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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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14/24

六年生の愛妻弁当

 翌朝。僕はゆさゆさを布団を揺すられる感覚で目が醒めた。


「ほら、早くしないと遅刻するよ」

「えっ……あ、あぁ」


 まだ重たいまぶたを開けるとエプロンを掛けた瑞菜が立っていた。今日は前髪をイルカのオブジェがついたヘアピンで留めているので形のいいおでこも見えた。


「今何時?」


 瑞菜に起こしてもらう幸せな気持ちに浸りながら、スマホを手繰り寄せて確認すると五時半を大きく回っていた。


「やばっ!?」


 一気に血の気が引き、目が醒める。


「目覚ましなってたのに止めてまた寝ちゃったんだよ。まったく!」


 僕は飛び起きて慌ててパジャマを脱ぎ捨てる。


「きゃっ!? ちょ、ちょっと!」

「あ、ごめん」


 瑞菜は顔を手で覆いながら「馬鹿!」と僕を誹りながら部屋を出て行く。

 ワイシャツにスーツを着て、ネクタイを締めながら部屋を出ると、玉子を焼く芳ばしい香りが漂ってきた。朝ご飯を作ってくれていたのだろうか。ありがたいがとても食べている暇はなかった。


「ごめん、せっかく作ってくれたのに──」


 キッチンに顔を出すと瑞菜と共にお義母さんもそこにいた。


「あ、ちょっと待って!」


 瑞菜は慌てて僕の元に駆け寄ってくる。


「はい、これ」

「え? これって」


 それはランチクロスに包まれたお弁当だった。


「瑞菜が作ってくれたの?」

「わ、私というか、ほとんどお母さんだけどっ……一応私も手伝った。卵焼きは私が焼いたんで」

「あ、ありがと」


 瑞菜は俯き加減で渡してくれた。桃のようなうぶ毛が目立つおでこや頬は赤く色付いていた。


「気をつけて行ってきてね」


 お義母さんは含んだ笑みを覗かせながらお茶の入ったペットボトルを渡してくれる。

 明らかに冷やかした目つきで見られ、瑞菜は「なによ!」とお義母さんの腕をぺちんと叩いた。照れ臭さが僕にまで伝播してくる。


「じゃあ行ってきます!」


 お弁当を鞄に入れながら慌てて玄関を出る。振り返ると瑞菜と目が合った。腰の位置で小さく手を振ると、瑞菜は視線を斜め上に泳がせながらほんの小さく手を振り返してくれた。

 思春期の女の子と接するのは変な緊張感がある。それが自分の妻となる人の幼い頃だと思うと、余計不思議な気持ちだ。



 道路は目立った渋滞もなく、いつもより早いくらいの時間に会社に到着した。


「よし。やるか」


 頬をぴしゃっと叩き、昨日の遅れを取り戻すように仕事を始める。なんにも問題は解決していないけど、瑞菜と会ってちゃんと話せたおかげで気分も晴れ、昨日のようなつまらないミスは犯さなかった。


 昼休みになると僕はいそいそと鞄を持ち、休憩スペースへと向かった。毎日瑞菜の作ってくれたお弁当を食べていたが、今日ほどそのふたを開けるのが楽しみな日はない。お義母さんが手伝ってくれたとはいえ、これは瑞菜が作ってくれたお弁当だ。

 しかも恐らく他人のためにお弁当を作ったのは人生初だろう。そう思うと更に嬉しくなる。


「四ツ葉さん、ここ空いてますよ」


 葛原さんが手を振って呼びかけてくる。今日はいつもの移動販売のお弁当ではなく、自分で作ってきたお弁当を広げていた。


「お、珍しい。葛原さんも自炊弁当を作って来たんだ?」

「その言い方、失礼ですよ。私だって料理位できますから」

「それほお見逸れしました」


 笑いながら向かいの席に腰掛ける。彼女がお弁当を作って持ってきているのは、僕が知る限り初めてのことだった。

 ちらりとその中をのぞき見ると黒く焦げた卵焼きの他にはちょっとした野菜といかにも冷凍食品といったものが詰められていた。


「ちゃんと健康のことを考えてるんですよ、私だって」

「へえ。偉いな」

「適当な言い方ですね。『どうせ冷凍食品詰めてるんだろ』って顔してますよ」

「えっ!?」


 慌てて手で口許を隠して表情を引き締めると、「冗談のつもりだったんですけど?」と睨みつけられた。


「お弁当箱に詰めて持ってくるっていう心掛けが偉いんだよ。それに冷凍食品だとしてもちゃんと栄養バランスを考えたものを詰めているんだろ?」

「それ、フォローになってませんから」


 葛原さんはむすっとした顔をそのままに、鞄からもう一つ弁当箱を取り出した。


「はい、これどうぞ。私が考えた栄養バランスのとれた冷凍食品の詰め合わせです」

「えっ……僕の分まで作って来てくれたの?」

「つ、ついでですよ。ほら、一つ作るのも二つ作るのも一緒ですから」


 おかずを作りすぎてしまったような言い方が面白かったが、何とか笑いは噛み殺した。


「ありがとう。でも今日はお弁当あるから」


 そういって鞄から弁当箱を取り出す。


「奥さん帰って来たんですね。おめでとうございます」


 葛原さんはやや固い笑顔で乾いた笑い声をあげた。心配してお弁当を作って来てくれたのになんだか申し訳ない気分になってしまう。


「葛原さんのお弁当も食べていい? お腹すいちゃってて」

「そういうの、一番ダメなやつですよ」


 葛原さんはむっとした顔で僕の為に作ってきた弁当を自分の鞄にしまった。怒った様子から見て、健康的にダメと言っているわけではなさそうだった。

 気まずい空気になってしまったが今さら他の席に移るわけにもいかず、弁当箱を開ける。

 中には唐揚げや卵焼き、根菜類の煮物がスペース的にも栄養的にもバランスよく並べられていた。


「さすが愛妻弁当。卵焼きはやっぱり外周も黄色くなくちゃね。私のは外周が焦げて黒くなってますから。日頃からの慣れですね」

「そうそう。毎日していれば慣れるよ」


 本当は小学六年生の女の子が焼いたものだと知ればきっと彼女は更に落ち込んでしまうだろう。

 さっそく卵焼きから食べてみると、いつもの瑞菜の味より少し甘かった。きっと彼女の今の味覚ではこれが美味しいのだろう。瑞菜の今の状況を共有できた気分になり、少しうれしくなる。


「奥さんの作った卵焼き食べてにやけるとか、そこそこキモいですよ」

「にやけてないから」

「でも良かったですね、奥さん帰ってきて」

「あ、いや、それは……なんというか……」

「え? まだ帰ってきてないんですか?」


 葛原さんは僕の顔と弁当を交互に見て唖然としていた。


「ま、まあ……ちょっと色々あってね」

「あっ! そういうことですか!」


 しどろもどろになる僕をよそに、葛原さんは判を押すように右手の拳で左の手のひら叩いた。


「おめでとうございます」

「は?」


 突然の祝福に思考がついていかなかった。


「ほら、あれですよね。奥さんのご懐妊」


 葛原さんの声がそこそこ大きかったので辺りの人が振り返る。


「ち、違う! 違うから!」


 慌てて周りの人にも聞こえる声で否定した。


「出産のための里帰りじゃないんですか?」

「早とちり過ぎだよ」

「なぁんだ。じゃあやっぱり喧嘩か」

「なんでそう両極端なんだよ」

「じゃあなんですか?」

「それは」


 十二歳になってしまったから、なんてとても言えない。出産とか喧嘩で実家に帰っている方がよっぽど常識的な理由だ。


「言えないくらい大変なことしでかしちゃったんですか?」


 僕の沈黙の意味を深読みした葛原さんは、心配そうに眉を歪ませて僕に問い掛けてくる。


「そうじゃないけど」


 喧嘩が原因ではないが、確かに言えないくらい大変なことにはなっている。


「なんかはっきりしないですね。まあ、いいですけど。あんまり思い詰めない方がいいですよ。死ぬわけじゃないんですし」


 面倒臭そうに言われたその言葉だが、妙に核心を衝いている気がした。

 確かに大変な事態だけど、死ぬわけではない。もがくあまり溺れてしまうというのは、水難事故の一番の原因だ。

 落ち着くことが大切なのかもしれない。


「そうだね。ありがとう」


 葛原さんはいつも図らずも的確なアドバイスをしてくれる。本人にその意志はなくとも、僕にとってはここ最近一番の大切な相談相手となっていた。


「どういたしまして」


 そんな事情を知らない葛原さんは、急に素直になった僕を少し訝しむように頷いていた。

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