3章:冬の町、ノーラス
ホーネットの森から脱出し、目的地であるノーラスに向かって移動していたナム達。
彼の歩く場所は、既に平原から雪景色へと変わっていた。
「寒いですね……ナムさんの言う通り早めに野宿しておいて正解でした。」
凍えるような寒さに身をふるわせるリィヤは、辺り一面に広がる雪を眺めながらそう呟く。
この一帯は気温が低く、雪が降る確率が高い。
それを知っていたナムにより、まだ暖かい場所で彼らは野宿をした。
それのお陰で、本来であれば日が沈んでしまう時間にこの一帯にたどり着く筈だった所を、日が登っている時間に通ることが出来たのだ。
「夜になるとまた一気に寒くなるからな、ナムの判断は間違ってなかったな。」
「私達にとっては基本よ、むしろ覚えてた事に感服だわ。」
「どういう意味だ、おい。」
トウヤの褒め言葉の後のミナの軽口に、ナムはすかさず反論をするが、当の本人は全く意に介していない。
それは、普段から細かいことを記憶していないナムの信頼がかなり失墜している証拠でもあり、うっすらとそれを認識した彼は額に青筋を浮かべる。
「う……そ、それより、寒くないの? それ。」
ナムの様子に怯えたタイフが、おもむろにミナの着ている鎧へと指を差す。
ミナはその指の先を確認すると、彼女は得意げに鼻を鳴らした。
タイフの指差した先は、ミナのわざと露出が多く設計された鎧の造形だった。
へその部分と太腿の辺りが完全に無防備になったその鎧は、外の寒さすらからも無防備の筈だった。
「ふふ、問題ないわよ! 私の拘りのためならこのくら……くしゅん!?」
得意げな表情だったミナは、突如くしゃみを1度すると肩を抱えて震え始める。
やはり寒いようだ。
「うう……意識したら寒くなってきたわ。」
「馬鹿だろ。」
ナムがそう呟いた途端に、ミナの懐から双剣の片割れがナムに向けて振るわれ、それをナムは視線すら向けずに指で白刃取りをする。
しっかりと刃がナムの方に向けられており、受け止めなければ斬られていただろう。
「なんか言った?」
「馬鹿だろ。つったんだよ……明らかに寒いだろそれは。」
「ナムの癖にぃ……! むぐ、動かない!?」
ナムの指に止められた双剣は、ミナがどんなに力を込めようと動くことすらなかった。
顔を赤くして双剣を取ろうとするミナを見て、ナムは諦めの溜息を吐き出した。
そんな時、2人のやり取りをヒヤヒヤしながら見ていたタイフが視線を動かすと共に、何かに気付いたように指を向けた。
「あれ……町かな?」
タイフがそう質問すると共に、ナムは思わず剣を掴んでいた指を離し、ミナは勢い余って後ろ向きに転倒する。
「あちゃー。」
「大丈夫ですか!?」
トウヤは目元に手を置いて声を上げ。
心配してミナの元に駆け寄ったリィヤは、ミナの手を掴んで彼女を起こす。
リィヤに起こされたミナは、慌てて太腿やへそに溜まった雪を慌てて払うと、更に身を震わせてナムを睨んだ。
「覚えてなさいよ。」
「悪いな、わざとじゃねぇよ。」
2人は一瞬睨み合うが、ミナが再びくしゃみをしたことにより、それは終わりを告げる。
そして、ようやくタイフが指さした先を見たナムは、その町を確認すると、その表情を微妙なものに変えた。
「あー、ノーラスだ……間違いねぇ、来ちまったな。」
ナムがそう言うと、今まで大人しく着いてきていたセラルが彼の横に並んだ。
「本当ですわね……冷えますからお早めに向かいましょう。」
セラルの発言の後、彼女を追うように近くに寄ってきたリィヤもセラルの隣に立ち、遠くに見える町の景色見る為に目を細める。
「ノーラス……この景色を見ると、わたくしが孤児院から引き取られた時の事を思い出しますね。」
「あら……孤児院出身でしたの? トウヤ様と本当の兄妹だと思っておりましたわ。 だって、本当に良い家族にしか見えませんもの。」
セラルの言葉に、リィヤは本当に嬉しそうにゆっくりと頷く。
それを見た彼女は、自身の口元に手を置いてクスりと笑う。
「羨ましいですわ。 さぁ、ノーラスへ向かいましょう。」
セラルとリィヤは同時に頷くと、我先にと町へ向かって歩き始める。
それに続いて、他の仲間達も町へと向かって移動を再開した。
ミナだけはどんどん震えが大きくなってはいるが。
「ううう……ダガンさんのくれた腹部の追加装甲付けようかしら。」
「俺様は早く着けた方がいいと思うけどな、寒そうだし。」
ノーラスへの移動中、ミナは散々悩んだ挙句。
まるで本当に嫌なことをするかのような表情でへその部分を隠す追加装甲を装着したのだった。
それから30分程後、ナム達はノーラスの町中へと辿り着いていた。
門には数名の軍の人間は居たが、ナム達の素性を話したら、気持ちの悪いほどにすんなりと中に入ることが出来た。
ナム達は、むしろ大歓迎とも呼べるような待遇をされた事に違和感を覚えながらも、今ここに立っていた。
「随分……すんなりだったね。」
「あぁ……お待ちかねみたいな空気だったな。」
タイフとナムは、そう言うと背後へと振り返る。
そこには、まだ見送りの姿勢を崩さないノーラス軍の人間が立っていた。
少し前屈みの姿勢、軽い一礼のような姿勢を崩さないその軍の人間を眺めたナムは、鼻を1度鳴らして興味なさげに視線から外す。
「そんな悪い意味は無いと思うわよ?」
「俺様が思うに……ダルゴ司令官が連絡してくれてたのかもしれないしな。」
「きっとそうですよ、兄様!」
仲間達の会話を尻目に、ナムは面倒くさそうに町中へ向かって移動を開始し始め、仲間達もそれにつられて移動を開始した。
雪が降り積もる町並みを興味津々で見回すリィヤと、あくまですまし顔を保ったまま、視線だけは周りを見ているセラル。
お嬢様らしい2人の対象的な様子だ。
セラルが本当に令嬢なのかどうかはわからないが。
「あ……申し訳ありません、ワタクシ1度寄りたい所が……よろしいでしょうか?」
「あら、良いわよ。」
「感謝しますわ……こちらへ。」
高級飲食店の店員が案内する時のような仕草で、手をある方向へ向けたセラルは、先頭でその方向へ歩き出した。
ナム達も彼女へとついて行くように歩きだす。
「この町、ワタクシの故郷ですの……この荷物を置いておきたくて。」
セラルは、昨日の野宿でまた多少嵩の減った荷物、果物が詰められた袋を揺らす。
たしかに昨日の時点でセラルがまた食べて減ったとはいえ、その荷物は重いだろう。
「へぇ、お前もここが故郷だったのか。」
「えぇ、このお洋服も実は寒さに対して強いのです。」
セラルは確かにこの町に来るまでの間にも、凍えて震えるようなことはなかった。
彼女の言うとおり、特殊な素材で出来た服なのだろう。
雪が降り、気温の低いノーラスが故郷であれば必須だ。
そんな会話をしながら10分ほど歩いた時。
セラルはその町の中の雰囲気に完全に紛れ込んだ建物の前で止まる。
「ここですわ、申し訳ありませんが、ワタクシあまり家に他人を入れることをあまり良く思っていなくて……外で待っていて貰っても?」
「あ? こんな寒い中外。」
「はいはい、人には事情があるのよ、行ってらっしゃい。」
文句を言いたげなナムを静止したミナの言葉を聞いたセラルは、1度深く礼をすると家の中へと入っていった。
ごく普通の家だ。
この町の景色に紛れる、それはつまり何の変哲もない一般の家だ。
てっきり令嬢かと思えるような立ち振る舞いをしていた彼女とは思えないほどの自宅に、ナム達は少なからず驚愕する。
「普通だね、僕てっきりどこかのお嬢様かと思ってた。」
「実はわたくしもです……人は見かけによらないとはこの事ですね。」
こうして家の外観を眺めながら、どの位経っただろうか。
頭の上に雪が積もり、振り払っても湿るようになるくらいの時間だ。
「長ぇ……!?」
「お、遅いわね……流石に寒くなって来たわよ。」
セラルが家の中に入ってから、ひたすら待っていたナム達は、体が少しずつ震え始めていた。
トウヤの魔法で炎を出しても良いが、ここはあくまで町の中の為に迂闊なことは出来ない。
「荷物を置くだけにしては……うう、長いですね。」
「何してるんだ? 俺様も流石に凍えてきたぞ。」
そんな事をしてる間に、ナムがおもむろに扉の前へと移動する。
「ナム!?」
タイフの困惑するような声を無視し、ナムはその扉をノックしようと手を伸ばそうとした。
しかし、ちょうどそのタイミングで扉が開き、ナムの顔を扉が勢いよくぶつかった。
「あら……これはこれは、大変失礼致しました。 遅くなってしまい誠に申し訳ありません。」
扉から出てきたセラルは、扉の前で鼻を抑えるナムに向かって謝罪する。
その顔は慌てていたのか少し赤らんでおり、すまし顔の彼女にしては珍しく機嫌が良さそうに見えた。
「いえ、戻ってこなかったからその馬鹿が先行しただけよ。」
「それは申し訳ありません……えっと……つい荷物の果物をまた少し召してしまい。」
すまし顔ではあるが、顔を赤らめて少し恥ずかしそうにしている彼女を見たナム達は、彼女らしい遅れた理由に苦笑いをする。
「……あ、体が冷えになられていますよね、近くに暖かい飲み物を揃えたお店がございます……そちらへ向かいましょう。」
セラルは、一礼と共にその向かう先へと歩きだす。
先程よりも更に優雅になったその歩き方の美しさに、ナム達は思わず感心してしまう。
先程の荷物が余程重かったのだろう。
「わ……わたくしも負けてられませんね。」
「いや、父上と俺様は別にリィヤにそんなことは望んでないぞ?」
それを聞いたセラルは、クスりと笑う。
「良い御兄妹ですね……微笑ましいですわ。」
セラルは、町の外でも行ったような言葉を再び口にする。
余程トウヤとリィヤの関係を気に入っているのだろう。
「その店出たら、俺達はどうする……俺は本家に戻ろうと思うが……今ならクソ親父も居ねぇだろうしな。」
「私も1度帰ろうと思うわ、母さんにも久しぶりに会いたいし。」
「俺様も1度戻るよ……母上に顔を見せてくる。 そうか、ナムは……すま。」
ナムは手をトウヤに向け、その言葉を静止する。
「お袋……フウルの記憶は俺にはねぇ……物心つく頃にはとっくに逝っちまってたよ。 気にすんな。」
ナムは、それだけ言うと黙ってしまう。
少しだけ重苦しい空気になり、自然と仲間達の会話も減る。
しかしそんな中、黙々と先へ進むセラルが立ち止まってこちらへと振り向いた。
「こちらとなります、入りましょう。」
セラルはそれだけ言うと、目の前の店の扉を軽くノックしてから開ける。
「室内も暖かく、お飲み物も美味ですわ……お気に召すかと。」
「それは楽しみだわ、ささ、早く入りましょ。」
「おう、俺は腹が減った。」
口数の減っていた仲間達も、ナムの相変わらずの様子に安堵し、自然と空気も軽くなる。
その日、その店で食事を取ったナム達は、そのまま町の中を散策した。
日が暮れるまでセラルと共に町を周り、タイフ本人も忘れていたの銃の弾丸の購入。
治療用の医薬品、旅の日用品等を買い揃えた。
装備に関しては、ある程度回ったがやはりダガンの鍛冶屋程の店は見当たらなかった。
「装備壊れたら、またトラルヨークに行かないといけない感じかなぁ。」
新たに購入した銃の弾丸を革鎧に収納しながら、タイフはそんな事をボヤいていた。
幾つ要るのか分からず、少し多めに買ってしまったが故に、幾つかの弾丸は革鎧の収納に収まらず、タイフは苦心していた。
「そこまでの激戦はもう無いと思うわよ……ベルアは、もう死んだんだし。」
「そうだな。」
ミナのそんな言葉に同意したナムだったが、どことなく彼は不安を感じていた。
裏で動いているかもしれない正体不明の組織。
それがどうしても彼を不安にさせる。
(杞憂なら……良いがな。)
散策が終わり、セラルを自宅に送り届ける道中で、ナムはその不安を一旦保留にする。
「さて、ワタクシはここまでで結構ですわ……皆様もお気をつけてお帰りください。」
「わかりました……あ、もし良かったら明日もわたくしと会いませんか?
恐らく暫くこの町に滞在する筈ですし……ね?」
リィヤは、隣にいたトウヤへと視線を向け、彼の頷く様子を見て笑顔になる。
「構いませんわ……ではまた明日。」
セラルはそれだけ言うと、自宅の方向へと歩いて行った。
リィヤは、そんな彼女へと手を振る。
しかし彼女は1度も振り返らなかった為、その手を振る仕草は1度も確認されることはなかったが。
「さて、僕はどうしようかな。」
セラルと別れた後、唯一この町に自宅を持たないタイフは、宿の心配をしていた。
しかしそんなタイフに向かって、突然驚愕の言葉がかけられることとなった。
「あ? なんだったらブロウ本家に来るか? 今なら誰も居ねぇよ。」
ナムのまさかの提案にタイフは驚き、壊れたゴーレムのようにカクカクとナムへと顔を向ける。
「……え、良いの!? 本家だよ!?」
「俺にとっちゃ実家と変わらねぇよ、問題ねぇ。」
「決まりね、たしかにブロウならタイフさんも泊まりやすいわ。」
萎縮するタイフを他所に、ナム達はそこで一旦別れ、それぞれの本家の方向へと歩き始める。
正気に戻ったタイフも、慌ててナムの背中を追って追いかけていく。
この町での初日の活動はこうして終わりを告げた。