3章:悪化する戦況
足元の魔法陣から次々と魔物が現れ、トラルヨーク司令官が運び込まれている病院に突き進んでいく。
自らの力で産まれた魔物たちの動向は、ある程度なら感知出来る。
だからこそ今、彼は焦っていた。
(……何匹か下僕達が死んだ感覚があったっす。 まさかここまで手こずるとは予想外っす。)
下僕の中で1番弱いゴブリンだけならまだわかる。
しかし、1匹だけではあるがそこそこの体格を持つオークの死亡すら感じ取れたのだ。
オークは並の兵士相手ならば、その体格も相まってかなり有利に戦える魔物だ。
それを倒せるとなると、トラルヨーク軍司令官は相当な身体能力を持つ事になる。
勿論、誰に殺されたのか迄は流石のパプルにもわからない為、普通に彼の護衛に倒された可能性もあるが、どっちにしろ状況はそう変わらない。
(……状況はあまり良くないっすねぇ。)
パプルはそう考え、深くため息を吐く。
(死神の奴は何をしてるっすか? 相手を殺すことに関しては、下手すると上位騎士連中よりも適してるというっすのに。 ……まぁぼやいても仕方ないっす。)
パプルは再び深いため息をすると同時に、ゆっくりとしゃがみこんだ体勢から立ち上がる。
それと同時に、黒いフードのような衣装の下に隠しておいた、尾てい骨辺りから生える細く長い尻尾が姿を現す。
(仕方ないっすね、オイラも行くとするっす。)
そう考えると同時に、パプルは家の屋根から飛び降りると、そのまま四足歩行で走りだす。
本来、人間は四足で走ることには向いていない。
しかしパプルは、2足で走るよりも格段に速い速度で前へと進んでいく。
町の道路を素早く渡り、病院の外柵を素早く登る。
その際、この騒動に混乱するトラルヨークに住む人々にも勿論見られた。
しかし、パプルの移動速度は相当に早い上に、ここまで魔物の集団が現れている状況で人間が混ざっているなどと考えられるはずもない。
そんなこんなで、相当目立つ行動をしたにも関わらずに全く怪しげもなく病院内に侵入したパプルは、素早く建物内を見渡す。
病院の1階には、数人の人間の死体と自らが呼び出した下僕達が出入口を封鎖している光景だ。
先程、パプルが侵入した際に素早く道を開けた下僕達は、パプルが入ると同時に再び出入口を封鎖している。
パプルの命令は絶対守る下僕達のその行動を見た彼は、満足そうに頬を緩める。
(可愛い奴らっす、素直で、従順。)
そんな可愛い下僕達に向かって手を振ると、出入口を封鎖しているトロールやデュラハン達は敬礼で返してくる。
デュラハンには頭がないが、もしあればその辺に額があるであろう位置に敬礼している。
そんな姿も可笑しくなったパプルは、少し息を吹き出した。
「さて……こいつらも見てることっすから、早めに司令官を討ち取るっすよ。」
そう呟いたパプルは、自らの星のような紋様が浮かび上がった腕を露出させ、自分の周りに魔法陣を3つ発生させると、そこから3体のトロールが現れる。
その3体のトロールは、まるでこれから何をすべきか分かっているかのようにパプルの周りに陣取った。
(近接攻撃しか出来ないっすが、トロールは強力な自己回復能力を持ってるっす。 護衛としては最適っすね。)
この魔物なら、司令官がもし拳銃を持っていたとしても十分に守れるだろう。
そんな確信をもったパプルは、足早にその場から移動する。
病院の受付等があるここには人間はいない。
既に避難済みか、下僕達に殺られたかのどっちかだ。
(顔が分かれば無差別に殺す必要も無いっすが……仕方ないっす。)
闇の騎士の暗黙の了解で、基本的には無闇な殺人は忌避されている。
しかし、理想郷実現の為やむを得ない場合に限り、目標以外の殺傷も許される。
トラルヨーク軍基地であれば、司令官の執務室にいるならば司令官本人だろう。
と言うような推測もできるが、今回に限っては一般病院だ。
推測だけで任務を行った場合、逃げられる危険もあった。
パプルは、一先ず床に倒れている人間の死体を片っ端から確認する。
下僕達に伝えたのは、ある程度の年齢と性別だけ。
ほかの判断材料となると、例えば軍用ナイフを持っている。 拳銃を所持している等しかない。
最高の判断材料は、軍関係の衣装を所持していることだ。
しかしこの辺の死体には、軍に関係ありそうな持ち物を持っている人間はいない。
(無関係な連中ばっかりっすな。)
辺りの死体を確認し終わったパプルは、3回目の大きなため息をすると、近くに居た下僕達に指示を出す。
関係ない人間達を殺した事を怒られると、内心震えてた下僕達は、パプルから声をかけられて肩を震わせていた。
「目標はまだ上にいる筈っす、入口を封鎖してる者以外は上に向かうっすよ。」
パプルからの指示を聞いたゴブリンやオーク。
更にはデュラハンにガーゴイル、コカトリス達は安心したかのようにそれぞれの反応を返すと、上の階へと向かっていく。
それを眺めていたパプルは、再度星のような紋様が浮かんだ腕を晒すと、それに魔力を注ぎ始めた。
それに呼応するように腕の紋様の輝きは増していき、最終的には家屋の天井でいた時よりも強いものとなっていた。
(下僕達との距離が近ければ近いほど、彼らは強くなれるっす。
自分の身の安全が危ういことを除けばっすがね。)
パプルはそう心で呟くと、自嘲気味に笑うのだった。
病院の5階、そこにはマイカから逃げるダルゴが、目の前の魔物の集団と対峙していた。
つい先程、突如として咆哮を上げたゴブリン達の周りにオーラのような物がまとわりついたと思ったら、劇的に動きが素早くなった。
速さだけではない、彼らの小さな体に浮かぶ筋肉の量も目に見えて増大した。
(……突然、どうしたというのだ!? こんな時に!)
能力が強化されたゴブリン達を前に、ダルゴは舌打ちをする。
背後からはマイカが追ってきているであろう。
そんな状況での突然の魔物達の強化は、正直彼にとっては誤算だった。
(とはいえ、突破するしかあるまい!)
そう決心したダルゴは、迷うことなく目の前のゴブリン達に向けて突撃をする。
突然の接近に驚きながらも、ゴブリン達は持っている得物を強く握り締め、それを振り上げながら同様に突撃する。
(5階のゴブリンは3匹……やれる!)
肉薄すると同時に、その中の1匹が振り下ろした棍棒を辛うじて身を右側に逸らして避けたダルゴは、体勢を戻すと同時に右フックを見舞う。
体の動きの反動と、ダルゴの怪力から放たれるその拳は、ゴブリンの頭を見事に捉える。
その拳を頭に受けたゴブリンは、小柄な為か見事に宙を浮き、倒れるように地面へと激突する。
(あと2匹!)
続いて左拳を腰元に移動し、近付いてきていた2匹目の顔面に向けて拳を真っ直ぐ突き出すが、それは敵の持つ棍棒に阻まれる。
嘲笑とも取れる鳴き声をあげたゴブリンは、背を低くしてダルゴの懐に潜り込むと、棍棒の持ち手を差し込むように脇原に叩き込む。
「ぐっ!?」
脇腹の強烈な痛みを堪え、ダルゴは懐に入ったゴブリンの顔面目掛け、膝蹴りで打ち上げる。
鼻から多量の血を流しながら後方に倒れるゴブリンを流し見ながら、最後の1匹目掛けて接近する。
しかし、強化された影響なのか、ゴブリンは怯むことなく迎え撃つ姿勢を取り、全力で棍棒を振りかぶってきた。
(不味いな!)
危険を感じたダルゴは、咄嗟に腕を顔近くに持っていき、まるで盾のようにしてその棍棒の一撃を受ける。
腕の骨が軋み、強い痛みが広がる。
これが顔に入っていたら、と考えたダルゴは珍しく冷や汗を流していた。
「ぬうぅん!」
ダルゴは、痛みで満足に動かない腕をかばいながら、近くにいたゴブリン目掛けて回し蹴りを見舞う。
しかし、それは縦に構えた棍棒によって阻まれてしまい、足をあげた姿勢であったせいでバランスを崩してしまう。
それを見てニヤリと笑ったゴブリンは、ここぞとばかりに棍棒を構え直し姿勢を低くした影響で攻撃しやすくなっている頭目掛けてその得物を振るった。
「やらせるかぁ!」
眼前に迫る棍棒を睨みつけたダルゴは、崩れたバランスを保とうとするのを辞め、敢えて更に崩す。
結果的に床に転倒することにはなったが、そのお陰で棍棒は顔の間際を通り過ぎた。
ゴブリンは驚き、棍棒はその勢いそのままに空を切り、すぐには振るえない状態となる。
その隙にダルゴは何とか方膝立ちの状態にまで戻すと、その姿勢から無理矢理体を起こして走りだす。
「喰らえぇ!」
慌てて棍棒を振り上げたゴブリンだったが、それは僅かに遅かった。
ダルゴの渾身の正拳は見事にゴブリンの顔の中心を捉え、後方の床へと勢い良く後頭部を打ち付けた。
短い悲鳴と共にゴブリンは身体を震わせ、そして動かなくなった。
通り道を塞いでいた魔物達を片付けたダルゴは息を整えるが、それもわずかな時間で済ませると何とか足を動かそうとする。
背後からはマイカという少女が追ってきている、のんびりしている暇はなかった。
「何とか時間を稼がねば……とにかく距離を離して。」
その言葉を言い切る前に、彼の体はゆっくりと傾いた。
急に右足の力が抜け、踏ん張れなくなったが故に起こる必然であった。
何事かとその力の抜けた足に目線を向けると、丁度何かの刃が自分の足から引き抜かれる景色が見えた。
痛みは無い。
なのに、何故か全く力が入らない。
「つーかまぇたぁ。」
廊下に倒れながらもダルゴは顔を動かし、背後にいたその少女の顔を確認し、そのすぐ後に全身を廊下に打ち付けた。
「な……何をした!?」
いつの間にか追い付いていたマイカは、ダルゴの足に刺していた大鎌を肩に担ぐと、貼り付けたような笑顔のまま嬉しそうに口元を歪ませる。
「このデスサイズで足を刺しただけだよぉ、簡単簡単! 誰でもわかると思うけどなぁ?」
肩に担いだ大鎌をユラユラと振るうマイカは、まるで自分のお気に入りのカバンを友達に見せるような明るさでそう答える。
そんな彼女から逃げようと足を動かそうとするが、刃を刺された右足には全く力が入らない。
「あ、逃げようとしても無駄だよぉ……動かないでしょー? もぅ死んでるんだもん、その足。」
死んでいる。
その言葉を聞いたダルゴは、訳が分からずに困惑する。
しかし彼女の言うとおり、自分の右足はまるで神経が全て無くなったかのように。
まるで体に接着剤で付けられた異物かのように、動かない。
「だからぁ、もう鬼ごっこはおーわり!」
マイカはケラケラと笑いながら、肩に担いだ大鎌を振り上げる。
ダルゴは必死に逃げようとする。 しかし、体は全く言うことを聞かない。
「ばいばーい!」
友達と別れるかのような気軽さで放たれたその言葉と共に、その大鎌は振り下ろされ。
なかった。
「きゃっ!?」
少女の悲鳴が上がるとともに、ダルゴの体は持ち上げられて運ばれた。
「大丈夫か!?」
慌てるようなその声に聞き覚えがあった。
「他の仲間は下で魔物と戦ってる! 僕だけは早めに来れたんだ。 あとは任せて。」
確か、タイフとか言ったか?
あの大馬鹿者の仲間だ。
彼は少し走った先でダルゴを降ろすと、腰元から拳銃を抜き取り、背後にいる少女と向き合った。
ダルゴはそんな彼を心配していた。
あの不思議な大鎌の事を伝えねばならない。
「よく聞け……! あの大鎌に。」
そこまで話した時だった。
目の前で自身に背中を向けるタイフの様子がおかしかった。
折角取り出した拳銃も、何故かあの少女に向いていないが、目線だけはしっかりとその少女を捉えている。
ダルゴは視線を少女に向ける。
不思議なことに、その少女すら目の前のタイフを見て固まっている。
お互いにまるで信じられないものを見たかのように。
「……なんで?」
タイフから漏れ聞こえた声は震えていた。
「……そんな、まさか。」
そして、相手の少女の声も震えていた。
「なんでこんなことしてるんだ?」
「そんな……まさか、こんな、こんなところで!」
2人の会話は全く噛み合っていない。
しかし、何も知らないダルゴでも、2人は初対面では無いことだけはわかる。
そんな2人の内、この空気を変えたのは相手の少女だった。
「あ……あははははははは! あっははははハハハハ!
見つけた見つけた見つけた見つけたやっと見つけた見つけた任務なんてもうどうでもいい生きる糧復讐マイカの目的ぃぃ!!」
狂ったように叫んだマイカは、その大鎌を素早く構え、今までに見たこともないような速度でタイフに向かって接近し始める。
そんなマイカを見ていたタイフも、我に返ったかのように慌てて拳銃を前に向ける。
しかし、その銃口はダルゴでもわかるほど狙いが付いていない。
撃っても間違いなく当たらないだろう。
「きゃはははははは! すぐには死なないでよぉ! 沢山痛めつけてお前のやった事後悔させてやるんだからぁぁあ!!」
実の妹である、マイカからの強い恨みの言葉を聞いたタイフは、目の前の現実を受け止めきれておらず、頭の中で色んな感情が駆け巡っていた。
「なんで……なんでマイカが……!?」
困惑するダルゴの前で、2人は相対した。
まるでタイフの過去の罪を見せつけてきたかのように。
過去の罪を断罪しに、死神が迫る。