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一度目のタイムスリップ

 頭が整理されないまま、僕たちは居間へ通された。


「しっかし本当に十二歳の頃の瑞菜ねぇ。びっくり」


 お義母さんは笑いながら僕にコーヒーを、瑞菜にはカルピスを淹れてくれた。

 驚いてはいる。しかしその驚き方は僕が、そして恐らく瑞菜が、予想していたものとは違っていた。


「もしかしてお義母さんはなにかご存知なんですか?」

「ええ。まさか本当のことだとは夢にも思ってなかったんですけど」

「本当のこと?」

「瑞菜は小学校六年生の頃、タイムスリップしたって言ってたことがあったんですよ」

「えっ!?」


 僕と瑞菜は同時に驚きの声を上げた。


「その時はもちろん信じてなかったんですよ。ほら、なんて言うんでしたっけ? 中二病? あれに罹患したと思ってたんですよ。ちょっと早いかなと思ったんですけど、瑞菜は少し大人びたとこもありましたから」

「はあ」


 『中二病』を実際の病気のように言うのが、おっとりして惚けたところのあるお義母さんらしい。


「あれは修学旅行の前の日でしたっけね。突然瑞菜は頭が痛いと言いだして。そしたらすぐに高熱に魘されはじめたの」


 僕たちは固唾を飲んでお義母さんの話に耳を傾けた。きっとそこに瑞菜がタイムスリップしてしまった秘密が隠されている。そんな予感がしていた。



 修学旅行前日、瑞菜は高熱に魘された。

 すぐに医者に診せたものの、原因は不明。とにかく入院をして様子を見ることとなった。


 熱は少し下がったり、上がったりを繰り返した。瑞菜は意識を失ったように眠り続け、譫言うわごとのように呼び続けたらしい。


「『みっちぃ』、『みっちぃ』って。助けを求めるように、聞いたこともない名前を何度も呼んでいたわ」


 そう言いながらお義母さんは僕の目を見て冷やかすように微笑んだ。

 小学六年生の瑞菜が僕の名前を知っているわけがない。

 十二歳の瑞菜が未来に来たように、二十四歳の瑞菜も過去へとタイムスリップしていた、ということだろうか。


「その時の瑞菜は、大人の姿だったんですか?」


 大人しく聞いていられなくなって思わず質問を挟んでしまうと、お義母さんは「いいえ。違うわ。十二歳のままよ」とゆるゆると首を振った。


「ようやく目を醒ましたのは翌日の夜だった。まだ熱は下がっていなかったけど、取り敢えず意識を取り戻してくれたことで私も主人も喜んだの」


 その時のことを思い出しているのか、お義母さんは目を細めて愛しみ深い顔をした。まるで隠してあった昔の宝物を見つけたかのような笑顔だった。


 「目を醒ました瑞菜は急に父親の手を握って」と言ってお義母さんは仏壇をちらりと見る。

「ごめんなさいって謝りながら突然涙を流しはじめたの。私も主人もびっくりしたわ」


 もしそれが二十四歳の瑞菜だとすれば、彼女は亡くなった父親と再会したことになる。それは泣いてしまうのも無理はないだろう。


「熱を出す前日に瑞菜と主人が大喧嘩したの。だからきっとそれを反省して泣いているんだと思ったわ。ところが」

「瑞菜の様子がおかしかった。未来からやって来たとか言い出した、んですか?」


 我慢しきれず先読みしてしまうと、お義母さんはこくんと頷いた。


「まだ熱もあって意識も朦朧としているから幻覚を見ているのかと思った。心配だから一応お医者さんにも相談したの。でも特に異常は見られなかった」


 一時期二十四歳の瑞菜と十二歳の瑞菜は入れ替わっていた。それはとても重大な情報だった。だからお義母さんは少女になった瑞菜を見て、すぐに小学六年生の瑞菜だと気付き、そして受け入れられたのだろう。

 僕の隣で瑞菜は身を乗り出すように話を聞き入っていた。


「それで? 瑞菜は? いつ元の瑞菜に戻ったんですか?」

「熱が下がってきたので家に帰ったのはその翌日。でもまだ38℃近くあったからしばらく休ませていたの。その間も瑞菜はずっと主人にべったりだったわ」

「お父さん」


 隣で瑞菜が虚ろげに呟いた。お義母さんはそんな瑞菜の手を包み込むように握った。


「家に帰ってから瑞菜は未来からやって来たとは言わなくなった。でも洗濯物を畳んだり、料理の下ごしらえをする手際の良さは熱を出す前とは比べものにならなかった。それこそ急に大人になったかのように、しっかりしてた」

「なるほど」

「違和感は感じたけど、いいことだから注意したりするのも違うかなって。主人と二人でひとまず様子を見ることにしたの」


 恐らくこの時点では、瑞菜はまだ二十四歳のままだった。ただ親に心配かけまいと未来から来たことは伏せていたのだろう。

 瑞菜は不安げに話の続きを待っていた。

 入れ替わっていたことは分かっても、戻れるタイミングはまだ何も分かっていない。

 最悪元に戻らなかったという可能性だってある。

 もしそうなった場合はどうなるのだろうか。二十四歳の瑞菜は十二歳からやり直し、十二歳の瑞菜は学生時代をすっぽり喪失して生きていかなくてはならない。

 ややこしくて頭がこんがらがりそうだ。


「熱を出してから一週間くらいした頃だったかしら」


 お義母さんは僕たちを交互に見ながら話を続けた。


「突然瑞菜が泣きながら主人に抱きついたの。そして咽せるほど息を詰まらせて謝ってきたの。『絵のことであんなに怒ってごめんなさい』って」

「えっ!?」

「海の色を勝手に塗り替えたことで二人が喧嘩したのは謎の発熱前だったから、私たちはなんで突然今ごろになってって驚いた。しかも今度は二十四歳にタイムスリップしていたと言い出したからもうびっくりよ。高熱の後遺症なのかと心配するほどだったわ」


 でも今なら分かる。お義母さんの目はそう物語っていた。

 つまりそこでまた十二歳の瑞菜が戻ってきて、また入れ替わったということだ。


「そして今度は何度も何度もしつこく主人にがん検診を勧めてくるの。まるで癌で死ぬ未来を予期するように、とにかく何度もね」

「じゃあなんであちこちに転移するまで放っておいたのよ! ちゃんと検診に行っていれば、お父さんはっ」


 これまで何も言わずに黙っていた瑞菜が納得いかない様子で叫んだ。

 彼女の怒りももっともだ。タイムスリップして未来を知った瑞菜には、父の命を救うことが出来た。しかし結局未来は変わらなかったということになる。

 訴える娘を見て、お義母さんは微笑みながらゆるゆると首を振った。


「ちゃんとお父さんは病院でがん検診したのよ。でも何も見つからなかった」

「そりゃその時は見つからなくても、そういう検診は毎年しないと!」

「その時の診察がとても煩雑で、お父さんはうんざりしちゃったみたいなの。お金もかかるし。一度の検診で引っ掛からなかったから、自分は生涯がんに冒されることがない免罪符を手に入れたように変な自信をつけちゃったの」


 あのお義父さんらしい。思わず笑いそうになり、慌てて顔を引き締めた。


「それでも行かせなきゃ! 私は毎年受診するように言ったはずでしょ!」

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「えっ!?」


 意外な展開に瑞菜のみならず、僕も驚いた。


「確かに検診で異常が見つからなかった時、瑞菜は毎年受けないと駄目だってうるさいくらいに繰り返したわ。でも二週間後くらいに急に瑞菜はそのことを言わなくなったの」

「なんでそんな大切なことを言わなくなるのよ! おかしいよ、絶対!」


 確かに普通に考えれば忘れることではない。でもお義母さんが嘘をついているようにも見えなかった。


「がん検診だけじゃないわ。自分が二十四歳にタイムスリップしていたということも言わなくなったの。未来の世界では携帯電話はタッチパネル式のパソコンみたいだとか、東京でオリンピック、大阪で万博が開催されるとか、変なことばっかり言っていたのに。そういうことを一切言わなくなったの」


 元の時間軸に戻った瑞菜は二週間ほどでその記憶が消えてしまった、と言うことなのだろうか。

 お義母さんの話を聞き、瑞菜は花が枯れるのを早送りで見ているように体から力が抜けていった。


「そんな……最初の検診で問題がなくて、それで検診が嫌になったなんて、それじゃ、お父さんががん検診に行かなくなったのは、私のせいみたいじゃない。そんなの、そんなの酷いよ」

「そんなことない。瑞菜のせいじゃないよ」


 虚ろな目になる瑞菜を見てられず、思わず僕はその手を握ってしまった。

 ビクッと震える姿を見て、慌てて手を離す。


「そうよ。お父さんの病院嫌いは昔から。どうせ放っておいてもがん検診なんて行く人じゃないわ」


 本心からの言葉も、今の瑞菜には慰めにしか響かないのだろう。瑞菜は思い詰めた面持ちで氷が溶けて分離してしまったカルピスに視線を落としていた。


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