3章:目的の違い
トラルヨーク軍基地、司令官執務室内で相対する2人。
司令官であるダルゴを守る副司令官のケンジと、ガジスと名乗った凄腕の暗殺者。
理屈はわからないが、完全に姿を消す力を持つガジスとの戦いに苦戦していたケンジだったが、彼はそれでも自信溢れる表情のままだった。
この状況を打開できるかもしれない唯一の光明。
それを頼りに、彼は獲物であるレイピアを構える。
負傷した左腕はしばらく使い物にはならないだろうが、彼にとっては、残った右腕さえあれば良かった。
「この状況でも笑える貴様のその意志の強さ、果たして自信からなのか、はたまた自暴自棄か。」
「さぁね、それはこの後わかるんじゃないかな?」
挑発的なガジスの言葉に対しても、ケンジは自信に溢れる表情を崩さない。
ケンジは声のした方向へと視線を向け、レイピアをそちらに向ける。
そして、姿は見えないが恐らくガジスも同じように刺突専用の武器を構えるような雰囲気を感じ、そして動いた。
ケンジの高速の突撃からの素早い刺突が繰り出され、ガジスがその場から慌てて跳び去るような空気の動きを、ケンジは感じ取る。
攻撃はそれだけに留まらず、さらに踏み込んでから横薙ぎにレイピアを振り抜く。
しかし、再び空気の動きを感じたケンジは、その場から同じように後方へと跳躍しながら、右手を体の前で振り払うように動かした。
右手の腕に触れる金属のような感触。
それは、ガジスの振るった刺突用の細剣の物だった。
ガジスの使う剣は、先端にしか刃が無い特殊なものだ。
だからこそ突き出されると予想した位置に、刀身に腕を横から当てるように手で振り払った。
視線の先の空間から舌打ちのような音を聞くと共に、間一髪で攻撃を払ったケンジは、その場で冷や汗を右手で拭う。
(危なかった……だが、自分の見たあの光景が本当なら、アレが彼の能力への対抗策となる。 最も……失敗したらお陀仏だが。)
ケンジは再びレイピアを前に垂直に伸ばすように掲げると、周囲を注意深く警戒する。
敵の足音は殆ど聞こえない。
余程に気配を消す技術を高めているのだろう敵に、ケンジは内心では感心していた。
(この男がエスト軍の司令官を殺ったと仮定するならば、あのような結果になるのもよくわかる。 自分が会いたくはなかったが。)
ケンジがそんな事を考えている時、空気の動きが再び変わる。
彼が咄嗟に頭を横に動かすと同時に、顔の横に何かが通り抜けるような感覚を覚えた。
再び間一髪で避けたケンジは、素早くレイピアをその場で振るうが、やはりその攻撃は手応えなく空振りしてしまう。
せめて姿が見えていれば仕留め損なうことは無いが、敵の位置が分からない状況では難しい。
(しっかり周囲の動きを感じ取るんだ。 上手く行けば形成は逆転する。)
自分に言い聞かせるようにそう激励したケンジは、思うように動かない左腕へと顔ごと視線を1度動かした後に、僅かに気配を感じる場所へと走る。
それと同時に、これまでに何度も感じた空気の動きが起こり、ケンジは素早くレイピアを突き出そうとする。
お互いの剣先が相手の体を捉えたであろう瞬間。
ケンジは構えたレイピアを。
手放した。
「!?」
驚くような息遣いを感じ取ったケンジは、その場で頭を横にずらし、空になった右手を頭が元あった位置に向けて、横から手を動かし、それを掴んだ。
手に伝わる金属のような触感に、ケンジはニヤリと笑うと。
その先にいるであろう相手に向けて、傷付いた左腕で無理矢理殴りつけた。
「っ!」
殴られたガジスは、咄嗟に掴まれていた剣をケンジの拳から引き抜くと、1度その場から後ろへと跳び去る。
「驚いたかな?」
素早く引き抜かれたせいで僅かに切り傷を作った右掌を振るいながら、挑発するようにケンジはそう言うと、地面に落ちたレイピアを素早く拾い上げる。
「……なんの意味がある?」
しかし攻撃を受けた本人は、本当に不思議そうにそんな事を言い始める。
「まさか、それが貴様の考えか? そんな傷ついた左手の殴打など某には効かん。
……いい事を教えてやろう。 そんな手負いの腕で殴打をするならば、体ではなく顔を狙うんだな。」
嘲笑うかのようなガジスの言葉を聞いたケンジだったが、彼はそれでも自信のある表情を崩さない。
いや、そればかりか。
先程より更に自信に満ちているようにも見える。
(何を狙っている?)
そんなケンジの様子に、何故か不気味なものを感じたガジス。
敵が何を考えているかわからない彼は、注意深く敵の動きを観察した。
しかし彼は、その場から動こうとはしない。
(自暴自棄か? くだらん。)
ガジスはそう吐き捨てると、その場から足音をさせずに僅かに横に逸れた、敵に自分の位置を悟らせないための工夫だ。
次こそは確実に仕留める。
そう決意したガジスは、刺突専用の細剣を前に構える。
(……む。)
しかし、そこでガジスは違和感を覚えた。
自分の体に……ではなく。
敵の動きにだ。
それを感じたガジスは、再びゆっくりとその場から更に横に移動する。
その違和感が気のせいだと確信するために。
しかし、それも無駄だった。
(……どうなっている?)
ケンジのその行動は、みるみるガジスの不安を高めていく。
(何故だ?)
ガジスは再びその場から移動するが、その行動は更に彼を焦らせる結果となる。
(何故……奴は。)
その不安は大きくなり、彼の額には珍しく冷や汗が流れる。
まるで目の前の敵に恐怖するように。
(何故奴はこちらを見ている!?)
慌てたガジスは、その場から素早く走る。
そして高速でケンジに刺突を繰り出そうとした。
しかしその攻撃は難なく避けられ、そして。
ケンジのレイピアが腹部を貫いた。
「ぐふっ!?」
咄嗟にケンジを蹴り飛ばし、その勢いで腹部のレイピアを抜き去ると、ガジスは再び距離を取る。
そして足音を立てずにその場から回るようにガジスは移動する。
しかしそんな彼を朝笑うかのようにケンジの視線は、それに追従するようにこちらを見ていた。
(有り得ん……!)
その場でケンジに向けて跳躍したガジスは、上空から下向きに細剣を向ける。
それは足音をさせずに敵に近付き、確実に仕留めるための行動だった。
しかしケンジは、それをまるで見切っているかのように体を横にずらすと、攻撃が空振りして地面に降り立ったガジスの脇腹に向けてレイピアを突き刺す。
「ぐぅ!?」
レイピアが抜き取られた感触を覚えたガジスは、慌ててその場から移動すると、立っていた場所に向けて横薙ぎの攻撃が振り抜かれる。
(有り得ん……!?)
2度も攻撃を避けられた上に、反撃を受けてしまったガジスは、咄嗟に自分の剣に向けて視線を動かす。
自分の位置がバレているとすれば、その剣にしか覚えが無かったからだ。
しかし、自分の持つ剣には異常はない。
しっかりと対処している。
(何故だ?)
急に正確になった敵の攻撃の前に混乱しているガジス。
そんな彼を見透かしたように、ケンジは声を発した。
「驚いているみたいだね。 自分の考えは当たっていたようだ。」
ケンジの言葉を聞いたガジスは、彼に向けて視線を動かす。
すると、やはり彼の視線は真っ直ぐにこちらを見ている。
完全にこちらの位置を把握している。
そう感じたガジスは、周囲の様子を見た。
色々な場所にへと視線を動かしていたガジスの視線の先に、ある物が映る。
地面に少しずつ垂れている赤い液体。
それの正体に気付いたガジスは、ケンジの体へと視線を戻す。
彼の体を注意深く見ていたガジスの視界は、左手で止まった。
左拳の先から、一定間隔で血が滴っていた。
「戦っている間、自分は左手をずっとぶら下げていたよね。 アレには意味があったんだ。」
ケンジは話の途中でガジスに向けて真っ直ぐに突撃する。
彼の位置を完全に把握しているかのように、迷いなく。
「自分の左腕は君に貫かれて負傷した。 ならば? それをずっと下に向けていたら……拳にはある物が溜まるよね?」
ケンジはレイピアを素早く袈裟斬りに振るうと、それはガジスの体を浅く斬りつける。
ガジスが、咄嗟にその場から移動したが故の軽傷だ。
動かないでいたらそれで勝負がついていただろう。
「そう、怪我した人間から必ず出るもの……血だ!」
ガジスは、咄嗟に自分の体へと視線を落とし、その光景に舌打ちをした。
彼の腹部……先程殴打を受けた場所。
そこの部分の衣服に真っ赤な血が付着していたからだ。
「君の力は詳しくは知らないけど、どうやら君の血はその力の対象らしい。
しかし、自分は見たんだよ。」
ケンジは再びガジスへと近付くように移動を開始する。
「君のその剣に付いたこのケンジの血を、何かで拭き取る光景をね!」
ガジスへと肉薄したケンジは、彼の体に素早く2発の刺突を叩き込む。
しかし、反撃で振るわれたガジスの刺突を左肩に受けたケンジは、痛みで少し怯んでしまう。
痛みに耐えながら、その剣を自ら体を動かして素早く引き抜くと、まるでケンジの血が空を飛ぶように移動していく光景が見えた。
姿の見えない剣に付着した血だけが、ケンジの視界に映っているが故だ。
そしてそれは素早く拭い取られ、再びケンジの視界には何も映らなくなる。
ガジスの腹部に付いた血を除いて。
「見事、反射的に拭うように自分に癖づけているね……痛みで意識が武器に向いていない一瞬を上手く利用している。
君は相当すごい男だ。
その拭った布かなんかは、その衣装の内側に隠しているのかな?」
「ご明答……そうだ、某の能力はこの特殊な加工がされた装備と、某の体を構成する物質にしか効果はない……見破ったのは貴様が初めてだ。」
ガジスはそう言うと、体の負傷を気にすることなく構えるような動きを取った。
それを感じったケンジも、素早くレイピアを構える。
「秘密を知った貴様は殺さねばならぬ。」
「暗殺者らしい。」
「貴様には敵わぬかもしれん、しかし某は負けることは無い。」
ガジスの負け惜しみのような言葉を聞いたケンジは、彼の言葉の意味を上手く聞き取れなかった。
しかし、そんなことよりもこの男を無力化しなくてはいけない。
とそれだけを考えることにした彼は、細かいことは後回しにする。
(負ける要素は無い。)
ケンジはそう確信すると、ガジスに向けて全速力で走る。
厳密に言えば、その空間に浮いている自分の血に向けて、だが。
そんなケンジに対応するかのように、浮いている血は空中に高速で舞い上がる。
ガジスが跳躍して迫ってくると察したケンジは、姿勢を低くし、レイピアの刃先を上へと向ける。
「かける時間は少ない方がいい。」
突然、そのような言葉を発したガジスに、ケンジは違和感を覚えたものの、向かってくる自分の血に意識を集中する。
「時間を無駄に浪費する、それは唾棄されるべき愚行。」
緊張の為か長く感じる、その迫ってくる血との接近。
その上で、何故かガジスの声はハッキリと聞こえる。
「しかし……無駄では無い時間の浪費に対しては。」
ケンジは、敵が全てを言い終わる前にその血に向けて全力でレイピアを貫く。
「喜んで受け入れよう。」
ケンジは、その感触に違和感をもった。
軽い。
軽すぎる。
剣先に人間1人が刺さっているとは思えないほど軽い。
「表の戦士、闇の戦士。」
ケンジは咄嗟にその場で振り返り、ある場所へと全力で走る。
「その目的の違いに気付かなかった貴様の負けだ。」
ケンジは全力で走った先で、全力でその人物を突き飛ばす。
目の前で驚いたように宙を舞うその人物は、驚愕の表情を向けていた。
まるで信じられない物を見るかのように。
ケンジは自分が負けたことを悟った。
しかし、彼が無事であればそれで良かった。
ダルゴ司令官が無事であれば。
「貴様!?」
自分の上から、悔しそうな怒号が聞こえる。
自分は一矢報いたのだと、ケンジは笑う。
自分の背中側から、剣に貫かれていようが。
「ケンジ!?」
剣に貫けれたケンジが床に倒れ、謎の金属音が1度響いた。
そのタイミングで、ダルゴはその何も無い空間に向け、全力で拳を振るう。
右手に伝わる感触から、その殴打が見事に入った事を悟った。
そして敵の手元から離れたお陰か、ケンジに突き刺さった細剣の姿が浮かび上がる。
それはケンジの急所の位置を見事に貫いていた。
「しっかりしろ!」
ダルゴはそう叫ぶと、ケンジの体を動かそうとするが、突き刺さった剣は見事に床にも刺さっており、これを抜かない限りは無理そうであった。
咄嗟に剣を抜き取ろうとしたダルゴだったが、その剣の感触からそれを辞める。
(抜いた時の勢いで、そのまま体からも剣が抜けるような的確な力で床に突き刺さっている!?)
剣を抜かねば医務室に運べない。
しかし、抜けば大量出血での失血死の危険がある。
ダルゴは慌てて周囲を見渡した。
しかし、この執務室には、不思議と他の人間の気配がない。
(先程の男は……!? いや今はそれよりも!)
ダルゴは執務室の出入口へと素早く移動する、そして1度振り返ると、倒れているケンジに声を掛けた。
「死ぬなよ、直ぐに軍医を連れてくる! 貴様はそんなヤワではなかろう!?」
それだけ怒鳴るように吐き捨てたダルゴは、周囲を警戒しながらも移動を開始した。
最も信頼する右腕の命を救うために、彼は走る。
先程の男がどこにいるかも分からない今、自分の命も危ういかもしれない。
そんな事も気にしない程に、彼は慌てていた。
普段の彼からは想像も出来ない程に必死なダルゴは、軍の基地内を駆け回るのであった。