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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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瑞菜と瑞菜

「それじゃ、そろそろ、戻ろうか?」

「う、うんっ……」


 覚悟は決めたもののやはりファーストキスがこんなおじさんというのは絶望的なのだろう。瑞菜は身体と顔の筋肉を強張らせる。

 でもここで下手に謝ったり気遣うと余計意識してしまうだろうから、敢えて口をつぐんだ。


「あっ、そうだ。これ」


 瑞菜は思い出したようにポケットからなにか取り出して僕に渡してくる。


「飴?」


 それは袋入りで売っている、どこにでもありそうなアメ玉だった。


「ほ、ほら。キスする前って、飴とかミントとか舐めるんでしょ。『まなゆき』にも書いてあったし」

「ああ。そういうこと」


 おしゃまな提案に笑いそうになったが、飴を舐めてなんとか堪えた。

 僕の前に座った瑞菜は正座をして居住まいを直した後ギュッと固く目を閉じた。注射を打たれる前のような、皺の寄った顔がおかしい。


「痛くないからそんなに力まないで」

「わ、分かってるし! いいから早く!」


 からかわれたのが悔しかったのか、瑞菜は目を開けて今さら平気な振りをした。

 あどけない瞳を尖らせて真っ直ぐに睨んでくる。肩に手を置くとビクンッと怯えたように震えた。

 その緊張が僕にも伝わってしまい、身体が固くなる。


「ほっぺかな? それともおでこ?」


 瑞菜は見詰めあう視線を斜め下に外して、かぁあっと耳まで赤くした。


「ほ、ほっぺとか、おでこは、ちゅーでしょ……キスって言ったら、それは、その……」


 瑞菜はちらっちらっと上目遣いに僕を見て「分かるでしょ、バカ」と弱々しく詰った。


「そ、そういうもんなの?」

「言っとくけどこれはノーカンだからね。ファーストキスとか、そういうのとは違くて、ノーカン」

「そうだよね。これは戻るための儀式なんだから」


 そっと瑞菜の顎を指で持ち上げる。二つ括りのお下げ髪がぴくんっと尻尾のように震えた。


「これは唇が重なるだけで、キスなんかじゃないんだから」


 彼女の昂ぶりはその赤い目を見れば一目瞭然だったが、素知らぬ振りをする。情けないことに僕の手も微かに震えてしまっていた。


「そうそう。ちょんって触れるだけだし」


 顔を寄せると瑞菜はヒクッと顎を引いて少し逃げる。でもなんとか堪えるように姿勢をキープしていた。

 更に顔を近付ける。瑞菜は逃げずに静かに瞼を閉じた。

 十二歳の妻の顔をもう一度しっかりと見詰めてから僕も目を閉じた。


「ありがとう。瑞菜。未来で待ってるよ」


 そっと語り掛ける。


「……うん」


 蝶が羽ばたくほどの小さな声で瑞菜は答えてくれた。

 そして僕は二人の距離をゼロにした。


 ぷにっと柔らかな感触を捉えた瞬間──


「うわっ!?」


 突然瑞菜の身体が白い光に包まれた。ふわぁっと温かな熱を感じる。

 何か大変なことが起こりそうで、慌てて瑞菜を抱き寄せた。


「瑞菜!? 大丈夫!?」

「ありがとう。四ツ葉さん! 私を、二十四歳の、私を──」


 瑞菜の言葉はそこで途切れ、辺りは爆発したような激しい光で埋め尽くされていた。

 目を閉じていても網膜が焼き付きそうなほどの光の量だった。

 とにかく離さないように必死に腕の中の瑞菜を抱き締める。


 光は緩やかに薄れていき、白い光は次第にオレンジがかった柔らかなものへと変わっていく。時間にしてわずか数秒だったのだろうが、僕の体感ではもっと長いものに感じる濃縮された時間だった。


 光が消えかけてから恐る恐る目を開ける。

 僕の腕の中には、瑞菜がいた。小学六年生ではない、二十四歳の僕の妻の瑞菜がいた。


「瑞菜っ……瑞菜っ! 帰ってこられたんだ!」


 感極まった涙が次から次と溢れ出した。

 瑞菜は朦朧とした様子で緩やかにまぶたを開けていく。


「あ、そうだっ」


 僕は慌てて瑞菜から離れて涙を拭う。

 過去に戻った瑞菜が未来を変えた場合、最悪僕たちは結婚していないはおろか、顔すら知らない他人の可能性だってある。もしそうだった場合、抱き締めていたら大変なことになり兼ねない。

 どんな変化があるのか分からないが、とにかく僕は離れて様子を伺った。


 今目覚めたような顔をした瑞菜は僕の顔を見て、驚いたように息を飲んだ。

 目を見開いて驚いた顔は、雪が溶けて春になっていく映像の早送りのように、ゆっくりと笑顔に変わっていった。


「みっちぃ、ただいま」

「瑞菜っ……おかえり」


 腕を広げた瑞菜を思い切り抱き締めた。


「おぅふ! 激しいっ」


 戯ける瑞菜が愛しくて、更にぎゅうっと力を籠めた。それに応えて瑞菜も僕の背に腕を回して抱き締め返してくれる。


「もう会えないかと思った」

「ごめんね。びっくりしたよね。嫁が十二歳になっちゃうんだもん」

「そりゃびっくりしたよ」


 二つ括りではない髪を撫でながら胸の中の瑞菜をしっかりと感じる。


「十二歳の私はいい子にしてた?」

「もちろん。でも時おりからかわれたかな。さすが、十二歳とはいえ瑞菜だよね」

「へぇ。まさか十二歳の頃の私の方が可愛いとか目移りしなかったでしょうね?」


 瑞菜は僕の胸からするりと抜け出し、疑りの目を向けてくる。


「そんなわけないだろ。ちゃんと僕が好きなのは二十四歳の瑞菜だって伝えたし」

「え-? それはそれでちょっとデリカシーがなさ過ぎなんじゃないの?」


 瑞菜は非難するように目を細めて僕を睨みながら笑った。


「それで? 十二歳の瑞菜ちゃんはどうやって過去に戻ったのかな?」


 瑞菜はからかうように訊いてきた。


「それは、まあ。内緒だよ」

「ふぅん」


 浮気を疑うような目をしていたが、口許は意味ありげに笑っていた。

 誤魔化すように僕は瑞菜にキスをした。とても十二歳の瑞菜には見せられない類の、キスをした。


「ねぇみっちぃ」

「なに?」


 血を吸ったあとの吸血鬼のような満足顔の瑞菜は、少し濡れた唇を光らせながら悪戯な笑みを浮かべる。


「今から下に行ってお母さんを驚かせちゃおうか?」

「悪いこと考えるなぁ」


 僕たちは悪企みの笑い声を上げながら部屋を出て階下へと向かっていった。



 ────

 ──



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