3章:姉弟の行く末
空が暗く染まり、それに比例して気温も下がったノーラスの町中の一角。
そこには1匹のワーウルフ。
そのワーウルフと相対するナム。
ナムに縋り付くように、戦いを止めるムンの3人が存在していた。
「あいつはホシなんだな?」
ナムは、改めて再確認するかのようにムンに問い詰める。
前のワーウルフ……ホシは、戦闘態勢を解除することなくこちらの動きを警戒している。
しかし先程とは違い、ホシもがむしゃらに攻撃してくる様子は無い。
「う……うん、バレてるみたいだから言うけど、あのワーウルフはホシなんだよ。
あの子……まだ幼いからなのかわからないけど、変身するとと暴走しちゃうんだ。」
ムンはフラフラの体を奮い立たせ、ナムの元から離れる。
そんな彼女の姿を眺めていたナムは、ムンを止めようとはしなかった。
「あの子は……悪い子じゃない。 両親が死んじゃって……1人ぼっちになって、自殺まで考えてたウチを救ってくれた。」
ムンの発言からナムは全てを理解した。
この2人は本当の姉弟ではないと。
「数年前、1匹の子狼が寒そうに凍えてたんだよ、きっとあの子も家族を失ってたんだ。
ならウチが家族になってあげようって。」
ムンは、警戒するホシの元へと近付いていく。
恐怖など無いかのように、躊躇無く。
そんな彼女の行動を見ているホシも、彼女に危害を加えようとはしない。
「うん、見てよ……暴走してもウチに対しては大人しいの。
拾って、ワーウルフだって気付いてからもずっと、変身したら夜通し抱きしめてあげてれば抑えられてた。」
彼女の自宅でムンから聞いた寝不足という言葉と、それにすら気付いていなかったホシの証言。
おそらく、人間形態に戻ると同時にワーウルフの姿での記憶が消えてしまうのだろう。
(最初から兆候はあった……良く考えたらおかしかった。)
そう考えたナムは、ワーウルフに近付いていくムンを眺めていた。
(……!?)
そんな時、ナムは目の前の光景に目を見開くと、突如として拳を強く握り込み、ムンとホシのいる方向へと走りだす。
それとほぼ同時に、ホシもその鋭い爪を持つ両手を横に広げ始める。
(まずい……!?)
良くない状況を察知したナムは、それを打開する為に全力で突撃する。
その足音に気付いたムンが、驚いて振り返ると同時に、その後ろでホシも横に広げた両手を、ムンに向けて振るおうとしていた。
(間に合え!)
目の前の状況に慌てたナムは、腕からブレスレットを1つ外して筋力を増強させると、更に強く地面を蹴り飛ばす。
積もる雪に多少威力は削がれたが、ナムの怪力の前には大した差では無く、飛ぶように前方へと突き進んでいく。
「え!? なんで、辞めて!」
ナムの行動に気付いたムンは悲鳴のような大声をあげ、ホシの前で守るように両手を広げる。
しかし、その間にもナムは近付いてきており、後ろではホシの爪も迫る。
しかしナムにとって、そんな光景を気にしている暇は無い。
これを放置すれば大変なことになると、全力でその相手に向かって行く。
そんな僅かでありながら、長くも感じるの時間の後。
迫り来るナムの迫力にムンは思わず目を閉じ、それと同時にムンの体は、突如横に飛ぶような感覚を覚えた。
その恐怖すら覚える感覚の後、衝撃を覚悟して体を強ばらせたムンの体を。
柔らかな毛皮が包み、その衝撃を最小限にした。
(……え?)
驚いたムンが目を開くと、世界が横に見えた。
その光景から、横に跳んだと感じた感覚に間違いは無いと察すると、彼女は慌てて自身の身を包む毛皮の持ち主へと視線を移す。
「ほ、ホシ大丈……え?」
ムンの視界に映ったホシは、多少雪にまみれてはいるものの、傷1つ無い状態であった。
まるでムンを守るかのように抱きしめているホシと、抱きしめられているムンのいる位置は、先程立っていた場所からかなり離れているようだ。
(何が?)
一先ずホシの無事に安堵したムンだったが、そうなると先程突撃してきていたあの大男は何処に行ったのだろうと、彼女は辺りを見回す。
そんな彼女の目は苦労なくナムを捉える。
「ふぅ、危ねぇ……悪ぃな、恨みはねぇんだがよ。 許せ。」
そんな独り言を、あの大男は足元に向かって言っているように見えた。
その異様な光景を見たムンは、流れるように彼の足元に視線を動かす。
「……あっ!?」
思わず大声をあげてしまったムンに、遠くのナムは口元に指を当て、静かにしろの意味を持つ行動をした。
そんな彼の足元には、1人の人間が倒れていた。
その人間の来ている服装はとても見慣れたものであり、ホシの事情の件もあって、彼女が警戒している服装だった。
ノーラス軍の制服だ。
「夜中の巡回だったんだろうよ……ほら、手にあのリスト持ってやがる。」
ノーラス軍の人間の持っていたリストを拾い上げたナムは、その内容に目を通す。
それは間違いなく、ナムも1度見せられた、ワーウルフ候補者が羅列されたリストだった。
「え、なんで……軍の人を?」
「バレたくねぇんだろ? なら気絶させるしかねぇだろうが。」
リストを1枚1枚眺めながら、ナムはぶっきらぼうにそう言い捨てる。
彼の予想外の行動に、ムンは今の状況を完全には飲み込めてはいなかったが、彼がホシを守ってくれたという事実だけは理解出来た。
「やはりな……なるほど、相当苦労してんだな、お前。」
ナムはその手に持ったリストを閉じ、それを再び軍人の手に戻すと、ムンとホシの近くまで移動してくる。
「さて、ホシを連れて帰るぞ、暴れられたら面倒だ、そのまま抱きしめとけ。」
「あ、うん! もちろんだよー。」
ムンに抱きしめられている影響か、それとも自ら姉を守った事で暴走が鎮静化した影響か不明だが、ホシはすっかり大人しくなっていた。
そればかりか、周囲を忙しなく見回しているようにも見える。
そんな2人を抱えたナムは、足早にその場から立ち去るのだった。
ナム達がその場を離れてから少し後。
1人の男は目を覚ました。
「んぁ……なんだ、何が起きた?」
雪の中で倒れ込んでいた彼は、ゆっくりと立ち上がる。
体中に付いた雪の寒さで震えながら、多少湿気でシワシワになったリストを拾い上げる。
(物音がしたから様子を見に来たまでは覚えているが、何が起きたか思い出せん……なんか首元も痛めているし。)
体の寒さと不調に頭を悩ませながらも、音のした場所に誰かがいたような足跡の痕跡意外は、特に異常が無いことを確認すると、彼は痛めた首を抑えながら移動を開始した。
夜中の巡回中に日課のように眺めているそのリストの内容を確認しながら。
「ま、昨日も夜中巡回したから、疲れてたんだな。」
自分の中でそう結論付けた彼は、そのリストを読み進めていく。
戦術において比類なき実力を持ちながらも、その臆病さで部下を振り回すあの司令官に溜息をつきながら。
「遠吠えの度に町人に聞き込みをするのも申し訳ないんだよな……特にあの子の所なんかは特に。」
彼はそう独り言を呟くと同時に、思わずその相手のリストのページを開くと、それを心の中で読み上げた。
住民名、ムン。
数年前に両親を亡くす。
現在は家族と住んでいた場所にて。
一人暮らし。
(以下はその住所と、うむ……耐えられないな、自分なら。)
幼い強き少女に思いを馳せながら、彼は日課の巡回をこなしていく。
痛む首筋と、余計に冷えた体を労りながら。
「どうやって隠していた? 軍は欺けても、タゲンやイチカ、それとイチカに付きまとっていたワンドンから広まる可能性もあったんじゃねぇのか?」
ナムは、先程リストで見た事実の疑問点をムンに聞いていた。
すっかり元の人間形態に戻り、表情を強ばらせているホシを抱きしめていたムンは、静かに語る。
「タゲン兄ちゃんもイチカ姉ちゃんもそんな話をしないって知ってたから。
ワンドンおじさんも、イチカ姉ちゃんの食べっぷりにベッタリだったし……多分今日初めてホシを知ったんじゃないかな?」
ムンは、恐怖に震えるホシを強く抱き締めながら、話を続けた。
「だからホシには、外は危ないからタゲン兄ちゃん達以外の声がしたら隠れてって言い含めてたんだよー。
今日の貴方達は予想外だったんだ。」
「ホシが当たり前になっていたからこそ、タゲンの奴も悪気なく紹介したんだろうな。」
ムンに抱きしめられているホシは、先程から一言も話さない。
恐らく今回の件でワーウルフ形態の状態で意識を取り戻したのだろう。
ナムが姉を攻撃しようとしていると勘違いし、守ろうとする意識が強くなった影響だろうか。
もしそうなら、同じようにホシを攻撃しようとしていると勘違いしたムンと似た者同士だ。
それが今後にどう響くかは、わからないが。
「しかし、これからどうするんだ? ずっとホシを軍に隠す訳にもいかねぇだろ。
今回は俺達だったが、お前達に何かあった時、タゲン達なら躊躇無く軍の力を借りようとするぞ。」
「う……ずっと先延ばししてたけど、確かにそうだよね。
……どうしよう。」
ムンはそう言うとホシをさらに強く抱きしめ、悩み始めた。
この町の司令官を良く知っているからこそ、彼女では結論が出なかったのであろう。
それで考え出した結末が、軍からホシを隠すことだったに違いない。
最初から存在していていない人間とあれば、そもそも疑いもかけられないのだから。
しかしそれは問題を先延ばしにしているだけに過ぎないのだ。
「……このままじゃムン姉が危ないよ、ぼくは大丈夫だから。」
黙っていたホシが唐突にそんな事を言い始める。
その言葉の裏には、暗に軍に自分を突き出せと言っているようにも聞こえた。
「ダメ! ホシはウチの弟なんだから! 守らなくて何が姉だよ! そんな事言わないで!」
「で、でも……このままじゃ……ま、魔物を匿ってることになって、ムン姉が罰せられる。」
この世界では、魔物を匿う事は重罪だ。
ただでさえヒューマンのような人間の姿をとる魔物がいるのだ。
そんな事をされては町の存続に関わってしまう。
ネットの村のエイル。
レッド・ウルフリーダー、ビネフの親友であったロイス。
たとえ彼らのような害のないヒューマンであろうと関係は無い。
そんなことは承知しているからこそ、ムンは今悩んでいるのだろう。
「正体を明かすのは論外だし、実は弟がいたって今更言うのも怪しいし。」
悩むムンを横目に見ながら、ナムはそこまで深刻に考えてなさそうであった。
それどころか、ナムはニヤリという言葉が似合いそうな程に笑っていた。
「任せろ、俺達はホシみてぇな奴は初めてじゃねぇんだよ。」
「え?」
予想外の言葉に、ムンは呆気に取られたような表情に変わる。
「喜べ、この町の司令官は……あのクソオヤジと似た匂いがするぜ?」
ムンにとっては何も理解できない言葉だったが、ナムの自信ありげな態度に勇気を貰ったのか、表情を綻ばせる。
それはホシも同じのようであり、不安そうではあるが、先程よりは落ち着いている。
「何とかしてやる。」
その言葉を言い終わると同時に、彼らはムンとホシの家の前に辿り着いたのであった。