2章:死神
ベルアとの戦いの後からどれほどの時間が経ったのだろうか。
その疑問を持った本人であるナムは、見慣れない……いや、ある意味見慣れたかもしれない天井を、目覚めと共に眺めることとなった。
白を基調とした建物。
俗に言う病院のベッドの上でいつの間にか寝かされていたナムは、自分の身に何が起こったのかを考えるのに短くない時間を費やした。
何となく体の方へ視線を向けると、自分の体には大量の包帯が巻かれており、さながらミイラのような姿になっていた。
「誰が……運んだ?」
ナムがそう呟くと共に、急激に記憶が蘇り。
彼は慌てて周りを見渡す。
どうやら大部屋の病室らしく、この部屋のベッドは自身が寝ている物も含めて6つあったが、それの内5つが既に使用されていた。
隣にあるベッドを確認すると、そこには見慣れた肩までの短い黒髪を携えたミナが眠っていた。
この位置からは見えないが、恐らく他のベッドにも仲間達がいるのだろう。
「よくわからねぇが……助かったみてぇだな。」
ナムは安堵し、全身の力を抜いて背中のベッドへと身を預ける。
何があったかはわからないが、とにかく全員助かったと考えて良いだろう。
タイフとリィヤの容態が気になる所だが、情けないことに体が動かないナムには確認のしようがなかった。
「随分会わねぇ内に独り言増えたなぁテメェは。」
「!?」
ナムはその声のした方向へと慌てて顔を向ける。
存在に気付かなかった……というより気付けなかった。
ナム相手にそんな真似ができる相手。
ナムにとってはあまり会いたくない存在でもあるその人物は、ニヤニヤとしたままベッドの上で横になるナムを見下ろしていた。
「よう、ナム……随分手酷くやられたな?」
「クソ親父!?」
ナムの父親でもあり、ブロウの現当主でもあるガイム。
彼はナムの頭がある方向の壁に、もたれ掛かるような姿勢で腕を組んでいた。
ミナ達の寝るベッドとは逆の方向だったので、ナムも偶然視覚に入らなかった。
いや、この男ならわざとそこに立っていたのだろうと考えたナムはムスッと表情を変える。
「たく……おめぇだけならわかるが、5人全員か……ミナとトウヤまでボロボロとはな……相当な強敵と戦ったんだろうな。」
「なんで俺はわかるんだクソ親父!?」
ナムは、ベッドの上で寝転がった状態でありながらも、父親であるガイムの方へ弱々しい右拳を突き出す。
しかし、ガイムはそれをあっさり掴み取ると、上の方へ腕を引っ張ってから右肩を手で押さえ付ける。
「あいだだだだ!?」
「怪我人は大人しく寝てな、てめぇじゃ俺には適わねぇよ。」
ナムは参ったとばかりに握っていた拳を開き、ガイムの目線の先で掌を向けて横に何度も動かす。
それを見たガイムはニヤリと笑うと、腕の拘束……というより極め技を解いた。
「いってて……怪我人相手に容赦ねぇな。」
「てめぇがもっと強ければそんな怪我しなかったんだよ、自分の未熟さを人のせいにすんじゃねぇ。」
「ぐっ……!」
「今回は特にひでぇぞ、てめぇがちゃんと訓練してりゃ、他の仲間達も死にかけることもなかった、特にタイフとやらとリィヤは危なかったんだぜ!」
ガイムの言葉に、ナムははっと表情を固くする。
「そんなに……やばかったのか。」
「たりめぇだろうが、俺ら三武家と違ってあの2人は一般人と大差ねぇんだ、あと少し治療が遅れてたらお陀仏だ。
後で軍の司令官に礼言っとけよ。」
軍の司令官、そう言われたナムは、視線だけをガイムへと向ける。
「ダルゴか?」
「知らねぇよ、てめぇらが何処かに行くのを防壁の上から見てたその男が、あの戦いの後処理が全部終わった後に部下達を向かわせてたんだよ。 不幸中の幸いだ。」
ガイムはそれだけ言うと、ナムの右手の方へ1度目線を向け、そして踵を返して部屋の出入口へと向かい始める。
「おい待て! 俺ら以外にもう1人いただろ、奴はどうなった!?」
ナムの呼び止めに足を止めたガイムは、体は前に向けたまま、肩と顔だけナムの方へ向け、それに答える。
「あ? 負けたんじゃねぇのか? おめぇら。」
ナムは、ガイムから言われたその言葉の意味。
それの理解に少なくない時間をかける。
「どういう意味だ?」
「運が良かったな、敵がとどめ刺さずに見逃してくれるような奴でよ。」
「おい、待て!? 詳しく話しやがれ!?」
ガイムはキョトンとした表情になり、ナムのその必死な雰囲気からただ事ではない何かを感じたのか、体を1度ナムの方へ向けて向き直った。
「……そうだな、おめぇのその状態なら……普通に考えたらそうか。」
「あ?」
「いや、なんでもねぇ……なるほど、負けた訳じゃねぇんだな?」
ガイムにしては珍しく、ナムの真意を早く理解した。
普段自分を馬鹿にする父親のその異常な理解の速さに、多少の違和感を覚えたナムだったが、そんな疑問は次にガイムから言われた言葉で頭から吹き飛ぶ事になる。
「いなかった。
てっきりてめぇらが全滅してお情けで見逃されたのかと思ったが……なるほどな。」
それを聞いたナムの表情は、みるみる青ざめていく。
奴は生きている。
ナム達5人とベルアしかあの部屋には居なかった筈だ。
それが居なくなっていた。
そうなると、ナムの結論は間違いなく真実だろう。
「クソが!!」
ナムは下にあるベッドへと拳を叩き付け……ようとした。
しかし、ナムの拳はガイムによって止められた。
「てめぇの力で殴ったら入院費が増えるじゃねぇか、弁償代でよ。」
「うるせぇ!」
ナムは力任せにガイムの腕を振り払う。
「どうやら随分やべぇ奴らしいな……暫くは俺達も追う、だからてめぇは大人しく寝てやがれ、今のてめぇがそいつとまた戦ってもあっさり殺されるのがオチだ。」
そう言うと、ガイムはナムの鳩尾に容赦なく拳を叩き込む。
一瞬の間に叩き込まれたそれにより、ナムの意識はゆっくりと暗闇に落ちる。
「ってぇ……力づくで振りほどきやがってコイツめ。」
ナムの意識が消える前、ガイムからは普段聞けないような言葉を聞いた気もしたが、それを認識するよりも先にナムの意識は暗闇の中に落ちていったのだった。
時同じく。
平原の何処かをゆっくりと歩く人影があった。
その体はボロボロになっていた。
「はぁ……はぁ……辛うじて……再生が……間に合い……ましたね。」
体中を血濡れにしたベルアである。
ナムの攻撃を受けて昏倒した彼は、その驚異的な再生力で移動ができる程に回復した。
しかし、流石に移動するだけで体中が悲鳴を上げ、攻撃までは出来なかった。
三武家達がここに来る時に、他の人間達に情報を渡していないという確信がなかった彼は、渋々気絶するナム達を睨みつけ、その場から立ち去った。
「ふ……ふふふ……我は運がいい……この体に感謝ですね。」
1度気絶をしたせいで、彼の両腕は人間の物へと戻っていた。
爪を再び発現させるのにもそこそこの体力が必要だったというのも、ナム達にとどめを刺せなかった理由の1つだ。
彼にとって、今は逃げるのが優先だった。
「お……覚えていなさい……我は再び蘇る……次こそは彼らをあの世へ送って。」
「みぃつけた。」
ベルアの足が止まる。
その声は今後ろから聞こえてきた。
今までに聞いたことの無い存在の声だ。
「あれ、間違ったかなぁ? こっち向いて欲しぃな。」
少女だ。
声の感じからして、成人はしていない少女の声だ。
「うぅーん……いや、雰囲気は似てるよねぇ? 聞きたいんだけど、君が剛爪かなぁ?」
ベルアは殺気を強める。
自身のその名を知っている存在は少ない。
この少女は間違いなく只者では無い。
「ほう……我に何か……用ですか?」
ベルアは、突如現れたその少女の方へ警戒心を保ったまま振り返る。
そこに立っていた者は、黒く長い髪を2つに結った髪型であり、その長さは背中の中心程まで長い。
恐らく16歳前後のおそらく人間の少女だった。
見た目だけなら体も細く、背も150cm程と小さい。
戦闘は見るからに出来なそうな体付きをしているが、その雰囲気を、片手に携えた巨大な鎌が台無しにしていた。
柄は2m程だろうか、刃もその半分くらいはある。
かなり巨大な戦闘用の鎌だ。
「あ、やっぱり剛爪だねぇ! はじめましてぇ。」
その少女は、敵意は無いかのようにケラケラと笑う。
見た目は可愛らしいが、その表情は何処か遠くを見ているような虚無を感じさせる。
少なくとも、ケラケラ笑いながらも目は全く笑っていない。
「何故その名を知っている?」
「えぇー、普通わかるじゃぁん! はい問題、なんででしょう!」
少女は手に持った鎌を後ろに持っていき、背中の方で刃を上に向けた状態で両手で保持し、腰を横に何度も振る行為を繰り返す。
その仕草はまさに人間の少女だが、手に持った巨大な鎌とその不気味な表情が合わさり、可愛らしさより不気味さの方が前面に出てしまっている。
ベルアはその相手の謎の不気味さに警戒しながらも、ふと彼女の右手の方へ視線を向ける。
勿論、今そこは背中に隠れて見えないが。
「右手を見せてもらっても?」
「えぇー、ヒントいるのぉ? しょうがないなぁ、はぃ!」
彼女は、楽しそうに右手を腕ごと見えるように前に出す。
その仕草すらも不気味だ。
掌ではなく手の甲をベルアに見せるようにそれを行ったのだから。
しかしそれは、彼女とベルアにとって最も効率のいいやり取りだった。
「……馬鹿な、我はお前など知らない!?」
「あー、そっかぁ……確かに君はもういなかったもんねぇ。」
少女は、刺青の入ったその右腕を再び背中の後ろへと持っていき、巨大な鎌の柄を両手で保持し、再び腰を左右に振る。
「どぉーも、死神です! 11番だよ! 1番の新参!
よろしくね、5番の剛爪さんっ!」
今の発言と刺青で確信した。
ベルアの中で、この少女の正体が完全に確定した。
「我を消すと?」
「うぅーん、一応そうなるかなぁ……個人的にはどぉでも良いんだけど、それが闇の騎士の方針なら仕方ないよねぇ?」
その少女は、虚無のような目を見開いたまま満面の笑みを浮かべる。
しかし、彼女は突如ハッと何かを思い出したように表情を変えると、まるで友達に話すかのように言葉を発してきた。
「おっと……ねね、剛爪さん? この人しぃらない?」
その少女は、懐から取り出した写真をベルアに突きつける。
そこには男が写っていた。
一瞬、適当に答えるかと思ったが、そこに写る男を見たベルアは目を見開く。
「あ、知ってるねぇー? 良かったー生きてるんだねぇ。」
少女はその写真を懐に仕舞うと、背中の方で保持していた巨大な鎌を前に持ってくる。
彼女の表情は笑顔のままだが、間違いなく戦闘態勢を取っていた。
ベルアもボロボロの体に鞭打ち、目の前の敵を真っ直ぐ見据える。
「んー、聞きたいこと聞ぃたし……終わりにしよっか!」
「舐められたものですね……我の事を知っていてその態度……馬鹿なのか大物なのか。」
「んー、なんだっけぇ? 元上位騎士だっけ? 大丈夫大丈夫。」
その少女はケラケラと笑い、そしてその鎌を前で両手で構える。
「マイカはぁ、君にとって天敵だから。」
マイカと名乗ったその少女は、片手で鎌を後ろにふりかぶるように構え、前屈するような姿勢でしゃがみ込んだ。
その表情は相変わらず虚無のような目に、絶えない笑顔。
その笑顔を更に強くし、彼女はそれを唱えた。
「ビィスト・オォーラ!」
マイカがそれを唱えると同時に、彼女の体はみるみる変化していく。
腕と足が黄色のような毛皮に覆われる。
(詳細はわかりませんが、ネコ科のどれか!?)
ベルアも慌ててマイカと同じ呪文のようなものを唱え、その両腕を黒い毛皮に覆われた、長い爪を持つ腕に変化させる。
そして、それと同時に体の傷の治りが少し早くなる。
「へぇ……凄い!初めて見たぁ、便利な回復力だねぇ。」
「情報は聞いていたと? ならばこの我に戦いを仕掛けた事を後悔しながら死ぬがいいです!」
ベルアはまだ満足に動かない体を無理矢理動かし、その爪をマイカに向けて振るう。
彼が今出せる最速での攻撃であり、完全に不意をついたと確信していた。
しかし。
「言ったじゃん、マイカは君の天敵だってぇ。」
ベルアの目の前で、彼女はその鎌を振り抜いていた。
既に攻撃は終わっており、その刃がベルアに当たったのは間違いないはずだ。
しかし、辺りに血も舞わない上に痛みもない。
(何が?)
しかし、ベルアの疑問はそこではない。
敵に向けて爪を振るった筈だ。
止められた様子もない。
なのに何故か敵は無傷だ。
「右手、もうダメだねぇ?」
マイカのそんな言葉を聞き、ベルアは右手へと視線を移す。
(なんだ……切れてないじゃないですか。)
ベルアは垂れ下がった、ナムによって与えられた傷以外無傷の右腕を確認する。
それに安心したベルアは、再び追撃しようとした。
しかし、そこで違和感に気付いた。
(あ……れ?)
ベルアは慌てたように右腕へと視線を向ける。
何度も、何度も、何度も。
右腕は付いている。 鎌で切られてはいない。
(何が……!?)
なのに。
右腕が全く動かない。
「この鎌知ってるぅ? 仲間の人達に1人凄く武器に詳しい人がいて教えてくれたんだよ。」
マイカはその鎌を高く挙げると、ヒラヒラと左右に見せびらかすように振るう。
「デスサイズ……って言うんだって。 これ手に入れるのマイカすごぉーく苦労したんだよぉ。」
マイカの話を聞く暇もなく、ベルアはひたすら動かない右腕に意識を向けている。
「物や生き物を物理的には斬れなぃんだって。
その代わりぃ、この鎌で斬られた生き物はねぇ……一瞬で魂を斬り取られちゃう。
腕を斬られれば壊死するし、体の重要な場所を斬られたらぁ……そこが壊死してポックリ!」
マイカは上に挙げていた鎌を再び降ろすと、そのまま縦回転させて弄んだ。
「マイカの前ではねぇ、何度も立ち上がるヒーローなんて意味ないんだよぉ?
まぁ、その代わり……この鎌手から離れないんだけどねぇ。 不便不便。」
ベルアは動かない右腕を早々に諦め、残った左手の爪をマイカへと向けた。
(コイツ……!!)
ベルアの体は自己治癒される。
しかし、先程あの武器で斬られてしまった右腕はどうやら再生しないようだ。
だがマイカはかなりおしゃべりであり、ベルアへ治癒の時間をかなり与えてしまっていた。
まだ全快とは言えないが、先程よりは動けるようになってきている。
この少女の体の動きは素人同然だ。
今までろくに戦闘などしてこなかったのだろう。
あの力を持っているだけで、普通の人間よりは強いだろうが、このベルアに勝てるわけがない。
そう思ったベルアは、敵の鎌を最大限警戒した上で、マイカへと突撃する。
勿論、真っ直ぐにではない。
フェイントをかけ、緩急つけた動きによって撹乱しながらだ。
(戦闘経験の差を見せてあげましょう。)
ベルアの動きに対応出来ないのか、マイカという少女は呆然とこちらを見ているだけだ。
ベルアは勝ちを確信してほくそ笑む。
(終わりです!)
素早くマイカの後ろへと移動したベルアは、マイカへ向けて爪を振るおうとする。
「無駄だよぉ?」
しかし、マイカはベルアの方へ向き直ることも無く、その鎌をベルアの脚へと突き刺した。
攻撃時の軸足を刺されたベルアは、バランスを完全に崩し、地面へと転がるように転倒してしまう。
痛みはない、だが今の一刺しで完全に右足が動かなくなったことによる転倒だ。
「な……何故!?」
「見えてるから、マイカ。」
マイカはそう言って、相変わらずの虚無のような目と笑顔を浮かべたままベルアを見下ろした。
彼女の右目から、ベルアは何処かで見た事があるような力の雰囲気を感じていた。
「未来眼って知ってるぅ? マイカ持ってるんだよねぇ。」
マイカはそう言うと、笑顔のままその鎌を振り上げる。
その刃先は、真っ直ぐベルアの頭へと向いていた。
「じゃーねぇ、さっさと帰りたいから終わりぃ!」
倒れるベルアの頭めがけ、マイカの奮った鎌……デスサイズは無慈悲にも振り下ろされた。
「うぇぇ……この瞬間だけはマイカ嫌だなぁ。」
マイカは、片手に鎌を保持したまま、手に持った強靭な包丁のような物でベルアの死体から首を落としていた。
「この鎌……肉は斬れないからなぁ……うぇぇ……倒した証拠持って来いって、本当嫌なこと言うよねぇ。」
死んだベルアの首を切り取り、髪を掴んで持ち上げたマイカは、表情を引き攣らせながら歩みだす。
「んー、でもぉ……アイツが生きてるなら、マイカの目標は達せられるなぁ、それまでの辛抱かなぁ。」
マイカは右手に鎌を、左手に首を持って、不気味な程の笑顔を浮かべる。
それは本当に楽しみにしているものが近くに来ているような。
そんな年相応の笑顔にも見えるだろう。
「待っててね、お兄ちゃん。」
ケラケラと笑うマイカは歩みを続け。
ベルアの死体の転がる位置からは完全に姿を消したのだった。