3章:剣士と暗殺者
「出てこないわねぇ。」
聖魔術師でありながら普通の魔法を使う。
そんな不思議な存在である可能性が判明したセラルに会う為、ノーラス軍の基地からセラルの家に移動したナム達だったが、肝心の本人は出てこなかった。
ミナが家の扉をノックしてからかなりの時間が経った頃、彼女は、ため息と共にそんな事を呟いていた。
「留守なのか? ちっ……こんな時に。」
思い通りに事が進まず、苛立ちを隠しきれないナムは、面倒そうに吐き捨てる。
元々子供が苦手なの性格なのが、余計に苛立ちを増しているのだろう。
「ま、居ないなら仕方ないだろ……どうする?」
「帰宅するのを近くで待ちますか? 兄様。」
トウヤの言葉に対し、リィヤは何度か入店した飲食店を指差しながらそう答える。
トウヤはその提案に満更でもない反応を返し、ミナに至ってはとても乗り気だった。
「僕も賛成かな、あの店なら帰ってきたらすぐ分かるし。」
「決定ね! あそこで待つわよ!」
「本当にあの店好きだなぁ、お前。」
目を輝かせるミナの迫力に、ナムは呆れながらも黙って着いていく。
彼には断る理由も無い。
しかし、目を輝かせていたミナが急に足を止めると、しまったという雰囲気を出しながらこちらに振り返る。
「賛成してくれた所で申し訳ないけど、本当に大丈夫? 特にタイフさん。」
彼女の言葉と共に、ナム達はタイフへと視線を送る。
タイフの体には包帯が至る所に巻かれており、ミナの心配も理解出来る状態だった。
今回の戦いで、銃使いであったシュルトと戦った彼が最も傷が深いのだから。
「うん、問題ないよ……ミナが早く治療してくれたしね。」
「無理はしないでね、大丈夫って言うなら安心だけど。」
唯一の懸念が無くなったミナは、再び我先にとその飲食店へと移動する。
そんなミナを見ていた仲間達は、リィヤを除いてお互いに顔を見合わせ、苦笑した。
「ま、付き合うか。」
「セラルさんが帰ってくるまで待つには丁度良いと思います!」
この店を指名した張本人であるリィヤも、ミナと同じ程度に目を輝かせており、余程楽しみと見える。
そんなナム達が全員が店内に入ると、彼らは店員にテーブルにへと案内され、ミナとリィヤの注文を皮切りにそれぞれの好みの物を順番に注文した。
「私はこれ。」
「わたくしは紅茶と……このケーキで!」
客がまばらな店内に、女性2人の元気な声が響き渡るのだった。
トラルヨーク軍基地内部。
そこの司令官の執務室内で、ダルゴ司令官とケンジ副司令官の2人は、姿の見えぬ敵と相対していた。
「ダルゴ司令官……自分の後ろに。」
「ふん! 儂がそんなコソコソするとでも?」
トラルヨーク軍最強の剣士であるケンジは、ダルゴのそんな言葉に対して冷や汗を流す。
大人しく守られる人では無いとは分かっていたが、姿の見えない敵に対しても変わらないとは、流石のケンジも予想出来なかった。
「どんな敵か、まだハッキリしません。 とはいえ……暗殺者の類でしょうが。」
「そやつがビネフ程の実力がない限り、儂は死にはせん!」
これはダメだ。
ケンジはそう確信し、彼を説得するのを諦める。
こうなったダルゴは、意見を絶対に変えないどころか、下手にしつこく進言すればそれ相応のペナルティがある。
ケンジは、今日は平和に暮らしたかったのだ。
(その筈だったのに、まさかここに敵が白昼堂々忍び込んでくるとは……ついてない。)
そう内心で自分の運の無さを嘆いていたケンジだったが、右手に構えたレイピアを素早く構える。
肩の高さでレイピアを持ち、敵に向けて切っ先を向ける構えだ。
彼はその姿勢のまま、この部屋に感じる何者かの気配を感じる場所を勘で探す。
見た目では全く違和感は無い。
しかし、この部屋に2人以外の何者かが居るのは間違いないのは確かだ。
「大人しく出てきなさい……この自分が相手になろう。」
先程と同じような言葉を発したケンジは、神経を研ぎ澄ませて周囲を警戒する。
小動物の足音すら聞き逃さない、と言わんばかりに。
そんなケンジの様子を見たダルゴは、彼の何者かが居る。
と言う言葉に一切疑う事無く、周囲の様子を警戒している。
有能で信頼出来る右腕の言葉は、彼にとって疑う必要のない事実なのだ。
ケンジが周囲に警戒を続ける中、とうとうそれは聞こえた。
部屋の中に微かに響く足音を。
(警戒していなければ聞き漏らすような本当に微かな足音、この人間……出来る!)
ケンジはその場で素早くレイピアを横薙ぎに振るう。
その攻撃に驚いたその何者かが、慌てて後ろへ飛び去るような空気の動きを感じ取ると共に、切っ先に何かが当たるような感触も覚える。
これにより、この部屋に何者かが居るのは完全に疑う余地のないものとなる。
「いたのか?」
「確実に。」
ケンジがレイピアの切っ先へと視線を動かすと、その切っ先に黒い布のような断片が引っかかっている。
体には当たらなかったものの、その衣装に命中したらしい。
(一体どんな原理なんだ……なぜ姿を消せる?)
ケンジはレイピアを1度空振りさせ、その布を落とすと、再び先程と同じような構えを取る。
その時だった。
一見2人しかいないようにしか見えないこの部屋に、声が響いたのは。
「貴様、やるな。」
ケンジは、その声が聞こえると共に目を見開き。
そして、素早くその声のした位置へと全速力で移動し、素早くレイピアをその場に突き刺すように振るう。
しかし、肝心の敵は既にその場にはいなかった。
「どこへ……!?」
見失った敵を探す為、辺りを見渡そうとしたケンジだったが、そこで背筋に冷たい空気を感じた。
彼は、慌ててその行動を取りやめ、全速力である場所へと向かう。
守るべき存在、ダルゴの元へと。
「司令!」
「!?」
ケンジの大声に何かを悟ったダルゴは、その場から横へと跳ぶように移動する。
その軍服の脇腹辺りの位置に切れ目を残しながら。
ダルゴの危機を間一髪で防いだ彼は、ダルゴが元々立っていた場所に向けて再びレイピアを突き出す。
(……!)
その時、レイピアの刀身から伝わった感触で、その場に見えざる敵がいることを察する。
彼の振るったレイピアは、その敵の体の何処かを突き刺したようだ。
「……ぐ!?」
微かな声を聞いたケンジは、そのレイピアを抜き取ると、その場で横薙ぎにレイピアを振るう。
しかし、先程とは違ってその切っ先に感触はなく、既に敵はその場から居なくなっていることを悟る。
「やったのか!?」
「いえ! まだ生きてます。 ……すみません、敵の策略に乗ってしまいました。」
ケンジは素早く構えを取り、自分の浅はかさを悔やんだ。
先程声を出したのは、恐らくケンジを誘うための囮だ。
姿の見えない敵と相対した時、僅かな痕跡を見つけた場合、どうしても攻撃したくなる。
そんな心理を逆手に取った作戦だったに違いない。
「敵は相当腕のたつ暗殺者です! 油断なきよう!」
「それほどか……エストのあやつが死んだ原因は恐らく。」
「間違いありません、この存在でしょう。」
ダルゴを背中で守るように体の向きを変えたケンジは、再び構えを取って周囲の警戒を続ける。
(姿の見えない敵……なんと恐ろしい存在だ。)
ケンジが内心、その敵に対して恐怖している途中。
その敵の声が再び部屋の中に木霊する。
「やるな。」
「もう引っかからないよ、大人しく出てこい。」
声のした方向へと視線を動かしながらも、足は動かそうとしないケンジ。
先程の失敗を繰り返さない為に、慎重になった彼は、ダルゴの近くから離れようしない。
敵を倒すことより、ダルゴを守ることに重点を置いた結果だ。
「成程……仕方あるまい。 先ずは貴様を倒さない限りは無理という事か……時間が惜しい……本当に惜しい!」
謎の存在がそう言うと、突然に部屋の一角の景色が歪む。
歪んだ景色は少しずつ何者かを浮かび上がらせ、そしてしばらく後、その存在の姿はハッキリと映る。
黒い衣装で全身を隠したその存在が姿を現した。
「魔物じゃないのか……人の姿をしている。」
「ヒューマンの可能性もあろう。」
「ダルゴ司令官……自分を過分に評価して頂けるのは有難いですが……ヒューマンなら自分は瞬殺されていますよ。」
「そんな気持ちでどうする! 貴様はトラルヨーク軍トップの剣士であり、儂の右腕なのだぞ!」
お互いにそんな軽口を発しながらも、目の前の敵に視線を向け続ける2人。
その黒服の存在は、その手に持った刺突用の細剣をゆっくりとケンジたちに向けてくる。
「某はガジス、司令官の命を頂きに来た……が、先ずはその男を殺さねば叶わぬ。
ならば、貴様と勝負をしよう。」
「ほう、暗殺者にしては中々出来た男だ。」
ケンジとガジスは、どちらからともなくその場から回るようにゆっくりと移動する。
お互いに刺突を得意とする武器の切っ先を相手に向けながら。
そして、お互いにしばらく睨み合った後に、同時に動き出す。
姿を出したままのガジスに向け、高速でレイピアを突き出すケンジと、それをしっかり目に留めながら反撃と言わんばかりに刺突専用の細剣を振り抜くガジス。
2人の最初の一撃は、お互いの体の傍を刀身が通り抜けただけに留まる。
接敵時には既に攻撃に転じていたケンジに比べ、同時刻にはまだ振り抜きの動作だったガジス。
生粋の剣士と、闇に紛れる暗殺者の技量の差は大きく開いている。
「ふふふ、某の腕では貴様に勝つのは不可能……か。」
「自分の腕を過信しない辺りに、腕の高さが見受けられるね。」
ケンジはそのままレイピアを袈裟斬りに振り抜くが、ガジスはそれを素早く跳躍することにより避け、距離が離れた位置へと着地した。
見た感じ、ガジスの剣は完全に刺突専用の物だ。
対してレイピアは、刺突が得意な上、しっかりと薙ぎ払いによる攻撃も可能な武器となっている。
暗殺に特化した武器では、ケンジには敵わない。
「……ビースト・オーラ。」
小さく呟いたガジスは、先程と同じように姿を消すと、素早くその場から移動を開始する。
ケンジは、またもやダルゴを狙う為の行動と思い、彼の近くへ寄ろうとする。
しかし、そこで声が響いた。
「安心しろ、今は貴様だけだ。」
ケンジがその声がした方向へ慌てて振り向くと共に、咄嗟にその場から飛び退く。
しかしその行動も虚しく、ケンジの左腕に鋭い痛みが走った。
「ぐっ!?」
痛みが走ると共に、ケンジはレイピアをその場で袈裟斬りに振り抜くが、その剣が当たる直前。
腕から何かが引き抜かれる感覚とともに空振りしてしまう。
(厄介だ……全く見えん!)
ケンジは痛む左腕をぶら下げながら、周囲へと視線を動かす。
しかし、完全に姿を消したガジスを見つけることは出来ない。
このままでは、なぶり殺しにされる。
そう思ったケンジの視界に、ある瞬間が映った。
それは奇跡のようなものだった。
敵はその動きを極めているであろう。
それが、がむしゃらに視界を動かしたことにより偶然目に捉えたのだ。
(……なるほどな。 良く考えればその通りだ。)
見えない敵に対して勝利する道が見えたケンジは、その道を確たるものとする為に周囲を見渡す。
この部屋にそんなものは無い。
しかしそこでケンジは、自分の左腕を見た。
(これだ。)
ガジスの唯一とも取れる弱点。
そこを突く為、ケンジは再びレイピアを構える。
やるとすれば、次の攻撃の時だ。
(来るがいい……次自分を傷付けた時、それがお前の終わりだ。)
剣士と暗殺者の戦いは、まだ続く。