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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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16/24

軌跡

 『なぜ僕だけにキャンディーをくれたのか』と、のちに瑞菜に一度だけ訊ねたことがある。

 しかし瑞菜は小鳥のように首を傾げ、「そんなことあったっけ?」とまるで記憶にない様子だった。


 僕にとってはとても大切で特別な想い出だったが、彼女は記憶の片隅にも残っていない出来事だったということに、少なからずショックを受けた。

 それ以来瑞菜とその話はしていない。あの飴が起こした奇跡は、僕だけの大切な想い出もして残しておくことに決めた。


 プレゼンが見事に成功して受注に結びつくと、僕は幾度も瑞菜の勤める会社に出向いて打ち合わせを行った。

 あの日以降瑞菜は僕に飴をくれることはなかったし、私的な会話をしてくることも、特別な視線を送ってくることもなかった。

 ただ誰にでも見せる笑顔で挨拶をしてくれただけだ。


 それでも僕は瑞菜と逢えるのを楽しみにしていた。

 それまでスーツといえば量販店の安物しか購入してなかったが、はじめてポールスミスのスーツを誂え、瑞菜と逢える日はそのスーツを着て打ち合わせに出向くほど僕は浮かれていた。


 付き合いたいと望んでいなかったといえば嘘になるが、それよりもただ逢えるということが喜びだった。

 しかし次第に強く惹かれていき、常に彼女のことを思うようになってしまっていた。一方的に運命というもの感じてしまっていたのかもしれない。

 設計打ち合わせが終わってもう会えないという日に、自分でも信じられない勇気が湧いた。


「よかったら、今度お食事でも行きませんか」


 二人だけの瞬間を見計らって僕は連絡先を書いた紙を瑞菜に渡した。

 飴玉ひとつ貰っただけの根拠に立脚し、身の程知らずの僕は瑞菜を誘ったのだ。


「ありがとうございます」


 瑞菜はその紙を受け取るとにっこりと笑い、ポケットにしまった。突き返されると思っていた僕は、喜ばしい展開が信じられなくてしばらく放心してしまった。


 そしてその「ありがとうございます」という言葉が社交辞令ではないということは、その日の夜に明らかになった。


「もしもし? 四ツ葉さんですか? 上垣うえがきです。上垣瑞菜です」

「えっ!?」


 その日の晩に電話をしてくれたこともそうだが、それ以上に驚いたのは瑞菜の声だった。

 いつもの明るい声のトーンではなく、ましてや勘違いしたおじさんを軽くあしらう響きもなく、緊張で上擦って震えていた。

 固定電話ならコードを指でモジモジと絡めていそうな響きに僕も緊張が伝播してしまった。


「あの、もしもし? 四ツ葉さんのお電話ですよね?」

「は、はい! 四ツ葉です!」


 情けないほど動揺した僕は慌てて返事をした。それがおかしかったのか、受話器の向こうで声を出さずに瑞菜が笑った気配を感じた。


「よかった。番号を間違ったのかと思いました」

「すいません。まさか本当に電話をくださるとは思ってなかったので」

「え? もしかして社交辞令で連絡先を教えて下さったのですか?」

「まさか! 真剣な意味でお渡ししたんです!」

「真剣な意味?」

「あ、いや、それは、その。真剣というのは儀礼的な挨拶じゃないという意味でして、えっと、あの、決して変な意味じゃ」


 僕は自分で自分の足に絡まる人のようにあたふたしてしまっていた。そんな僕の慌てふためく声を聞き、瑞菜は笑いを吹き出した。


「ははは。四ツ葉さんって面白い方なんですね」

「面白い? 僕が? そんなことはじめて言われました」

「じゃあ私も真剣な意味でお電話させて貰いました」


 既に瑞菜の声に緊張はなく、僕をからかう余裕まで生まれていた。

 十歳も年上なのに、僕は情けないくらいに動揺してしまっていた。でも瑞菜はそんな僕に呆れず、むしろ楽しんで接してくれた。あとから聞いた話では僕の不器用さは誠実の証だと認識してくれていたらしい。

 そんな実にありがたい解釈をしてもらい、僕たちの関係は始まった。今に思えば奇跡のような展開だった。


 初めてのデートは緊張しっぱなしで本当にいいところがなかった。

 話題作というだけで選んだ映画は気まずいエッチなシーンの連続だったし、慣れないイタリアンレストランでは注文の仕方もよく分からないレベルだった。

 そんな失敗の一つひとつを真面目な性格の証拠だと都合よく見て貰っているなどと知らない僕は、変な汗をかきながら不慣れなことをしてしまった自分を恨んでしまっていた。


 だから帰り際に「今日は楽しかったです」と瑞菜が言ってくれた言葉も、素直に額面通りは受け取れなかった。

 きっと二度目のチャンスはない。そう落ち込んでいた。

 しかしその二日後、今度は彼女の方からデートに誘ってくれた。

 行き先は近くの高原にある牧場だった。沢山の羊を放し飼いにしたその牧場なら僕も背伸びをせずに伸び伸びと楽しめた。瑞菜は自然の中のデートを好み、それからは僕も動物園やらトレッキングなどの飾らないところへと誘った。


 そんな高校生のようなデートを半年ほど続けた。いや、そんな言い方は高校生に失礼だ。今どき中学生でもそれだけの時間があれば手くらい繋ぐだろう。

 そう、僕は瑞菜の手すら握れなかった。


 恋愛経験の少ない僕でも、もちろん時女性と手を握ったくらいはある。しかしそれが瑞菜に出来なかったのは仕事でも繋がりがあるとか、瑞菜が美人過ぎるということもあった。

 しかし一番の理由は年の差だ。

 十歳も歳が離れているということが気後れさせた。


 きっと瑞菜の方も僕のことを憎からず思ってくれている。そう感じることはあったが、意気地のない僕は未だにはっきりと想いを告げられていなかった。


 時間が経ちすぎると余計に告白しづらくなるというのはよくある話だ。そのことを学生時代の友人に相談をすると鼻で笑われた。「告白なんてしなくても自然とそういう関係になるだろ?」と。

 しかし僕は瑞菜との関係を事後処理的な流れで交際に持ち込みたくはなかった。


 彼女の誕生日に呼び出し、バラの花束を片手に告白した。

 仰々しいと重く見られるかもという不安と、真剣さを伝えたいという二つがせめぎ合い、結局僕は真剣さを選んだ。

 待ち合わせ場所にやって来た瑞菜はバラを持った僕を見て、動きが固まっていた。


「瑞菜さん。僕と、付き合って下さい」


 そのままの勢いで告白した。思わず声を裏返しそうになりながらの告白は、恐らく相当ダサかったに違いない。

 飛び降りる勢いだった僕は、自然と目も瞑ってしまっていた。

 しかしいつまで経っても花束を受け取ってくれる様子がない。


 やはり駄目だった。完全に引かれている。


 そう思いながら目を開けた僕は、驚きで「えっ!?」と声を上げてしまった。


 瑞菜は口許を抑え、肩を震わせて泣いていた。

 花束を受け取ってくれなかったのは、涙で動けなかったからだった。


「ありがとう……はい。よろしくお願いします。私も、みっちぃが好き」


 彼女しか呼ばない惚けたあだ名で僕を呼び、告白を受け入れてくれた。

 その告白から僅か半年で僕たちは結婚することを決めた。きっとこれが運命だった。幸せの絶頂の中、僕はそう考えていた。


 そこまで回想したところで、昨夜の萌莉さんの言葉が甦った。

『瑞菜と結婚するはずの人は、失礼ですけど四ツ葉さんじゃなかったんです』

 瑞菜が萌莉さんに語った結婚相手はイケメンで高身長で優しい、僕とは似ても似つかない人だった。

 そう。僕は瑞菜の運命の相手なんかではなかった。


 いや、もちろんこうも考えられる。

 瑞菜はやはり未来で僕と結婚していた。

 しかし三十半ばの冴えないおっさんだったという事実は、十二歳の彼女には受け入れがたかった。だから親友にイケメンだったと嘘をついたという可能性だ。


 この可能性は正直ありうると考えていた。

 しかしだからといって事態が好転するということはない。

 小学六年生の瑞菜からしてみれば到底受け入れられない未来だから、親友である萌莉さんにまで嘘をついたのだ。

 つまりこのまま瑞菜が戻らなかった場合、やはり十二歳の彼女には僕との結婚は受け入れがたいものだということになる。


 つまり僕が運命の人であろうがなかろうが、今の瑞菜には関係のないことだ。

 やはりタイムスリップが再び起こらなかったときは、最悪の事態も覚悟しておいた方がいいだろう。


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