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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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20/24

エンジン音

「今日も朝帰りですか?」


出社早々葛原さんが僕のデスクにやって来て呆れた顔を見せた。


「えっ? 何で分かったの?」


葛原さんはちょんちょんと僕の襟元を指差した。


「ネクタイ。昨日と一緒ですよ」

「あっ……」


ワイシャツは新しい物を買って着替えたが、ネクタイはそのままだった。まさかそこに気付かれるとは思ってもいなかった。


「それで? 奥さんは帰ってきたんですか?」

「いや、それはまだ」

「え? 二日連続で迎えに行っても帰ってこないって……いったい四ツ葉さんは何しちゃったんですか!?」

「なにって……」


事の発端は結婚記念日を忘れた次の日に起こった。

しかしそれはタイミングがたまたまその日だっただけで、それに起因したことではない。もしそんなことでタイムスリップしてしまうならば、世の中めちゃくちゃなことになるだろう。

(いや、でも……)

本当に無関係なのだろうか。


「まさか浮気とか?」

「そんなわけないだろ!」

「ですよね。四ツ葉さんがそんなにモテるわけないし」

「余計なお世話だ」


たとえモテたとしても浮気なんてするはずがない。僕にとって女性は二種類しかいない。瑞菜か、それ以外かだ。

しかしそんなことを口走れば更に葛原さんにからかわれるのは目に見えていたので口をつぐむ。


「ちゃんと奥さんに気持ちを伝えたんですか?」

「気持ち?」

「ただ謝るだけとか、相手に気遣うだけとかしてません?」


そう言われてしまえば確かに気持ちは伝えていない。

でも事情が事情だ。気持ちなんて伝えたところでどうしようもない。

いや、本当にそうなのだろうか。


「四ツ葉さんのいいところは優しいところですけど、悪いところも優しすぎるところですよ」

「なんだよ、それ。禅問答みたいだな」

「優しければいいってもんじゃないってことです。時にはぶつかることを怖れず言いたいことを言わないと伝わらないですよ」


瑞菜が十二歳になってしまい、僕は心配するあまり大前提を忘れてしまっていた。


「確かにそうだね。ありがとう」


僕は瑞菜がすきだ。大好きだ。

とても大切でかけがえのない人だ。出逢えて結婚できたことを本当に感謝している。

でも一緒に暮らして毎日顔を合わせているうちに、その運命に感謝する気持ちを失いかけていたのかもしれない。

入籍した日を忘れてしまっていたことも、そんな気持ちの表れだろう。


瑞菜にちゃんと伝えよう。

どう思われるかなんて関係ない。

僕の正直な気持ちを隠していては、瑞菜にも失礼だ。


「今日も愛妻弁当持ってきたんですか? それとも愛人弁当だったりして?」


葛原さんはおちょくる口調で僕の鞄を覗き込んだ。


「なんだよ、愛人弁当って。勝手に変なパワーワード作るなよ」

「えっ!?」


鞄を覗いた葛原さんは目を見開いて固まってしまった。特に見られてマズいものなんて入ってないはずだ。


「なに? どうしたの?」


慌てて僕も鞄の中を見て、過ちに気付いてしまった。

弁当や資料と共に昨日買った女子小学生ファッション雑誌を入れっぱなしにしてしまっていた。

ピンク色にキラキラ光る表紙に女の子の顔が映っており、『通学モテコーデ』や『おしゃれ小物でランドセルを飾ろう!』などの煽り文句が躍っていた。


「四ツ葉さん……まさかロリ──」

「違う! これはちょっとした理由があってっ!」


焦ってしまったのが更によくなかった。葛原さんは顔を引き攣らせながら後退った。


「若い子が好きなのはいいですけど、ほどほどに」

「ちょっと待って! 完全に誤解してるから」


葛原さんは全てを察した表情を浮かべて立ち去っていってしまった。

後輩に変な誤解をされたままなのは困るが、今はそんなことを気に病んでいる場合ではない。

仕事が終わると僕は当たり前のように車で瑞菜のいる実家へと向かっていた。


手土産として小学六年生の瑞菜も美味しいと言ってくれたレーズン入りのチーズケーキを購入した。喜ぶ瑞菜の顔が目に浮かぶ。

今日は渋滞していたこともあって、家に着いたのは午後八時を回った頃だった。


「おっと……」


家の前には萌莉さんの車が停められていた。一瞬怯んでしまったが、一度大きく呼吸して車から降りる。

チャイムを鳴らすとトタトタトタと行儀の悪い駆け足の音が聞こえてきた。


玄関が開くともうすっかり見慣れた十二歳の妻が僕を見上げて口許を緩める。


「やっぱり四ツ葉さんだ」

「やっぱり?」

「車のエンジン音聞こえたから」


瑞菜はちょいちょいと僕の車を指さして笑った。


「今日はこれを買ってきました」


ぷらんっと瑞菜の眼前にチーズケーキの袋をぶら下げる。


「わっ! やった。あの美味しいやつだ! ありがとう!」


表情がずいぶんと柔らかい。どうやら萌莉さんとは上手に仲直りできたみたいだ。


「ねえねえ! 早く来て、四ツ葉さん!」


瑞菜はまた足音を立てて家の奥へと駈けていった。そのあとを追い、リビングに向かうと居心地悪そうな顔をした萌莉さんが座っていた。

「こんばんは」と声を掛けると「お邪魔してます」と俯いたまま会釈を返された。


「ほら、萌莉」

「わ、分かってるよ」


瑞菜に肩をぱちんと叩かれ、萌莉さんはばつが悪そうに口を小さく尖らせて顔を上げる。


「あのっ」

「はい」


答えながら僕は萌莉さんの正面に座った。

お義母さんは空気を読むように僕の手土産を持ってキッチンの方へと消えていった。


「こないだは少し言い過ぎました。すいません」

「いえ。僕の方こそちょっとむきになってしまって」

「四ツ葉さんが瑞菜のために色々頑張って下さったり、気遣って下さってること、瑞菜から聞きました」


謝る萌莉さんの隣で、瑞菜は照れ臭そうに俯いて指をモジモジとさせていた。


「色々頑張っているとはいえ、元の時代に戻す方法はなんにも分かってないですから」

「そうなんですよね。私の方も当時のノートを見たり、記憶を手繰ってはいるんですけど」

「でも瑞菜はちゃんと戻れたんですから、きっと何か方法はあるはずですよね」

「ええ。そう思います」


一体どうすれば元の時代に戻れるのか。僕と萌莉さんは首を傾げながら「うーん」と唸った。


「ま、いいじゃない。考えても分からないよ。それよりほら、ケーキ食べようよ!」


瑞菜はあっけらかんとした様子でキッチンに行き、お義母さんがカットしてくれたチーズケーキを持ってくる。僕らがこれほど悩んでいるというのに本人は気楽なものだ。やはり元の時代にあまり帰りたくないのだろうか。

でも瑞菜の明るさが僕たちの救いでもある。


瑞菜が愛したレーズン入りチーズケーキほ萌莉さんの口にも合ったらしく、喜びながら食べてくれた。

瑞菜はまるで自分の手柄のようにその美味しさを萌莉さんに自慢している。

もし元の時代に帰れなかったとしても、瑞菜はなんとかやっていけるのかもしれない。

そんなことを思いながら瑞菜のはしゃぐ横顔を眺めていた。


結局その陽気さに押され、瑞菜と萌莉さんは『真夏に降る雪のように』の話題で盛り上がってしまっていた。

二人とも主演のイケメン俳優を絶賛している。夫としてはやや複雑なものの、楽しそうにしている瑞菜を見ていると頬も綻んでくる。



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