隠された写真
「それじゃ未来から帰ってきた瑞菜はどんなことを萌莉さんに話してたんですか?」
「それは、まあ」
僕の問い掛けに萌莉さんは答えずらそうに視線を泳がせていた。
「どんな些細なことでもいいんです。教えて頂けないでしょうか?」
「内緒です。私と瑞菜だけの秘密の話だったので」
きゅっと脇を締めて肩に力を籠めた姿は、威嚇して雛を守る親鳥を思わせる。うっかり僕と話してしまったことを後悔したのか、埃を払うように視線を背けた。
「じゃああとで私にだけ教えて」
「うん。あとでね」
僕も直接聞きたかったが仕方ない。重要なことがなかったか、あとで瑞菜に訊くことにしよう。
萌莉さんも家に上がってもらい、小学校六年生の頃のアルバムを見ることにした。もちろん思い出話に花を咲かせるためではなく、問題解決の糸口を探るためだ。
しかし予想通り二人は十分もしないうちに『この時は面白かった』とか、『懐かしいね』などと高い声と笑い声を弾ませていた。
検討が進まないのは困ったものだが、タイムスリップした瑞菜がはじめて見せる気の置けない笑顔が嬉しくて文句も言えない。
盛り上がる二人は放っておいて僕は一人で写真を調べていた。そういう僕もまだあどけない瑞菜の写真を見て頬が綻んでしまっていた。
もちろん瑞菜の子供の頃の写真は今までだって見たことがあった。しかし実際に十二歳の彼女と会ってから見る写真はより一層感慨深いものだった。
「ん? これは」
運動会の写真だろうか。体操服姿の瑞菜が無邪気な笑みを浮かべてカメラに向かってピースサインをする写真が目に留まった。
そのポーズ自身は気にならない。どこにでもある、子供らしい元気が伝わってくるものだ。
僕の目を引いたのは隣に移っている男の子だった。
ゼッケンを見る限り、瑞菜の同級生なのだろう。短い髪をツンと立たせた活発そうな男子だけれど、照れ臭そうに棒立ちになっているのが気に掛かった。
笑顔でポーズを取る瑞菜とは対照的だ。
「あっ!? それは駄目!」
僕の視線に気付いた瑞菜は、慌ててそのアルバムを閉じて胸に抱いて奪ってしまった。
「六年生の運動会?」
「勝手に見ないでよ、えっち!」
「エッチって」
顔を真っ赤にする妻を見て、モヤモヤとした黒い感情が湧き起こってしまう。
さっきの男の子はもしかすると瑞菜の初恋の相手なのだろうか。
年甲斐もなく僕はその男の子に軽く嫉妬してしまっていた。
結局なんの手掛かりも得られないまま夕方になってしまっていた。これから帰れないことはないが、一泊させてもらうことにした。瑞菜も慣れ親しんだ土地の方が落ちつくだろう。お義母さんと僕とでそんな話になった。
瑞菜の実家のお風呂は広い。
そこでゆっくりと今日一日のことを思い返しながら湯船に浸かっていた。
すぐに娘が十二歳に戻ったと気付いたお義母さん。
何か知ってそうだけれど相変わらず僕に風当たりがきつい萌莉さん。
瑞菜は一週間ほど二十四歳の彼女と入れ替わった。そして元に戻って二週間後にタイムスリップしていた記憶を失う。
取り敢えず集まった謎解きのピースはそれだけだ。
「うーん」
訳が分からずお湯を掬いばしゃばしゃと顔を洗った。パズルをするにしても元の図柄を知っているのと知らないのでは難易度も違ってくる。
今僕の前に広げられたパズルは果たしてどんな絵柄なのだろう。
色々と思い出しているうちにふと秘密の河原でのやり取りを思い出す。
瑞菜が僕を『四ツ葉さん』と呼んでくれた。『おじさん』や『ねえ、ちょっと』から考えればかなりの進化と言えるだろう。それだけでも今日の成果はあった。
お義母さんが用意してくれたパジャマに着替えて居間に戻ると、瑞菜は食い入るようにテレビを観ていた。
未来のことを見聞きしないようにしていた瑞菜にしては珍しい行動だ。
「どうしたの?」
「いま、ドラマ観てるの」
「ドラマ?」
「うん。『真夏に降る雪のように』」
「あ、それか」
それは入れ替わる前の二十四歳の瑞菜も観ていたものだ。何故そんなものを十二歳の瑞菜が観ているのだろう。もしかして見た目は子供のままだけれど、中身が元に戻ったのかと期待したが、それはぬか喜びだった。
「まさかこの時代で『まなゆき』の実写版が観られるとは!」
「『まなゆき』の実写版?」
「これ、私が読んでる少女漫画が原作なの!」
「ああ。なるほど」
十二年後のドラマを知っている理由を聞いて、納得すると同時にがっかりした。
しかし僕のそんな落胆など気にした様子もなく、瑞菜は興奮気味だった。
「真夏に雪が降るシーンがあるから映像化不可能って言われてたのに!」
「へえ」
お義母さんが用意していてくれた缶ビールを開けながら曖昧に答える。別に夏に雪を降らせることくらい、十二年前の技術でも可能だろう。恐らく覚えたての『映像化不可能』という単語を使いたかったに違いない。そんな子供っぽさも愛らしく感じるのは、やはり妻だからなのだろうか。
「わっ!?」
急に瑞菜が大声を出し、飲みかけたビールが気管に入ってしまい咽せる。
「どうした!?」
こぼしたものを拭きながら訊ねる。
「これ、凄いっ……九条寺君が、本物みたい。やばい」
瑞菜が震えながら指差した画面には、ここ最近よく見掛ける若手俳優が映し出されていた。どうやら彼がその九条寺君とやらの役らしい。
鋭いけれど大きな目や、シャープな輪郭が凛々しく、目の下のほくろの位置まで計算されたかのような造形美を感じさせる美貌の持ち主だ。更にこの俳優は高学歴で身長も高いというのだから、世の中は不公平に出来ている。
「映像化不可能だったはずなのに……」
唖然とした表情だった瑞菜は彼の演技を見ているうちに、次第に顔がにやついてきていた。
そんな妻の横顔を、僕は複雑な思いで見詰めていた。
『あ、それは駄目!』
不意に瑞菜が慌てて隠した運動会の写真を思い出した。
よく見て見るとあの男の子とこの役者はどことなく似ている。ガチガチに緊張したあの少年が順調に歳を重ねていくと、こういうイケメンになるのかも知れない。
馬鹿馬鹿しい。
小学生の頃の妻の恋に嫉妬するなんて幼稚な話だ。
そもそも僕は今まで一度も瑞菜の過去の恋について訊いたことがなかった。
それは無関心ということではなく、十歳も年上の心のゆとりだと考えていた。
そもそも美人で気立てもいい瑞菜のことだ。学生時代はかなりモテたことだろう。その過去にとやかくいうのは無粋だし、そういう過去も含めて今の素敵な瑞菜がいると受け止めていた。
でも今になって急に不安になってくる。
もしこのまま瑞菜が十二歳のままだったら、どうなるだろう。
これだけ若くて美しい彼女は、再び僕を選んで妻として居続けてくれるのだろうか。
そもそも僕を選んで結婚してくれたこと自体、奇跡のようなものだった。もう一度同じ奇跡が起きるとは、とても思えない。
イケメン俳優に恍惚の視線を送る妻を見ながら、僕は穏やかならぬものを下すようにグイッとビールを喉に流し込んでいた。