3章:狼騒動の結末、そして
人知れずに深夜の闇に消えた、人狼騒動の翌日の昼頃にノーラス軍基地に再度集まったナム達。
昨夜に飲んだ酒の影響か多少体調が悪そうなミナと、まだどことなくふわふわしているリィヤの2人を除き、ナムも含めた残りの仲間達は平然としていた。
そんなどこまでもグダグダなナム達の目の前には、まるで恐ろしい敵を前にした子犬のような形相で睨みつける男が座っている。
その男は勿論。
子供のような小柄な体格と、頼りなさそうな顔つきを持つノーラス軍司令官、シモンである
彼は先程から体を震わせており、目の下が黒く色濃く染まっている。
間違いなく昨夜も眠れなかったのであろう。
「そ、そ、それで! ぼくちんが頼んだ調査の結果は!? 昨夜も狼の声がしたぞ!
ぶ、ぶ、部下の報告によれば夜中に炎のような灯りがあったとか、更に現場の様子を見に行ったら気絶したとか不穏な報告が上がっているぞ、どうなんだ!?」
よほど恐怖、そして2日分の徹夜による眠気が強いのだろうか、普段よりも更に饒舌かつ声が大きいシモン司令官の追及に対して、この中で唯一昨夜の事情を知り尽くしているナムは静かに答える。
「そうだなぁ……その質問に関しては確かに問題はあった。」
ナムの返答に対し、周りの仲間達は一斉に驚愕の視線をナムに向ける。
ナム以外では唯一、昨夜の狼の声を聞いていたタイフを除き、他の仲間達は酒のせいで狼の声にすら気付いていなかったのだ。
「ちょっと……なんか知ってる風じゃない? 何があったのよ。」
「狼の声は僕も聞いたけど……他の現象は全く知らないよ!?」
何も知らないミナと、昨夜ナムが中々ブロウ本家に帰ってこずに寒空の下で1人凍えていたタイフの2人は、それぞれ違う反応を示した。
「昨日ですか、あまり記憶無いんですよね……気付いたらわたくしのベッドの上で寝てたというか。」
そもそも論外な少女もいるが、今のこの場の空気のお陰かそれはスルーされる。
「……な、な、何か知っているんだな!?」
先程よりも更に顔を青ざめさせ、シモン司令官はナムに問い詰めるように声を荒らげる。
そんな彼の表情を見ながらも、ナムはいつもと変わらない態度を貫いていた。
「落ち着けよ。 たしかにその質問に対しては問題はあった……だが、大きな問題はねぇ。」
ナムの意味不明な返答に、目の前のシモン司令官の表情はみるみる怒りに変わっていく。
「お、おいおいナム……どういうことだ?」
怒り染まっているシモンを見たトウヤが、少し慌てたようにそう問いただす。
しかし、トウヤの質問にもナムは何も返さず、ナムはシモンに向けて言葉を続けた。
「親を早く失った可哀想なガキの大事な大事な宝物が、ちょいとイタズラをしただけだ……だが、もうそいつは改心していい子になったぜ。」
ナムがそこまで話した時だった。
今まで怒りの表情だったシモンの表情が、怒りのない険しい顔に変わると同時に、隣にいた部下の1人に掌を見せ、素早くその部下から紙の束が手渡される。
その紙束を素早く捲りながら内容を確認し始めたシモンは、それをしばらく繰り返した後に部下へとその紙束を返す。
「か、か、改心したとは?」
「そのままの意味だ。」
シモンの質問に、ナムは素早くそれだけを答え、シモンは体を震わせながらもその返答に訝しげに表情を歪ませる。
「つ、つ、つまり……ナム……いやブロウ家がそれを保証するんだな?」
「……聞いちゃいねぇが、あのクソ親父なら同じ事を言うだろうよ。」
それを聞いたシモンは、ゆっくりと席から立つと、そのままナムにその小さな背中を向ける。
その横にいた部下の1人はこの状況を理解できないのか、1人狼狽していた。
「……そ、そ、その宝物とやらにぼくちん達が興味を示したら、お前はどうする?」
「そうだなぁ、その哀れなガキの為に説得でもするか。」
ナムのその言葉を聞いたシモンは、1度大きく体を震わせた後に再び部下に対して掌を差し出し、部下からその紙束を受け取り、胸元のポケットから筆記用具を取り出した。
「せ、せ、説得されるなら仕方ない……して、その少女はやはり小さくて可愛いものが好きなのか?」
紙束を捲りながらそんな質問をしてくるシモンに対し、ナムは顎に手を置いて何かを悩み始めた。
「そうだなぁ……俺も実際に会ったが、そういうタイプじゃねぇな、小さいのは好きそうだが。」
そんな雑談をしている最中も、シモンは素早くその紙束のとある場所へと追記しているようだ。
ナムの周りの仲間達も、2人の会話の意図が掴めずに困惑している。
そんな状況の中、シモンはその作業を終えると、紙束を元に戻してから部下につきつけるように差し出した。
「こ、こ、困るぞ! このリストに不備があった! 調査はしっかりしろ!」
「え……そ、そんな筈は!?」
部下は慌ててそのリストを受け取ると、内容を1枚目から目を通し始めた。
シモンが追記した時、彼の背中に隠れていせいで何処に書き足したのかわからないのであろう。
しばらく見つけるまでに時間がかかりそうだ。
そんな部下を横目にシモンはそのまま再び席に座ると、大きなため息をつきながら椅子の背もたれに体重をかけ始め、そのまま呟くような小さな声で言葉を発した。
「……い、イタズラの兆候があれば真っ先に確認するぞ、警護ついでにな。」
「助かるぜ。」
ナムは最後にそう言うと、仲間達に合図を出してその部屋から出ていこうとする。
そんなナムの行動を不審に思いながらも、仲間達はシモンに1度礼をしてから彼に追従していく。
そして、部屋から彼らが去った後に部下がようやくその場所を見つけたようだった。
「……え!?」
「ど、ど、どうした! 急に大声をあげるな!」
小動物のように体を震わせたシモンに向かって、軽く謝罪をした部下は、その書類……ワーウルフ候補リストの訂正された箇所に目を動かす。
「弟!? あの子にそんな存在がいたなんて把握してません!」
突然の驚愕の真実に、この部下も戸惑いが隠せていないようだった。
「だ、だ、だから言っただろ! 調査をしっかりしろと! 名前は後で調べておけ!」
「それだけじゃありません! この二重線は?」
部下が慌てたように、そのリストの追記された場所へと指を当てながら、それをシモンに見せる。
その場所にはムンという少女と、新たに追記された弟の行があったが、そこに二重線が文字を横に切り裂くように引かれていた。
「な、な、なんだお前、それの意味を知らないのか!?」
「知っていますとも! だからこそ聞いているのです! これは?」
シモンは、大きなため息をつきながら席から再び立つと、その部下の腹に軽く拳を当てる。
突然軽く殴られた部下は、痛みはないものの少し驚いたようで、それが彼を少し冷静にさせたのか先程よりは大人しくなる。
「ぶ、ブロウの人間が昨夜調べてくれた。 狼の声がした時にその2人は関係ないとな! しかし……まぁ、実は弟がいたとはいえ子供2人の生活だ……たまには警護してやれ。」
「あ……はっ! そうだったのですね。 流石は三武家!」
すっかり落ち着いた部下は、納得したのかそれだけ答えると、その部屋から慌てて飛び出していく。
恐らく、言われた通りにリストの更なる更新の為に調査に行くのだろう。
それを見送ったシモンは再び席に座ると、先程と同じように背もたれに体重を掛けながら考え事をし始めた。
ナムとの雑談に扮した情報交換で、ある程度状況を理解したつもりだが、流石にその張本人の名前までは聞けなかった。
暗号ではあるが、なるべくわかりやすく質問したにしろ、それを理解して返してきたナムに、彼は感心していた。
(少女らしく可愛いものが好きではないが、小さいものは好き。
それは小さい男物が好きということ。 つまり弟がいるということを暗に示した。)
シモンは実際にそれを理解し、あのリストを素早く更新した。
姉であるムンが今まで隠していたのだ。
(現象に問題があったが、問題は無い。
つまりワーウルフはいたが、ワーウルフ自体に問題はなかったということ。)
町の驚異となる存在なら討伐するべきだが、ナムが自らの家の名前を使ってまで問題ないと言い放ったのだ。
シモンにとってはどっちにしろ恐ろしいが、討伐を強行したらナム達を敵に回す可能性もある。
それだけは避けたかった。
(恐らく、そのワーウルフは隠されていたその弟。 そしてムンという少女の宝物でもある……つまりしっかり制御出来ているということだ。 最後のは単純に大切な者という意味もありそうか。)
ナムの伝えたかった情報を漏れなく理解したシモンは、本来であれば重罪である魔物の匿いが頭によぎった。
しかし、不思議とそれをやろうとは思わなかったのだ。
(イタズラは遠吠えのこと、つまりワーウルフ化はやはりしていたのだ。
しかし今は改心した……元々理性を失っていたのが解決されたという事……だと判断した。)
だからこそ、シモンは彼ら姉弟がワーウルフでは無いという処理をした。
決してナム達が恐ろしすぎて、半分反射的に処理したとかではないのだ。
(全く……このぼくちんに嘘をつかせた借りは大きいぞ、ブロウ。)
そう思考の中で毒づいたシモンの元に、1つの電話が鳴り響く。
最早掛かってきた理由も考えず反射的に受話器を取ると、それを流れるように耳に当てた。
「こ、こ、こちらノーラスのシモンだ。」
思考とは違い、どもり癖が出てきた彼の耳に相手からの言葉が入ってくる。
暫くは思考しながらそれを流し聞きしていたが、その全てを理解すると彼は大きく目を見開く。
「な、な、な、なんだと?」
相手からの信じられない報告を受けたシモンは、少し待てと言い放ってから、電話の先の彼らしくない声色が聞こえてくる受話器を叩き付けるように置く。
そしてすぐさま立ち上がると、先程この部屋から出て行ったであろう彼らを追った。
幸いにも、この基地の迷路の構造はシモンが1番知り尽くしている。
絶対に間に合う。
(待ってろ……! すぐ奴らを向かわせてやる!)
シモンは、迷うことなくノーラス軍基地内部を走り抜ける。
そして、すぐに彼らを見つけた。
ナム達に追いついたシモンは、彼らにへと声を掛ける。
奴のあんな声色は初めて聞いた。
あれほど消沈したダルゴの声など聞いたことがなかった。
彼らには悪いが、もう一度あの町に戻ってもらう必要がある。
「どうしたのよ?」
真っ先にシモンに気付いたのは、ミナだった。
その声に気付いたほかの仲間達も驚いたように振り返る。
「い、い、今連絡があった! ……えっとダルゴだ! 奴から連絡が!」
「落ち着け、なんも分からねぇよ!」
ナムのその言葉を聞いたシモンは、1度大きく深呼吸をする。
こうして少しだけ自分を落ち着かせたシモンは、相変わらずどもりながらもそれを伝える。
「け、け、ケンジ副司令官が。」
聞いた事のある名だった。
ダルゴ司令官の右腕であり、トラルヨーク軍最強の剣士でもある。
しかし、彼からの報告はナム達を驚愕させた。
「死んだ。」