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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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18/24

真夜中のラーメンデート

 瑞菜は元の時代に帰れないと焦る様子がない。それが少し不思議だったが、それは帰りたくないという気持ちもあるからなのだろう。

 リビングに静けさが訪れたが、それは気まずい静寂ではなかった。

 瑞菜が十二歳になってしまった当初もよく僕たちの間に沈黙はあった。しかしその時の空気の歪んだ無音とはまるで違っている。

 お互いに理解をし、歩み寄った温もりのある静けさだった。


 ふと視線をテレビの前のテーブルに移すと、そこにはドラマの原作漫画『真夏に降る雪のように』が山積みになっていた。


「あれって」

「あっ……」


 咎められたかのように瑞菜は首を竦め、上目遣いで僕を見た。


「ちょっとズルして『まなゆき』の続きを読んじゃった」


 未来で起こることはなるべく見ないようにすると言うのが瑞菜のポリシーだった。でも大好きな漫画の続きの誘惑には勝てなかったようだった。


「未来のことは知りたくなかったんだろ?」

「だって気になるし! それに学校にも行ってないから昼間とか暇だし!」


 照れ隠しでむきになる姿は今も昔も変わらないらしい。


「別に漫画くらい読んでもいいと思うよ。ただ元の時代に帰ってネタばらしとかしたら駄目だよ」

「そんなことしないし!」


 僕にからかわれて、瑞菜は頬を膨らませて怒る振りをして笑っていた。

 やはり瑞菜は快活に笑っている方が似合っている。


「それにしても『まなゆき』が二十五巻まで続いてるとは思わなかった。結構引っ張るよね。でも高校卒業まででよかったのに。そのあとの大学生篇はなんかぐだぐだって感じ」

「へぇ。やっぱりそう言うんだ」

「え? どういう意味?」

「二十四歳の瑞菜も同じことを言ったんだ。『まなゆきは高校卒業まででいい』って」

「そうなの? さすが私。見る目あるね」


 瑞菜は誇らしげにうんうん、と頷く。


「まあ人気が出たら無理矢理でも続けるもんだよ。大人の都合ってやつで」

「えー、なにそれ? 大人って汚いんだねー」


 瑞菜の笑い声と共に僕のお腹がぐぅーっと鳴ってしまった。


「お腹空いてるの?」

「そういえば夕ご飯食べてなかった」

「えー!? もう十時だよ?」

「まあ残業とかあったら、たまにあることだよ」

「駄目だよ。ちゃんと食べないと過労死するよ?」


 そんなことくらいで死ぬわけないが、真剣に心配してくれているので笑うわけにはいかない。

 二十四歳の瑞菜も僕が夕飯を食べるのが遅いときには、やはりこんな風に心配してくれたのを思い出す。


「今からなにか作る?」

「それもいいけどちょっと行ってみたいところがあるんだよね」

「こんな時間に?」

「そう。車で行かないと駄目だけどいつも行列が出来てるラーメン屋さんがあるんだ。一度行ってみようって思ってたけどまだ行ったことないし、いい機会だから行ってみようかなって」

「えー? ずるい! 私も行く!」


 瑞菜は手を挙げて必死にアピールをする。


「こんな時間に食べたら太るんじゃない?」

「いいの! 私は育ち盛りだから栄養は体重じゃなくて身長に回るから!」


 相変わらず自分勝手な解釈なのもこの頃からだ。確か二十四歳の瑞菜は『鶏ガラスープのラーメンは鶏肉だからヘルシー』とか言ってたはずだ。話せば話すほどこの子は瑞菜なのだと実感する。

 瑞菜は大急ぎで私服に着替え、家を出る。

 夜更けに突然ラーメンを食べに行くというのも僕たち夫婦ではよくある光景だった。


 僕は助手席に座る小学六年生の瑞菜を見て、そこに二十四歳の彼女が座っていることを想像してみる。

 ありありとその姿が脳裏に浮かび、余計にそこに彼女がいないことに欠乏感を感じた。


「ラーメンって醤油? 豚骨? トッピングで煮卵があるといいな」

「僕も行ったことないから分からないよ」


 どうでもいい会話を交わしながら走る夜の田舎道は、車のヘッドライトが照らす部分だけ景色が表れる。

 虫の声も、星の光も、小石だらけのあぜ道も、きっと十二年前と何も違わないのだろう。

 時間軸を滑って現代にやって来た瑞菜にとって、ここは優しく住みやすい世界に違いない。

 無理に都会に連れていくのは酷なことなのかもしれない。


 目当ての店『煌都軒こうとけん』は車で十五分ほど走ったところにあった。

 十一時過ぎでも外で並ぶ人がいるほど繁盛していた。

 しかし回転がいいのか、最後尾に並んでから店に入るまでは十分程度だった。


「家の近所にこんな繁盛店が出来てたんだね」


 メニューを見ながら瑞菜は目を輝かせていた。僕もメニューを眺めていると『創業十五年』の文字が目に入った。


「あれ? この店十五年前からあるらしいよ」

「そうなんだ? じゃあ私が十二歳の頃には既にあったんだ」


 瑞菜はとんこつ醤油煮卵トッピング、僕は普通のラーメンと餃子を注文した。

 店内は派手さもお洒落さもない武骨なものだったが、それがかえってこの店の味の良さを表しているように思えた。


 数分後に運ばれてきたラーメンも店構えと同じで、奇をてらった様子のないシンプルなネギ、チャーシュー、のりが添えられたものだった。

 白濁した橙色のスープの水面には油分が張っており、啜らずとも濃厚さが伝わってくる。添えられた青ネギが色味的にも香り的にもいいアクセントになっていた。レンゲでひと掬いし口に含むと柔らかなで奥深い旨みが広がった。


「おいしい!」

「見た目ほどしつこくなくてあっさりしてるね」


 瑞菜は嬉しそうに中太麺をちゅるるるっと啜り、「んふっ」と鼻息だけで満足げに笑った。

 コクのあるスープの絡まった麺はつるりとした舌触りと腰の強さが特徴だ。低温調理された柔らかなチャーシューとの相性もよく、僕たちは言葉を失って夢中で食べていた。

 分け合って食べた餃子は既製品のものなのだろうけど、二人で食べたからか、とても美味しく感じられた。


「あー、お腹いっぱい。ごちそうさまでした」

「どういたしまして」


 帰りの車でも瑞菜は美味しさの余韻に浸って笑顔だった。


「なんか夜中に家を抜け出してラーメン食べるとかちょっと悪いことしてる気分」

「その割には楽しそうだね」

「楽しいからするんでしょ、悪いことって」

「たしかに」


 瑞菜は戯けて悪巧みの顔をして笑った。この笑顔をいつまでも絶やしたくない。僕は心からそう願った。


「瑞菜はずっとこっちにいていいよ」

「え?」

「過去に戻れないなら、ずっとこっちにいていいんだよ。不馴れな街は疲れるでしょ?」

「うん……そりゃまあ、そうだけど……気を遣ってくれてありがとう」


 思ったよりも反応は鈍かった。サプライズで貰ったプレゼントが既に持っているものだったときのような、リアクションしづらそうな『ありがとう』だった。


「どうしたの?」

「だって私は一応四ツ葉さんのお嫁さんなんでしょ? いいのかなぁって」

「いいに決まってるだろ」

「でもお母さんは、事情はどうあれ私は嫁いだ身なんだから四ツ葉さんのところに戻らないといけないって」


 上目遣いでちらっちらっと僕を見る。運転中ということもあってはっきりとその表情を見ることは出来ない。


「そんなこと気にしなくていい。事情が事情なんだし。無理して帰ってくることはないよ」

「なんか怪しい」

「は?」

「私を実家に残したい感じがする」

「そんなことないって! その方が瑞菜も暮らしやすいのかなって思っただけで」

「もしかして浮気してるとか? 奥さんがいないことをいいことに羽を伸ばしてるんでしょ!」

「はあぁっ!? 何でそうなるんだよ!」


 冗談を言っているのかとも思ったが、瑞菜の目は笑っていなかった。疑り深い色を滲ませ、ジトーッと睨まれると情けないことに気が動転してしまう。

 もちろん濡れ衣も甚だしいのだけれど、瑞菜に疑われるという事態に焦ってしまった。そして僕が焦るから余計に瑞菜が疑ってくる。


「だって四ツ葉さんは私のことが、その、す、好きなんでしょ? それなのに実家にいていいなんておかしいし!」

「それは瑞菜が落ち着くかなって思ってのことだよ。それに」

「それに?」


 当然ファンデーションなんて塗っていない瑞菜は、その顔が真っ赤になるのを無防備にありのまま曝していた。

 子供と侮っていたが、不服そうに僕を問い詰める姿は一人の女性そのものだ。


「僕の愛した瑞菜は、二十四歳の瑞菜だから」

「えっ?」

「ごめん。気を悪くしないで欲しいんだけど。もちろん君は十二歳でも二十四歳でも瑞菜だ。僕の大切な人に違いない。でも僕の妻で、女性として愛しているのは、二十四歳の瑞菜なんだ」


 意外な言葉だったのか、瑞菜はさっきまでの照れや疑りの感情を忘れてしまったようで、ぽかんとした顔をした。


「色んなことを経験して大人になった瑞菜と僕は出会い、そして恋をした。お互いの気持ちが通じ合い、一緒の時を歩み、沢山のことを経験した。その過ごした時間も含めて、僕は瑞菜を愛しているんだ」


 誤解を怖れず思っていることを説明すると、瑞菜は黙って小さく頷いた。


「上垣瑞菜という女性を愛しているけど、それは僕と共に時を歩んでくれた上垣瑞菜なんだ。愛というのはきっと積み重ねた時間や思い出なんだと、僕は思うから」

「別に本気で浮気を疑ったわけじゃないからもういいってば。なんか聞いてて恥ずかしいし」


 瑞菜は堪えきれないといった感じで顔をぷいっと背けてしまった。


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