ、怯むな!!攻撃を続けろ!」
マセヌの軍のトップの上擦った号令が響き渡り、更に町の人間達の攻撃が激しくなる。
しかし、それを体にかなりの数受けながらもやはり一切ダメージが見られない。
それどころか、彼が近付くにつれて周囲の気温が上がり、徐々に町の人間達の体力を奪っていく。
アグニスが体に纏わせている炎によってだ。
マセヌを守るため、体中に流れる汗を気にもせずに立ち向かっている彼等をまるで嘲笑うかのように高笑いを始めたアグニスは、火炎型の頭の先から更に炎を噴出し、それをまるで自分の腕のように自由自在に操り始めた。
「こ、攻撃しろ!あの炎を何とかとめ……」
「ガッカリだぁ、これじゃ肩慣らしにもならねぇや……!!」
アグニスの操る炎が無慈悲に町の人間達に高速で襲いかかり、大勢の人間達を飲み込む。
「ひぃっ!?」
運良く炎から逃れた人間達もあまりの熱さに苦しみ、炎が再びアグニスの元へ戻ると、咳き込む者達、体の表面が赤くなった者、直撃していないにも関わらず熱さにやられて倒れ込む者。
そんな彼等が、炎に巻き込まれた仲間達を確認しようと視線を向けた時だった。
「うっ!」
大勢の人間達が口元を抑え、1部の人間達は嘔吐し始めた。
彼らが目にしたもの、それはさっきまで一緒に戦っていた仲間達……だった人型の炭。
それが辺り一面に転がっている光景だった。
「一気に死なれちゃ楽しくねぇだろ、残してやったんだからもっと頑張れよ、おら!」
仲間達を大量に葬った炎を再びまるで遊ぶかのように操るアグニスを見る生き残った町の人間達の表情は恐怖に染まっていく。
「い、いやだ……あんな死に方したくねぇ!!」
「お、おい待て!?」
仲間達の無惨な死に方を目にした1人の人間が、アグニスに背を向けて逃げ出し始めた。
あまりの恐怖に、仲間の静止も振り切って全力で逃げ出す男。
「勝てるわけねぇ!あんな化け物に……俺は先に家族を逃が……!」
しかし、その男1人を狙い撃つように頭上から巨大な炎弾が直撃し、逃げ出した男は一瞬にして炭へと変わる。
「誰が逃げていいと言ったぁ、このアグニス様はもっと反撃しろって言ってんだよ!」
「く、くそ……くそ……!!」
逃げられないと悟った町の人間達は、一斉に攻撃を仕掛ける。
さっきの攻撃でかなりの人数が減ってしまった為に、かなりまばらにはなっているが、これが彼等の今出来る本気の攻撃だった。
しかしその攻撃は今までと変わらず、命中した所で一切効果をなさない。
「ち、殺しすぎたか……つまんねぇから終わりにすっか!」
その言葉と共に、遊ばせていた炎を再び一気に町の人間達へと向ける。
その炎は奇跡を期待する人間達を容赦なく包み込み、そして燃やし尽くす。
「三武家ってーのはもっと楽しませてくれるのか」
外でアグニスと応戦していた人間達を1人残らず燃やし尽くした炎は、勢いを殺さぬまま町中へと入り込む。
そして町の中の建物達を炎で包み、悲鳴が至る所から響いた。
「火葬だ、光栄に思えよ……はっはっはっ!!」
アグニスの操る炎の前に防護壁も建物も意味をなさず、町人達は老若男女関係なく燃やし尽くされた。
「寄り道しちまったな、さっさとトラルヨークに攻め込むか。」
移動を開始したアグニスは、燃え盛る町のど真ん中を通り抜ける。
そこらに転がる大小様々な人型の炭に一切目もくれずに、上機嫌に鼻歌混じりに歩き続ける。
まるで進行中に邪魔な石を蹴飛ばすかのように町1つを壊滅させた彼はトラルヨークのある方角を真っ直ぐ見つめた。
この日、たった1匹の魔物によって世界からマセヌが消えた。
トラルヨークの出入口の門近くでナム達一行は集まっていた。
「まぁ、一応無事も確認できたし、俺達はそろそろここを出るぜ!」
「さっさと行っちまえクソ親父!」
神のゆりかごで3日ほど親子揃って過ごしていたその時、三武家当主達は突然この町から出ると言い始めたのだ。
「トウヤ達の依頼の話を聞いたからには、我らも少し動こうと思ってね。」
「……うむ。」
「俺は気にすることはねぇ、と言ったんだがな、ドウハとザベルは気になるみてぇでよ……仕方なく俺も行くことにしたんだよ。」
魔物の超強化の謎について危機感を抱いたドウハとザベル。
そして、そこまで気にしてなさそうだが当主2人が動くとなると傍観もできないので、仕方なく動くと言ったガイム。
この3人はナム達と同じように色々な町を回って情報収集に勤しむつもりらしい。
「ナム、サボるなよ?それじゃあな。」
「おう。」
ナムとガイムはたったそれだけ会話してお互いに離れる。
「気を付けるんだぞ2人とも!」
「分かったけど、いつまで頭撫でてんだ父上!?」
「あわわわ……!?」
ドウハはトウヤとリィヤの頭をやたら長く撫で回した後名残惜しそうに2人から離れた。
「またね。」
「……うむ。」
ザベルはミナを一瞥して頷く。
そしてそのままタイフの方へも視線を向け、そこから彼の武器、圏へと目線を向ける。
その視線の意図にタイフは気付くと、武器に手を当てる。
「訓練は続けます。」
「……君は強くなれる。」
その会話を最後に、3人ともナム達に背を向けてトラルヨークの門から出ていった。
嵐のように現れ、嵐のように去った彼等が消えた門をナム達は呆然と見つめ続ける。
「凄い3人だったなぁ……ザベルさんは鬼だったけど。」
「3日間みっちり修行されてましたね、タイフさん。」
下手するとミナよりも長くザベルと接したタイフは、かなりげんなりしていた。
しかし、彼のお陰で未来眼の効果強化に繋がる戦闘知識や、圏の使い方が前より更に鋭くなった事を多少自覚している。
勿論たった3日ではそうそう変わらない、しかし訓練内容を反芻すれば効果は期待できるであろう。
「さて、私達はどうする?」
「1度ダガンの鍛冶屋に顔出すのも良いかもね。」
「進捗確認するのも悪くねぇか、どうだ2人とも。」
ナムに確認を取られたタイフとリィヤは、異議なしと言わんばかりに大きく頷いた。
「ネネさんにも会いたいです!」
「僕はあの子少し苦手だな……」
非力君という渾名を名付けられたタイフは微妙にネネに対する 苦手意識を植え付けられていた。
とはいえ、各人の装備を任せてる以上、どう足掻いても1度は赴く必要があるのだが。
「決まりね、じゃあダガンさんのところに行きましょ!」
ナム達は門に背を向け、ダガンの鍛冶屋へと歩みを進める。
1人の脅威がこの町に少しずつ近付いている事を、彼等はまだ知らない。
「良かったのか、ナム君に言わなくて。」
トラルヨークから出て移動中に、ドウハがガイムに対してそんなことを言い始めた。
「あの馬鹿サボってやがったからな、まだ早ぇよ。」
ガイムはそう言ってドウハの疑問を一蹴する。
ナム達に見せた本気の姿から、再び6つのブレスレットを装着し直したガイムの体は一回り小さく戻っている。
「……気付かないものだな?」
「全くだ……せめてあの手合わせの時の違和感に気付けば教えてやるのもやぶさかではなかったがな……まぁ、まだひよっこって訳だ!」
そう言って高らかに笑う。
「しかし、すまないな……私のわがままでここまで来てもらって、もうすぐ彼女の命日だろ?」
「なぁに、<フウル>の奴はそんなにこまけぇ女じゃねぇ、少し遅れたところでなんも言わねぇよ。」
ガイムはそう言ってかつての伴侶であり、ナムの母親でもある女性の顔を思い出していた。
「……お前はもう大丈夫なのか?」
「なぁに言ってんだ!もう20年だぜ!吹っ切れたに決まってんだろ……だがまぁ、アイツの墓に1度寄っていいか?」
「勿論だ、調査はそれからにしよう。」
「……うむ。」
ガイム達はそう言って、フウルという名の女性が眠る町へと向かう。
「そういえば聞いてみたかったんだが、ガイムは時々家を長く留守にしているが、どこに行ってるんだ?」
「……今回もお前だけ中々捕まらなかった。」
2人からそんな質問をされたガイムは、大きく笑う。
「俺が昔からのんびりしてられねぇ性格なのは知ってんだろ?時々外に出て旅してんのよ!」
「なるほど、お前らしいな。」
「……変わってない。」
「なんかバカにされてる気がするぜ!?」
当主達は軽口を言い合いながらトラルヨークから離れていく。
昔からこんな関係だったのだろうと想像させるように。
マッド・ウルフ襲撃から数日経ったトラルヨーク軍基地。
その執務室で、相変わらず偉そうにふんぞり返るダルゴは、コーヒー片手に書類の整理をしている。
「南門の蝶番が錆びておるだと?そんなもの儂に報告せずに自ら直せば良いものを……!」
そう呟き、傍にある承認のハンコをその書類に力任せに叩きつける。
「こっちは……なに?軍の飯をもっと豪華にだと?ふん!」
ダルゴはその内容を鼻で笑い、却下のハンコを3連続で叩きつけたダルゴは、その書類を横に放る。
「まぁ、たまには豪華にしてやるとしよう……どれどれ次は……娘が産まれました?」
ダルゴはその書類を何度も読み直し、目を白黒させる。
「どんな報告しとるのだこの人間は!これは遊びでは無いのだぞ!」
ダルゴはそう言いながら書類に追記をして、承認を押す。
追記された内容には、その軍の仲間への祝いと、金銭の贈与を記した内容だった。
その書類を適当に机の隅に放ると同時に、執務室の扉がノックなしに開けられた。
息を乱したケンジ副司令官を面倒くさそうに眺めたダルゴは、机の隅に放った書類を再び取ると、前に差し出す。
「ケンジ!この書類の通りにこのアホに金を。」
「ダ、ダルゴ司令官!確かにお受けしまし……じゃなくて!もっと大変な事態が!?」
「なんだ騒々しい。」
珍しく取り乱すケンジを見たダルゴは、ノックもせずに扉を開けたことを咎めることはせずに、静かにケンジの言葉を待った。
「防護壁から望遠していた見張りの報告です!マセヌの町の方角から火の手のような物が上がり始めたと!」
「何……!?」
「その火の手は真っ直ぐにこの町へと少しずつ進んでいるようだとの情報もあります!」
ダルゴはその情報を聞き、腕を組んで考え込み始める。
「移動する火の手、恐らく魔物の類だ……到着はいつ頃になる?」
「軍の望遠鏡は高性能ですからね、2日は猶予があると!」
ダルゴは席を立ち、執務室から出ていき、それに続くようにケンジも後ろをついていく。
「軍全員に戦闘準備を通達せよ、急げ!後そうだの……奴らを呼び出せ。」
「奴らとは?」
「決まっとるだろ!あの5人だ、馬鹿者め!」
ケンジはその意味を悟ると、大きく頷く。
「また彼らの力を借りることになるとは。」
「奴らの本領は魔物だ、今回も奴らに頼るしかない!」
ケンジはそれを聞くと、後ろをついていた状態からすかさずダルゴを抜き去り、彼を放って置いて先に進み出した。
ダルゴの命令はダルゴ本人の身より優先される事を叩き込まれたケンジは、迷うことなくそれを実施する。
「やはり奴は有能だな、みなまで言わんでも動く。」
1人取り残されたダルゴは、満足そうに笑い、そしてすぐに表情を引き締める。
「マセヌも小規模な町ながらも、決して防衛の弱い町では無かったはずだ……それを簡単に突破するとは……最低でもビースト……あるいはヒューマン……急がねば!」
そう呟いたダルゴは、慌ただしく軍の基地の中を走る。
トラルヨークの危機を肌で感じながら。