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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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一粒のキャンディ

 もし瑞菜が元の状態に戻らなかったら。

 そう考えたときこれまで不安しかなかった。でも命を落とすわけではない。

 この時代で十二歳の瑞菜が暮らしていくにはどうすればいいのかということを考えてみた。それも悲観的ではなく、前向きに。


 戸籍的には二十四歳だから今さら小学校、中学校に通うことは厳しい。でも学習塾には通えるだろう。僕も勉強し直せば数学や化学などは瑞菜に教えられる。


 高校は定時制なら通える。瑞菜が望むならそれから大学に通ってもいい。

 はじめは寂しいかもしれないが友達はすぐに出来る。なにも悲観しなくていいはずだ。

 瑞菜の人生はまだまだ始まったばかりなのだから。


 仕事の帰り、気の早い僕はさっそく駅前の大型書店に足を運んでいた。中学生の参考書のコーナーで一通りの科目のものを購入する。歴史やら現国などは苦手だけれど一応買っておいた。

 もし瑞菜が無事に過去に戻ったときは雑学を得るために読んでみてもいいし、将来僕と瑞菜の間に子供が生まれたときに教えるための勉強しておいてもいい。

 もっともその頃は歴史の教科書も今より数ページ増えているかもしれないけど。


 レジに向かう途中でファッション雑誌が目に留まった。なぜ参考書の近くにそんなコーナーがあるのかと訝しんだが、その表紙をよく見て理解した。それは女子小学生や中学生のためのファッション雑誌だった。

 参考書を買いに来た女の子の足を止めされるためにここに並べられているのだろう。


(それにしても今はこんな子供用のファッション雑誌があるんだな)


 妙な関心を覚えて、手に取ってみる。

 僕らの時代の女子高生よりも垢抜けた女子小学生が表紙を飾っていた。どの雑誌も付録がたくさんついているようで、ビニール紐で括られていて中を確認することは出来ない。


(瑞菜ももしかするとこういうものに興味を抱くかもしれない)


 そんな思いも手伝ってそのうちの一冊を参考書と共に購入した。

 家に帰ってから中を見るとクリスマスの特集や、デートコーデ指南などが載っており、大いに僕を複雑な気持ちにさせた。


 記事を確認すると『読モ』と呼ばれる女の子たちの写真が漫画のようにコマ割りされて物語となっていたり斬新だ。

 瑞菜の子供の頃にもこんな雑誌はあったのだろうか。

 ペラペラと捲ってみたが、もちろんおじさんの写真など一枚も載っていなかった。小学校高学年女子から見て、おじさんという生き物はもっとも縁遠く興味がないものだと改めて実感した。


 巻末の方には先日瑞菜が見ていた『まなゆき』の主演俳優のインタビュー記事があった。

 知性を感じさせる凛々しい顔立ちは男の僕が見ても惚れ惚れとするほど整っている。これで高学歴で高身長なのだからまさにミスターパーフェクトだ。

 あまりに自分との違いにもはや嫉妬することすらおこがましいとさえ思えてくる。


 若手と思っていたが、意外に二十九歳とそれなりにキャリアを積んでいることも知った。

 僕の五つ年下ということになるが、きっと彼が三十四歳になっても恐らく若い女の子から人気はあるだろう。


 視線は雑誌に落としたまま、僕は敢えて考えないようにしていたことに思考を巡らせる。

 もし瑞菜が元の時代に戻れなかったとき、僕と彼女は夫婦のままでいられるのかという問題だ。


 現実的に考えて、それは不可能だろう。

 瑞菜は心だけでなく体も十二歳だ。もちろんあと六年もすれば体の方は大人と違いがないくらいに成長するだろう。

 でも僕との年の差は二十二歳もある。その六年で当然僕の方も年を取り、四十歳になる。その年齢差で夫婦だというのは酷な気がした。そこまで瑞菜に背負わせるわけにはいかない。


(そのときは、瑞菜と離婚するしかないだろう)


 想像するだけで胸が痛むほど辛い選択だ。しかし瑞菜の幸せを考えればそれしかない。

 もちろん自立できるまでは僕が支えになるつもりだ。それがせめてもの僕が妻に出来る愛の示し方だ。もう会うことが出来なくなってしまった、二十四歳の僕の妻に向ける愛の証となる。


 すっかり忘れていたコンビニ弁当を袋から取り出すと、冷えて水滴を纏っていた。

 ラップを剥がして蓋を開けたが、今ひとつ食欲が湧かずに蓋を閉めた。


(瑞菜はどうしているだろう)


 お昼に『お弁当ありがとう。美味しかったよ』とメールを送っていたが、その返事はまだ来ていなかった。

 もう一度電話をしてお礼を言うべきか迷った。あまりしつこくすれば嫌われてしまうかもしれない。


 電話をすべきか否かで迷うなんて、瑞菜と出会った頃以来だ。

 今でももちろん瑞菜のことは好きだが、電話をかけるか迷ってドキドキするなんてことは結婚してからはもちろんなかった。

 久し振りに恋に戸惑う感覚を味わう。やはりこういう気持ちは何度経験しても慣れないし、落ち着かないものだ。


 嫌われないだろうか、迷惑じゃないだろうかと煩悶する一方、声が聞きたいという欲求が募る。感情の押し引きが激しく、心の平穏は掻き乱されていく。それが恋というものだ。


 僕は久し振りに瑞菜との馴れ初めを思い出していた。

 専門学校を出た瑞菜は二十歳で僕の取引先の会社に入社していた。僕は営業の人と共にその瑞菜の勤める会社に商談に出掛け、そこではじめて瑞菜と出逢った。



「すげぇ可愛い子がいるから四ツ葉も楽しみにしとけよ」


 営業の牛山うしやまさんはからかい気味に僕の腕を叩いた。

 彼は何度か打ち合わせで訪問しており、そこで働く瑞菜のことを目敏く見付けていたらしい。


「そんな余裕ないですよ」


 あまり人前で話すのが得意ではない僕は、そんなことよりもプレゼンのことで頭がいっぱいだった。

 会議室に通され名刺交換をしたあと、僕は説明のための資料を鞄から取り出していた。その時ドアがノックされ、コーヒーをトレイに乗せた瑞菜がやってきた。


「失礼します」


 瑞菜の初々しい笑顔に僕は息を飲んだ。確かに可愛い子だなと思わず見惚れてしまっていた。

 僕の不躾な視線に気付いた瑞菜はにっこりと笑い、なぜか僕にだけコーヒーと共に飴を置いてくれた。まるでハンカチ落としのゲームのように、そっと何食わぬ顔で。その時の驚きは今も忘れない。


 とはいえそれは何の変哲もない、どこにでも売っているフルーツキャンディだ。そんな飴玉ひとつで勘違いするほど僕も図々しい人間ではない。でも結果としてそのたったひとつの飴玉が僕に勇気を与えてくれ、結婚まで導いてくれたと言っても過言ではなかった。


 もしあの場面で瑞菜が僕だけにあのキャンディーをくれなかったら、きっと僕たちの人生は交わることはなかっただろう。

 その飴は舐めなくても喉を滑らかにする効果があるようで、僕は緊張せずに製品の説明をすることが出来た。そして舐めなくても甘酸っぱい味を感じることが出来る、とても不思議な飴だった。

 恐らく僕の人生に於いてあれ以上の飴と出逢うことはないだろう。



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