3章:約束
トラルヨーク東に位置する広大な森。
人間の半分程の体格を持つ、巨大な鉢型の魔物、ホーネットが大量に生息することから。
通称ホーネットの森、とも言われるその場所で、ナム達は行動していた。
ホーネットの森の中心に存在する小さな村である、ネットの村を目指していた彼らの前に、この森の主である魔物達が襲いかかってきていた。
個体数の多い彼らから逃げる事は、いくらナム達でも難しかったようだ。
森の中の多くの木々に多数の巣を持つ彼等の目から逃れることはほぼ不可能であり、ホーネットの集団との戦いをする羽目になっている。
「この集団さえなんとかすれば、村はもう少しです!」
「おう……ちぃ、めんどくせぇなぁ。」
エイルは、村の方向を指し示しながらも、襲いかかってきたホーネットの1匹へと拳を叩き込んで粉砕する。
ヒューマンである上に、ホーネットへの対策が厳重なネット村の住人である彼にとって、この程度の魔物は大した敵ではないのだろう。
エイルが指し示した方向に村があるのは確実だろうが、ここまで鬱蒼とした森の中では、ナム達にはそれを把握できない。
エイルを送り届けるのが目的である為、当然ではあるのだが、彼が今ここにいてくれることで、森を抜ける労力が遥かに下がっている。
ナム達だけでは、前回のように方向もわからずにがむしゃらに歩いていたことだろう。
「ソルジャー・ホーネットが居ないのがまだマシだね。」
尻先の長い針を使って飛び掛ってくるホーネットへと、風の刃、ウィンド・カッターを放って切り刻んだトウヤは、直ぐに次の個体へと手先を向けて次の風の刃を放つ。
本当は炎魔法で焼き払うのが1番手っ取り早いのだが、この森に火事を起こすわけにもいかない。
「こんなにホーネットを殺してれば、また出てきちゃうわよ!」
彼女の振るう双剣で、2匹のホーネットの首を同時に斬り落としたミナは、エイルの指さした方向へと少しずつ歩みを進めていく。
ビーストであるソルジャー・ホーネットが出てくる条件は2つ。
同じ巣の部下であるホーネットが大量に死滅すること。
ホーネットたちのボスである、同じくビーストのクィーン・ホーネットの死滅だ。
特に後者は問題である。
ホーネット達の巣は、実は全て連携が取られており。
別の巣のクィーンであろうと、死滅した場合は他の巣のソルジャー達も一斉に警戒態勢に入るという特徴を持つからだ。
前回はナムの失態によりクィーン・ホーネットが死んでしまい、森の中に全ての巣のソルジャー・ホーネット達が徘徊するという結果を生み出してしまった。
今回それを再び起こしてしまえば、またネットの村に滞在する羽目になってしまう。
「ダルゴさんに北の町を任されましたし……あの時みたいな事は避けたいです!」
「前回は、相当足止め食らったからね……僕も避けたいよ。」
1つ残った圏を投擲し1匹を斬り裂くと共に、別の個体へ拳銃を向けて頭を見事に撃ち抜いたタイフは、周囲を未来眼で警戒しながら戻ってきた圏を受け止める。
タイフがシュルトから貰った拳銃は、一般的な片手サイズの物だ。
本来であれば魔物に対しては大した力は持たないが、未来眼の力で敵の脆い部分を的確に狙い撃てる彼にとっては、それはかなりの強力な攻撃手段となっていた。
1つの圏と1つの拳銃。
それが新しいタイフの力だ。
「随分使いこなしてるな……流石タイフじゃねぇか。」
戦闘しながらも、タイフに向けて声を掛けたナムに対し、タイフは次の個体へと照れながら銃口を向けて射撃する。
未来眼は、自身の片目1つずつで3秒後の未来と現在を見る羽目になる超能力だ。
彼は右目が未来、左目が現在となっている。
その複雑な能力を使いこなす事ができる彼にとって、2つの武器を使いこなす事はそこまで難しいことでは無かったようだ。
「まだ完全には慣れてないよ……実戦と練習は違うって本当に感じてる。」
「まだ伸びるってか……こりゃ頼りになる……ぜ!」
タイフとの会話中に迫ってきていたホーネットへと、ナムはすかさず右足での蹴りを見舞い、その胴体に巨大な空洞を作る。
更に迫ってきていたもう1匹に向け、素早く右足を地面につけ、左足での回し蹴りを頭に叩き込み、吹き飛ばす。
2匹を葬ったナムだったが、まだ周りに多数のホーネットが居るのを確認すると、大きくため息をついた。
「キリがねぇ、村に向かって突破するぞ!」
「そうね、ソルジャーに出てこられても困るわ……良い? エイルさん?」
「はい! こっちです!」
エイルがもう一度方向を指し示すと同時に、トウヤが素早くリィヤを抱え上げる。
そして、ナム達はすかさず走りだした。
ナムとエイルが先頭を走り、前に躍り出るホーネット達へと拳を叩き込んでいく。
「あー……めんどくせぇ……この森めんどくせぇ!?」
迫り来るホーネットへの対処をしながら全力で走るナムは、現状への不満を大声で吐き出す。
「俺様達にとってはそんな強くないが……数が異常に多いな。」
「というか……前回より凶暴な気が……僕はするんだけど。」
「どっかの誰かさんがクィーンを殺したから、警戒してるんじゃないの?」
後ろから聞こえるミナの言葉をわざと無視したナムは、何匹目かもわからないホーネットへと拳を叩き込む。
そうこうしているうちに、鬱蒼とした森の景色の中に明らかな人工物が見え始めた。
「兄様……あれは村では?」
「そうだな! やっと着いたか。」
以前も見た、木材で出来た防御壁だ。
その壁の周りには、一定間隔で袋が吊り下がっている。
確か、ホーネット避けとして使われる物だった筈だ。
「あの壁にある程度近付けば、ホーネット達は来れません!」
「急ぐわよ!」
横から襲いかかってきたホーネットを、足を止めぬままに双剣で貫いたミナは、刀身に付着したホーネットの体液を振り落とす。
「後でしっかり掃除したいわ。」
村目前の所でミナが呟いたその独り言に、ナム達は一斉に苦笑いをするのだった。
中心にある木の枝に紐で吊るされた丸田へ、ひたすらに拳を叩き込む男がいた。
吊るされているため、拳を叩き込めばその丸太は大きく揺れ、場合によっては自分の方へと襲いかかる。
それをこの男は、最小限の動きでそれを避け、すかさずその丸太へ再び拳や蹴りを叩き込む。
そんなことを、既にかなりの時間行っていた。
このネット村において、現在は最強の身体能力を持つ男、ギーサは自分自身の鍛錬に励んでいる。
この村の脅威はほぼホーネットのみだが、この男には強くなろうとする理由があった。
「上には上がいる……それを知っちまったからにはな。」
以前この村を訪れた5人の人間達。
その中の1人である、ナムと名乗った男と1度手合わせをしたギーサは、自分自身の弱さを再確認した。
いや、相手が悪かっただけだ。
三武家の1つであるブロウの跡取りである人間相手に、勝負になる訳は無いのだが、それは鍛錬をしない理由にはならないのだ。
「勝てはしないだろう、それでも!」
この鍛錬が力になるかはわからない。
それでも何かをしなくてはいけないという衝動には勝てなかった。
森に出てホーネット相手に鍛錬をしてもいいが、同じ相手では慣れてしまって意味が無い。
この森にホーネット以外の魔物がいない事が、まさかこんな形で悪い方向に働くとは、流石のギーサも思わなかった。
ホーネット達は同じ魔物だろうがお構いなく襲いかかる習性がある為、この森は基本的に鉄壁の要塞でもあるのだ。
「ま、この村で住むならホーネット以外は特に気にしなくても良いんだが、と……ん? なんか騒がしいな。」
村の様子が少しおかしい事に気付いたギーサは、いったん鍛錬を辞め、近くに置いておいた布で流れた汗を拭き取る。
ごく稀に村の近くにまでホーネットがやってくること自体はある。
しかし、その時はギーサを含めた男達が対処している為に大事にはならない。
どちらかというと……また来たよ、程度の喧騒で終わるはずなのだ。
それと比べると、この喧騒は騒がしい。
(ソルジャーでも来たか?)
その場合であれば大変な事態だ。
過去に一度も無い事だが、今後も起きない保証はない。
それがたまたま今日起きた可能性もある。
(急ぐか。)
ギーサは、体を拭いた布を放り捨てると、喧騒のする方向へと慌てて走り出す。
ソルジャー相手に勝てる自信はないが、行かない理由はないのだ。
(せめて相打ち……!!)
と、そこまでの覚悟を持って移動していたギーサだったが。
彼の目の前には、予想とは全く違う光景が広がっていた。
村人達の喧騒は、招かれざる者へ対してではなかった。
むしろ逆だ。
近付けば近付く程、その喧騒は喜びだとわかるものだった。
「まさか……退いてくれ!」
この村1の強者であり、信頼されているギーサ相手に道を塞ぐ者など居ない。
村人達がむしろ道をあけるように自ら退いていく中。
ギーサの目の前には、見慣れた男の顔があった。
青髪であり、見た目は爽やかな印象を持つ……いや、印象だけでなく好感の持てる性格である男。
この村の住人であり、仲間である者。
「エイル……!」
笑顔で道をあける村人達の間を、ギーサは走り抜けた。
前に待つのは、以前にエイルをこの村に戻すと約束してくれた者達だ。
「ぜぇ……ぜぇ……ふぅ、遅くなったな。」
少女1人を除いて肩で息をする者達を見たギーサは、相変わらずの彼らの締まらなさに、思わず吹き出しそうになった。
「ふぅ、さすがに疲れたわ。」
「はぁ……ミナさん……達が疲れてるなら……僕がこんな状態……でも。」
「よく着いて来たな……流石だよタイフ……はぁ。」
「大丈夫ですか? 兄様……!」
疲れきった4人と、少しだけ息の上がったエイル。
そして、1人だけ何故か元気な少女。
(彼女、ああ見えて実は相当な身体能力の持ち主!?)
そんなとんでもない勘違いが、ギーサの中に生まれてしまった事をナム達はまだ知らない。
エイルとの久しぶりの対面の場だと言うのに、まるっきりそんな雰囲気にならない。
そんな彼等の疲労状態を見たネットの村の村長であるセクト長老は、一先ず彼等を休ませようとするのだった。
「こやつら……本当に凄い連中なのかどうかわからなくなるのう。」
部屋に案内してる最中、ギーサの後ろで聞こえたセクト長老の言葉を、彼は聞いてないふりすることにした。
特にナムに聞かれたら言い合いになる気しかしないからだ。
「どういう意味だ……おい。」
時既に遅かったようだ。
これにより無駄にギーサは悩み抱え、更にこの後起こる言い合いに苦労することになるのだが。
それは今は……いや、今後も関係の無い話だった。