3章:孤軍奮闘
振り下ろされたオークの持つ巨大な棍棒を間一髪で避けたダルゴは、オークの脇を抜けるように走り抜けた。
床を叩いた巨大な棍棒は建物を震わせ、床にヒビを入れる。
「ぬぅん!」
そのままダルゴは、オークを追いかけるように迫っていた2匹のゴブリンの片方に向けて蹴りを放ち、その蹴りはゴブリンが咄嗟に前に出した棍棒に命中した。
普通の人間としてはかなりの筋力を持つダルゴの蹴りを防ぎきれなかったゴブリンは仰け反り、体をバタつかせている。
ダルゴが治療を受けていた病院内に突如として現れた謎の魔物に命を狙われているダルゴは、4階の廊下にて5匹のゴブリン、そして1匹のオークと退治していた。
ゴブリンは子供くらいの身長を持った魔物であり、そこまで驚異ではない。
ダルゴでもそこそこ簡単に倒すことが可能だ。
しかし1匹だけいるオークは違う。
3m近い身長を持ち、棍棒もその身長に見合った程の巨大なものとなっている。
木の幹のような太さをもつ棍棒だけでも、人間の身長位はあるだろう。
(奴だけはビーストクラスの強さか……? そもそもこのふざけた魔物はこの世界の魔物より強いのか? 弱いのか?)
額に冷や汗を浮かべながらも、ダルゴは転びそうになっているゴブリンに素早く足払いを仕掛けて転ばせ、そのまま続けて倒れたゴブリンの顔面を何度も全力で踏みつけた。
仲間が痛めつけられているのを見たゴブリン2匹は、怒りの咆哮を上げながら突撃してくる。
そのまま撃退しようとしたダルゴだったが、背後でオークが慌ててこちらに振り向くような空気を感じ、顔面を踏みつけたゴブリンをその場に置き去りにすると、そこから更に前に走る。
迫ってきていたゴブリンの残り4匹の1匹を再び蹴り飛ばし、3匹が怯んだ隙に彼らの間を縫うように抜け、置き土産と言わんばかりに困惑したもう1匹の背中を蹴り飛ばした。
飛ばされたゴブリンが他の個体と激突すると、2匹諸共廊下の床に倒れ込む。
「よし。」
上手くいったことを確認したダルゴだったが、奥にいる個体の動きを見た瞬間に顔を強ばらせた。
1度殺し損ねたことが余程腹に据えかねたのか、オークが咆哮を上げながら走ってくる。
逃げ場のないダルゴにとっては好ましくない状況だ。、
しかし、怒りに燃えるオークは仲間達のことが見えていないのか、立っていたゴブリン2匹を吹き飛ばし、廊下に倒れていた3匹のうち2匹を踏み潰しながら迫り来る。
(感謝するぞ、オーク!)
結果はどうあれ、ゴブリンの数が減った。
孤軍奮闘するダルゴにとって、それは間違いなく良い方向に向かうからだ。
(残るゴブリンは3匹……そしてオーク1匹、そろそろ反撃のタイミングだな。)
ダルゴがそう決心したのと同じタイミングで、オークは棍棒を横に振りかぶる。
先程の振り下ろしで避けられたのが余程悔しかっただろう、横薙ぎの攻撃ならば避けられないと考えたに違いない。
しかし、それは周囲が狭くなければの話だ。
(運は儂に微笑んでおる!)
チャンスと感じたダルゴは、素早くオークに向かって全速力で走り、それを見たオークは僅かに微笑んだ気がした。
しかし、オークが振りかぶろうとした棍棒は見事に壁にぶつかり、そのせいで予期せぬ動きをした自らの武器へと目線を動かした。
(今だ!)
オークが目線を逸らした隙にダルゴはオークの懐に潜り込み、拳を強く握り込む。
「この狭い廊下で横薙ぎは失敗であったな!」
ダルゴはニヤリと笑いながらそう叫ぶと、渾身の拳をオークの腹に目掛けて振るう。
脂肪の塊のような腹に見えるが、見た目に反してしっかりと鍛えられた硬い腹部にめり込んだダルゴの拳を受けたオークは、口元から唾液を撒き散らしながら目を見開く。
(……通じるだと!?)
腹部を押さえながら悶えるオークに、ダルゴは思わず驚いてしまう。
本当であれば、この世界の魔物相手にダルゴの拳は通用しない。
銃弾ですら火力不足に感じる程の相手に、人間の拳など通用するはずがないのだ。
あのブロウの男はおかしいだけだ。
「通じるなら……やれる!」
勝ち筋を見い出せたダルゴは再び両拳を振りかぶり、連続でオークの腹に振るう。
腹部を手で押さえてはいるが、オークの体は無駄に大きい。
手を避けての攻撃など簡単だ。
「うおおおぉ!」
数発の拳は手に命中しながらも、殆どの拳はオークの腹に吸い込まれるように命中し、オークの体は少しづつ後ろへと傾いていく。
オークの足はそこまで長くはないせいか、どうやら倒れやすいらしい。
「これでどうだ!?」
ダメ押しに、ダルゴの渾身の蹴りがオークの腹に叩き込まれ、オークの体はゆっくりと背後に倒れていき、そのまま背後にいたであろうゴブリンの悲鳴と共にオークは床に倒れ込んだ。
(拳が通じるなら!)
オークが倒れると同時に、ダルゴはオークの腹の上に飛び乗ると、顔に向かって全力で移動し、懐から軍用ナイフを取り出した。
敵が何をしようとしているかを察したオークが慌てて手をダルゴに向けて振るおうとするが、彼の方が早かった。
逆手に持ったナイフを全力でオークに振り下ろし、そのナイフは敵の額に深々と突き刺さる。
オークの悲鳴が上がり、ダルゴは額に刺したナイフから手を離し、足を曲げて上に挙げた。
「トドメだぁああ!」
ダルゴの振り下ろした足は、見事に額のナイフの柄に直撃し、更に深々とオークの額に沈み込んだ。
オークの甲高い断末魔の悲鳴と一瞬の体の痙攣共に、オークは絶命した。
(倒せ……た?)
勝利の余韻でダルゴが呆けている間にも、ナイフの刺さったオークの死体はみるみると崩れていく。
オークが倒される瞬間を見ていた残り2匹のゴブリンは、リーダー的存在を失ったせいなのか、単純に恐怖を覚えたせいなのか、踵を返してその場から逃げていった。
「……下の階に逃げたか、せめて上であれば良かったものを。」
ダルゴがそう呟くと同時に、体が宙に浮く感覚を覚え、そのまま床に尻もちをつく形で落ちる。
それによる若干の痛みのお陰で、呆けていた思考が元に戻る。
(死体が消えて落ちたか……本当になんなのだこの魔物達は。)
痛む尻を擦りながらゆっくりと立ち上がったダルゴは、死体が消えたことによって同じく床に落ちたナイフに向かって移動する。
「ナイフに血すら付いておらんな。」
思わずそう呟き、ナイフを拾おうとした瞬間だった。
ダルゴの目の前には、今1番会いたくない存在が立っていた。
オークやゴブリンとの戦いでこれ程騒がしくしたのだ。
普通に考えたらこうなるに決まっていたのに、そこまで考えが浮かばなかった。
「騒がしかったからまさかなぁと思ったら、みぃつけた。」
それは女性の声だ。
まだ若干の幼さの残る声色の少女、そして視界の端に映る大鎌。
「はぁーい、死神、マイカだよぉ。 君がトラルヨーク軍司令官だょねぇ?」
まるで友に話しかけるような気軽さで彼女は声をかけてきた。
その表情は笑顔ではあるが、どことなく貼り付けたような不気味な笑顔だった。
先程、5階で自分自身を探していた張本人だった。
「すごぃすごぃ、あんなにデカィオークを倒しちゃうなんて……普通の人間としては相当強ぃね?」
マイカと名乗る少女は、貼り付けたような不気味な笑顔のままに、手に持った大鎌を振り回し始める。
「マイカ、君には恨みは無いんだけど……闘神の指示だから諦めてほしぃなぁ。」
死ぬ事が確定しているかのように話すマイカの態度に怒りを覚えたダルゴは、彼女に対して低い声で返す。
「ふざけておるのか? この儂を簡単に殺せるとでも?」
「うん。」
しかしその言葉に、まるで当然のように即答で返したマイカに、ダルゴの背筋には薄ら寒い何かを感じる。
先程のオークと戦っている間にはまず起こらなかったその感覚に、目の前の存在がそれよりも強大な存在だと察するに至るのは簡単だった。
この小娘は強い。
そう信じて疑わないほどには。
「普通の人間としては強ぃのは間違ぃなぃよ。 けどねー……マイカはもっと強ぃんだ。」
不気味な笑顔を浮かべ続けるマイカという少女を前に、ダルゴは少しづつ後ろへ下がっていく。
勝てない。
本能でそう感じた彼は冷静だった。
冷静に逃げの一手を選べた。
それが命運を分けたのかもしれない。
「あー!」
マイカの驚く声を背中に受け、ダルゴは全力で階段に向かって走っていた。
マイカは突然の逃走に驚き動けていない。
最初に降りようとした階段とは反対側にある階段を目指して走るダルゴを驚いた表情で見つめていたマイカは、我に返って面倒そうに鎌の柄を肩に乗せる。
「もー、めんどぃなぁ……早めに発動しとけば良かった。」
そんなことを呟いたマイカは、階段にたどり着いたダルゴの背中を見送りながらも、のんびりと歩きながらそれを起動する。
「未来眼。」
3秒後の未来を見ることの出来る力を右目に宿したマイカは、笑顔のままダルゴの逃げた方向にゆっくりと進んでいく。
「命って脆いょね……どんなに一生懸命生きてたって……事故、魔物……家族に奪われることもある。」
その言葉と裏腹に、彼女の表情は笑顔のままだった。
のんびりしていた足取りは、少しづつ早くなっていく。
「だからぁ、そんなに必死に逃げる必要なんてないんだょ? 死ぬ時は死ぬの、それが未来か今かってだけ。」
笑顔のままマイカの速度は上がっていき、階段を登ろうとしているダルゴを視界に捉えた。
下ではなく上に逃げる辺りに、ダルゴの冷静さが見て取れる。
下には魔物だらけなのだから、安全なのは最早上階しかない。
普通の人間なら反射的に下に逃げたくなるものだが、彼はその辺は理解していた。
「鬼ごっこ開始……かな? マイカは隠れる方が得意なんだけどなぁ?」
ケラケラと笑いながらマイカも上階に歩みを進め、階下からはパプルの召喚した魔物達が登ってきているのも感じる。
絶対に逃げられないはずだ。
「トラルヨーク軍司令官も、もう終わりかなぁ。」
死神を冠する少女の狩りが始まった。