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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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22/24

元の時代に戻る照れくさくて言い辛い唯一の方法

 その手には一冊の古いノートが握られていた。瑞菜はそのノートで顔の半分を隠しながらもう一度僕の前に座る。

 何事かとそのノートを見て息が止まった。


「六年二組、上垣……瑞菜っ!?」


 それは探しても見つからなかったと言っていた六年生の頃の彼女のノートだった。記された名前も、やや丸みを帯びているが瑞菜の字に間違いない。


「ごめんなさい」

「えっ!? ど、どういうこと……?」

「ノート、実はあったの」


 突然の展開に次は息を吸うのか吐くのかも分からなくなってしまった。


「もしかして、そのノートに元の時代に戻る方法が!?」


 思わず手を伸ばすと瑞菜は慌てて身体を反らして避けた。


「駄目! 勝手に見ないでよ! えっち!」

「え、えっちって……」


 ノートを背後に隠した瑞菜の顔はホオズキのように赤かった。

 照れ隠しなのか、ちょっと困った顔をして僕を軽く睨む。


「ここに、元の時代に戻る方法が書いてあったの……」

「えっ!? そうなの!?」


 散々探し回った答えは、実はもうとっくに瑞菜の手許にあった。

 元の時代に帰れない割りに焦っていなかった瑞菜のこれまでを思い出し、今さら合点がいった。


「ごめんなさい。黙っていて」

「いや、まあ、それは。でもとにかくよかった!」


 少し納得いかないが、今はそれよりも元通りになる喜びの方が勝っていた。

 あまりに不条理なタイムスリップは、やはり不条理な感じで唐突に幕を閉じようとしている。


「それで? その方法っていうのは?」


 気が急く僕と対照的に、瑞菜は思春期の女の子特有のまどろっこしさで口籠もる。

 気まずそうに黙る沈黙が、僕の想像力を逞しくさせていく。


「もしかして僕の身体に負担がかかる方法で黙っていたとか? 大丈夫。元に戻れるなら腕の一本や二本。寿命が十年単位で縮んだって構わないから」

「そんなわけないし。ていうかそんなことになったら二十四歳の私が悲しむでしょ。少しは自分を大切にしてよね!」

「ご、ごめん」


 その方法を忘れた訳ではないのだろうが、瑞菜はノートを開き、内容を確認する振りをして顔を隠した。


「つまり、その。なんというか。元に戻るためには」


 そこでまた瑞菜の言葉は止まってしまう。


「元に戻るためには?」

「き、き……す」

「え? なに?」

「だから!」


 瑞菜はノートを閉じて、上気した顔でぎろっと僕を睨んだ。


「キスするのっ!! 私と四ツ葉さんがキスをしたら元の時代に戻ったんだって」

「はぁああ!?」


 白雪姫的なメルヘンチックなその方法に、僕も思わず声が裏返ってしまった。


「なにそれ!?」

「知らないよ! だってそう書いてあるんだから!」


「ほら!」と言って見せてきたページには、確かに『四ツ葉さんとキスをしたら元の時代に戻った』と書かれてあった。僕がそれを読んだのを確認すると瑞菜はバッとノートを閉じてしまう。


「キスしたら……戻れるんだ?」

「だからそう書いてあるってば。知らないけど」


 僕たちの間に粘度の高めの気まずい空気が流れた。瑞菜は俯いたままでどんな顔をしているのかも分からない。

 元の時代に戻れる方法を知りながらも言い出せなかった彼女の気持ちは、痛いほどよく分かった。二十四歳ならいざ知らず、十二歳の女の子にとってキスは重い。相当恥ずかしいだろうし、唇の純潔は大切なものだ。


「あの、瑞菜」


 呼び掛けると瑞菜はびくっと震えて微かに後退りをした。その身構え方がおかしくて思わず笑ってしまう。


「いきなり襲ったりはしないから安心して」

「それは分かってるけど」

「正直に話してくれてありがとう」

「ううん。ほんとはもっと早くに言わなきゃって思ったんだけど」

「そりゃまあ、こんな内容なら言えないよね」

「うん。でも」


 瑞菜はたっぷりと時間をかけてから言葉を続けた。


「四ツ葉さんにお嫁さんを帰してあげなくっちゃって思った。すごく愛してるって、わかったし」

「ありがとう」

「それに私も逃げてちゃ駄目だって思った。どんなに嫌でも、ちゃんとクラスのみんなとも、お父さんとも向き合わなきゃって」


 こんなおかしなことになって、彼女も、僕も、大切なことを改めて直視することが出来た。そう思えば悪いことばかりでもない。


「色々ありがとう」


 覚悟が決まったのか、瑞菜は僕の目を見て動きを止めた。これで元の生活に戻る。そう思ったとき、一つのことに気が付いた。

 それを口にしていいのか考えて、激しく心が揺さぶられた。


「ひとつ、提案があるんだけど」

「なに?」


 急に緊張して手のひらに汗が滲む。逆に喉はカラカラで、言葉が上手く出せるか不安になった。

 しかしそれを気取られないよう、僕は自然を装おう。


「元の時代に戻ったら未来で見聞きした大切なことをすぐにノートに書いて欲しいんだ」

「え?」


 ノートを指差しながら、秘密の作戦のように瑞菜に言って聞かせる。


「お義母さんの話だと瑞菜は元の時代に戻って二週間ほどで記憶をなくしてしまうらしい。そうなる前に、なるべく早く覚えていることをノートに書き示す必要がある」

「なんでそんなことを?」

「お義父さんのためだよ」


 そう伝えると彼女は「あっ!」と声を上げた。


「せっかく瑞菜が精密検査を受けるように伝えたのに、お義父さんは一度行ったきり検査には行かなかった。その結果、病気がかなり進行するまで発見できなかった」

「私が常にお父さんに病院に行くように言い続けていれば、もっと早期に発見できたっていうことね」

「そういうこと」


 僕が頷くと瑞菜は「なるほど」と納得していた。その様子を見る限り、やはりノートにはお義父さんの病気について書かれてはいなかったのだろう。


「そうすればお父さんはもっと長生きできるもんね」


 嬉しそうに微笑む瑞菜を見て胸がキリッと痛む。

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 その可能性については、幼い彼女は思い至ってないのだろう。


 どの段階でお義父さんの病気が発覚するのか分からない。

 でも恐らくは僕と瑞菜が出会う前から、病はお父さんの身体に巣くいはじめていたのだろう。

 そうなれば入院や手術もあったかもしれない。体調を壊した父とその介護をする母を置いて、瑞菜は故郷から離れたところに就職するだろうか。

 彼女の優しい性格から考えてそれはない気がした。

 つまりそうなれば僕と瑞菜は出逢わない運命になる。


 人と人を繋ぐ絆は固い。しかしそのはじまりは幾つもの偶然が重なって生まれるものだ。

 瑞菜があの会社に就職していなければ。

 僕があのプロジェクトに技術者として参加していなければ。

 あの会議の席で瑞菜からアメ玉を貰っていなければ。

 その一つでもかけていたら僕と瑞菜の人生は交差し、結び付くこともなかっただろう。


 歴史を変えるようなことを言ってよかったのだろうか。

 少しの後悔はある。しかし父を救う使命に喜ぶ瑞菜を見ていると、これでよかったのだという気にもなった。

 もし万が一未来が変わったことで僕たちが出逢っていないことになったとしたら、その時は僕が会いに来ればいい。

 いきなり冴えないおじさんがアプローチしてきたら、瑞菜は引くかもしれない。

 でも一度結婚出来たのだ。もう一度彼女と結ばれることだって、きっと出来るはずだ。


 元の時代に戻る気満々になった瑞菜を見ながら、僕は自分にそう言い聞かせた。



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