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妻は小学六年生  作者: 鹿ノ倉いるか


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13/24

笑い話に変えるために必要な時間

「つまり萌莉さんの考えとしては、瑞菜がその運命の人と結婚すれば元の時代に戻れる。そういうことですか?」


 感情を抑えたつもりだったが、さすがにそこまで僕も出来た人間ではない。語尾の震えは隠せなかった。


「それは……わかりませんけど」


 さすがの萌莉さんもやや気まずそうに言葉を濁してなにも見えない窓の外に視線を泳がせた。


 もし本当にそうすることで瑞菜が元に戻るなら、と考えかけて首を振る。

 萌莉さんはそれっきり何も語らず、ハンドルを握ったまま動かなくなった。


「とにかく今日は瑞菜と付き合って下さってありがとうございました」


 そう言って頭を下げると、萌莉さんは唾を飲み込む程度の動きで会釈を返してくれた。

 車を降りて家に帰ると瑞菜はちょうどお風呂から上がってきたところだった。


「お帰り-。遅かったね」


 濡れた髪をタオルで乾かしていた瑞菜はショッピングモールで見たときよりも落ち着いているように見える。


「少し落ち着いた?」

「うん。お風呂に入ったらだいぶ落ち着いた」


 今日出掛けた際に買ってきたのか、真新しいパジャマに身を包んでいた。いかにも瑞菜が好きそうなもふもふと起毛した素材を着ており、どことなくヒヨコを連想させられた。

 リビングに向かおうとすると、瑞菜にくいっと袖を掴まれる。


「私の部屋で話そう」

「うん。分かった」


 恐らくお母さんに聞かれたくないのだろうと察し、彼女の部屋に移動した。

 瑞菜はベッドに腰掛け、僕はクッションの上に腰を下ろす。


「ごめんね」

「え? なにが?」

「萌莉のこと」


瑞菜は複雑な笑みを浮かべて僕を見た。


「なんか四ツ葉さんに態度悪いよね。でも悪い子じゃないんだよ」

「分かってるよ。瑞菜の親友なんだから、悪い人のはずがない。瑞菜のことを心配しているから僕にあんな態度なんだよ」

「うん。ありがと」


瑞菜はちょっと照れ臭そうにペンギンのぬいぐるみを胸に抱いて体を丸めた。


「今日は小学校時代の友達と会ってきたんだろ?」

「そう。私は『瑞菜の従妹の子供』っていう設定でね。でも『瑞菜の小学校時代に似過ぎ』ってびっくりされたゃった」


 瑞菜はちろっと赤い舌を覗かせていたずらっ子の笑みを浮かべた。こんなに可愛い同級生がいたら、きっと僕は恋をしていただろう。


「そりゃ本人だもんね。似てるに決まってる」

「でしょ? でも柚希ゆずき君はジッと私の顔を見て『似てるけど目が違う』とか言っちゃうんだもん。思わず大声で笑いそうになっちゃったよ」

「よく我慢できたね」


 瑞菜は声を上げて笑ったあと、少し声のトーンを落として話を続けた。


「今日会ったのは柚希君と希乃ののちゃん。当たり前だけど二人ともすっごい大人になっててびっくりした。浦島太郎がなんで玉手箱をお土産でもらったのか、ようやく理解できたよ。一人だけ年をとってないって寂しいもんね」


 冗談のつもりだったのかもしれないけど、僕もそして瑞菜も笑わなかった。


「もしかしてその柚希君っていうのは」


 僕の脳裏にはあの運動会の写真がはっきりと浮かんでいた。緊張して瑞菜の隣に立っていた男の子。そして僕たちの結婚式にも参列してくれた、あの男性だ。


「うん」


 僕が誰を思い浮かべたのか瑞菜にも分かったみたいで、コクンと頷いた。


「そう。柚希君っていうのはこないだ四ツ葉さんが見た、運動会で一緒に写真を撮っていた男子だよ」

「やっぱり。仲よさそうだったもんね」


 心の中に渦巻いた黒い感情を隠したつもりだったが、吹き替え映画のような取って付けた言い方になってしまった。


「タイムスリップする前ね、私は柚希君に好きだって告白されてたの」


 瑞菜は言い辛そうに呟いた。もしかしたら少しだけ僕に対して罪悪感を感じてくれているのかもしれない。


「私は別に好きというわけじゃなくて、ただ仲のいい男子だって思っていたんだけど……ごめんなさい。あんまりこういう話ってしない方がよかった?」

「謝る必要なんてないよ。十二歳の頃の瑞菜の話なんだから」


 瑞菜は肩を竦めて抱いたペンギンのぬいぐるみを更にギュッと両腕で潰して俯いていた。初恋の相手というわけではなかったようだ。しかし話を聞く限り、憎からず思っていたような気配は感じた。


「その答えを伝える前にタイムスリップしちゃったから心残りだったんだ」

「ううん。違う。そうじゃない」


 瑞菜は顔を上げ、僕の目を見て強く否定した。うぶ毛の残る桃のような頬は湯上がりでほんのり色付いている。


「希乃ちゃんが、柚希君のことを好きだったの」

「希乃ちゃんって、今日会ったもう一人の人?」

「うん。でも柚希君はそんなこと知らなかったから、希乃ちゃんがいる目の前で、私に告白してきて」

「うわっ。それはキツいね」


 柚希君のタイミングの悪さに思わず僕も顔をしかめてしまった。


「そのあとで希乃ちゃんは大泣きしちゃって……クラスの女子は萌莉を除いてみんな希乃ちゃんの味方をしたの。希乃ちゃんが柚希君好きだって知ってたくせに私が柚希君の気を惹いたって話になって」


 その声はどんどん湿りを帯び、最後の方はほとんど聞き取れないほどだった。

 息の吸い方を忘れたかのように瑞菜はしゃくり上げて泣いていた。

 別に瑞菜が何かをしたというわけじゃない。それでも泣いている方を味方するのが女子小学生なりの正義なのだろう。そして自分の正義を疑わないところに子供の残酷さの本質がある。


「萌莉が守ってくれたこともあって露骨に苛められたりはしなかったけど、無視されたり、たまにシューズを隠されたりはした」

「辛かったね」

「先生に相談もしたの。でも私の気のせいだろって言われて。イジメがあると認めたくなかったんだと思う。それに女子が誰かを仲間はずれにするっていうのは、結構ある話だし」

「なんだよ、それ。最低な先生だな」


 小さな胸を痛める瑞菜を助けるはおろか、訴えを無視した教師に怒りが湧いた。


 「そんなもんだよ、先生なんて」と瑞菜は分かったようなことを言った。達観したペシミストを気取ることで大人ぶる。この年頃の子供ならではの行動なのだろうが、胸が苦しくなった。


「だから修学旅行なんて、本当は行きたくなかったの。具合が悪くなって行けなくなればいいのにって、そんなことを思っちゃった。そんなことを考えたからバチが当たったのかな」

「そんなわけない。瑞菜はなんにも悪いことをしてないのに、バチなんて当たるはずがない」


 自分を否定することで心の平穏を取り戻そうとしている瑞菜を見ていられなかった。


「瑞菜は悪くないよ。そんな風に自分を責めないで」


 瑞菜はつま先をもじもじと擦り合わせながら、視線をちらちらと僕に向けつつ小さく頷いた。


「でね、今日はその柚希君と希乃ちゃんと会ってたの。なんとあの二人、高校生の頃付き合ってたんだって」


 瑞菜は少し不服そうに唇を尖らせてそう言った。


「高校生から? じゃあもうずいぶんと長く付き合ってるんだね」

「それが一度高校卒業後に自然消滅的に別れたんだって。で、私の、その、結婚式? に二人ともやってきて、そこで再会したんだって。それからまた付き合いだしたらしくて。来年結婚するって言ってた」

「そうなの? なんか凄い展開だね」

「あり得なくない? 小学六年生の私はこんなに思い悩んでるのに、あの二人は何事もなかったかのように付き合って、別れて、再会して。結婚までするんだよ」


 十二年の歳月というのは、実に様々なことがある。その経緯を全て省略された今の時代は、到底瑞菜の納得のいく世界ではないのだろう。

 過去が笑い話になるためには時間がいる。今の瑞菜はその時間を省略されているのだから、笑えるはずがない。


「確かに。それはなんか、ひどい話だね」

「でしょ? もう怒りも呆れも通り越して、笑っちゃったよ」


 瑞菜は痛々しく充血した目を細めて口角を無理に上げていたが、笑っているようには見えなかった。


「なんかもう、元の時代なんて戻らなくてもいいやって、ちょっとだけ思っちゃった」

「そんな」


 投げ遣りにそう言った瞬間に居間にある壁掛けの振り子時計が鳴って九時を告げた。

 言いかけた僕の言葉はその音に遮られてしまった。


「もうこんな時間なんだ。四ツ葉さん帰らなくて大丈夫?」

「今日はこっちに泊まっていくよ」

「え? でも明日仕事でしょ?」

「直接車で行くから問題ないよ。六時にここを出れば充分間に合うし」

「そう? じゃあ早く寝ないとね」


 せめて僕は彼女の支えになりたかった。たとえ瑞菜の運命の人じゃなかったとしても。

 「おやすみ」という挨拶を交わし、部屋を出る。その瞬間だった。


「来てくれて、ありがとう」


 背後から瑞菜の小さな声が聞こえた。

 振り返ると既に瑞菜は頭から布団を被り、丸まってしまっていた。

 照れたその顔が見られなかったのがとても残念だ。


「僕の方こそ、ありがとう。色々話してくれて、嬉しかったよ」


 布団の丸まりがもぞっと動くのを確認してから、僕は電気を消して部屋を出た。



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