#3 革命前夜「い」
人生とは、考えているつもりでも意外と考えられちゃいない。
いたって普通の高校3年生として、放課後に迎える友との青春のひと幕。
だけどそれは部活で汗を流すとかいうものではなくて。
かといって今この瞬間にしか意味をなさない無為なダベりでもなくて。
なんでもないことが楽しかったなぁ……なんて10年後に振り返るものとはちょうど対局の、10年後にこそ意味をなすであろう内容を大いに含んだ出会い。
そんなふうな日常だったんだと、後に思い返せるようになればイイなと願う。
今も10年後も、羽鳥はきっとなにも変わっちゃいないんだろうな。
卒業後も交流を持っていくであろうクラスメイトと、そうじゃなくてなんの縁もゆかりもなくなるであろうクラスメイトを明確に区別して、そんな『内外フレーム』に応じた二層構造をもって早い段階から他者と接する女の子。
一般的にはとんがっていて好ましくないのかもしれないけれど、羽鳥を羽鳥たらしめる根幹はそこにあるってことは、漠然とわかっていた。
まだ話し始めて数日なんだけどね、わかったつもりになってるだけかもしれないけどね。
それでも、変わらないとイイな。
「100万円を自由に使えるとしたら、あなたはどうする?」
放課後(半ば強引に)開催が決まった、羽鳥による「特別」授業は、ひとつの問いかけから始まった。
100万円とは、高校生にとっては現実味が薄い金額ではある。ひとむかし前のTV番組では、『○○ができたら100万円プレゼント』みたいな企画がお茶の間を席巻していたし、高校生じゃなかったとしてもかなりの大金であるはずだ。
模範解答的ななにかがもしかしたらあったのかもしれないけど、頭に浮かんだのは残念ながら私欲にまみれたものばかりだった。
「うーん、高級焼肉を食べにいきたい」
「そんなんじゃ使い切れないでしょ? 他には?」
「前から気になっていた洋服をたくさん買う」
「あとは?」
「1ヶ月くらいかけて、ヨーロッパ中をまわりたいかな。あとは……」
考えるうちに夢が広がってくる。いったん具体的なイメージができると、あとはスラスラと浮かんできた。
「はい、ストップ。それじゃあ次は……」
もっとたくさん答えることも出来たけど、それを制するようにして羽鳥は次の質問を投げかけてきた。
どうやら本当に聞きたかったのは、こちらであるようだった。
「100万円を自由に稼ぐとしたら、あなたは何をする?」
なめらかに回転を始めた脳みそが、再びつっかえたのを感じた。
稼ぐって言われてもな……。
「えっと……バイト?」
我ながら陳腐な答えを出してしまったものだ。
「そう! そうなの!」
だけどどうやら、羽鳥にとってその答えは進行上の『模範解答』だったらしい。
その証拠に、きめ細やかな白い羽鳥の頬に、さっと薄桃色の熱がこもって見える。
「この質問には正解なんてないんだけどさ、だけど『使い方』を質問したらたくさんの答えが出てくるのに、『稼ぎ方』になった途端、どんな人に聞いても答えがひとつだけになっちゃうの」
羽鳥はカンカンカンと軽快なリズムに乗せて、白のチョークを使い黒板に文字を書いた。
『働いてお給料をもらう』
「世の中の大多数の人間は、給料をもらうという形でお金を稼いでる。それは最も「手堅い」お金の稼ぎ方かもしれない。けど、お金を稼ぐこととお給料をもらうっていうのは決して同一視していいものではないの!」
「それは、サラリーマンとして勤めるのを前提にしちゃいけないってこと?」
「勘違いしないでよね! あたしは『サラリーマンとして働くのは間違っている!』とか、『もっと良い稼ぎ方がある!』とかそういうのを熱弁したいわけではないの」
羽鳥の口から発せられた『勘違いしないでよね!』という言葉は、いわゆるツンデレの象徴として笑っちゃうくらいに似合っていた。
だけど今笑って水を差すことは絶対に得策ではないことくらいはわかるから、つとめて眼の前の『働き方』という問いかけに対する答えの模索に集中するようにした。
脇道にそれることなく、羽鳥はプレゼンを続ける。
「今回あたしが言いたいのは、ひとくちに『働く』って言うけど、具体的に何をして働くの?ってことなの。サラリーマンとして働く? 起業して働く? これでもまだ、『何をして』働いてお金を稼ぐかという、働き方がハッキリ見えてこない」
老若男女問わず、人間は生活していく中で、働いて稼いだお金を使う時にはとっても細かくイメージ出来るのに、
使うお金を稼ぐために働く時にはイメージが非常にあいまいだ。
羽鳥の主張とは、要するにそういうことだった。
羽鳥からの問いかけによらず、あいまいな大人については思うところがあった。
『何の仕事をしてますか?』と聞かれた時に会社名を答えている人を見たら、会社名というブランドを着飾って自分を守ろうとしているんだな、と感じてしまう。
一方で、同じ質問をされた際に、もごもごしてちゃんと答えない人もいる。
そんな人については、自分の働き方に自信を持っていないんだろうな、と感じざるを得ない。
共通して言えることは、働き方を考える際に、『他人にどういう働き方をしていると思われるか』という自らの見せ方だけを考えているということ。
そしておそらく、そういう大人ほど、先ほどの羽鳥からの問いかけに対して、
『とりあえず働いて稼ぐかなぁ……』
と答えがちなのだろう。
「で、それと経済の勉強はどういう関係があるの?」
持論に思いを馳せ、そんな質問を羽鳥に投げかけながら、目の前に積まれた大量のプリントをパラパラとめくっている自分に気づいた。
「まずはあなたにも、『働き方』についての認識を見直して欲しいと思ってる。じゃないと、あなたも将来、あなた自身が嫌いな大人たちの仲間入りをしちゃう可能性だってあるのよ」
そしてどうやら羽鳥は、そんなこちらの考えを見透かしているようだった。
「働き方をイメージできない根本原因は、『自分のためになにか行動する』とか、『自分キッカケで動く』とかそういうのが全くないところにあるの。
周りにちやほやされたい。人に一目置かれたい。
こういうのも大事なことではあるかもしれないけど、これだけを原動力にしてちゃダメ。
人に何かを『されたから』行動する
っていうのは、逆に言えば、
人に何も『されなかったら』行動できない
ってことだもん。そんな人は、受け身人間予備軍よ」
羽鳥から渡されたプリントの中に、『歩く受け身』っていう表現を見つけた。
ちょっとしたジョークにこそ感じたけど笑う気分にはなれなかったな。
真剣な面持ちで羽鳥は続ける。
「受け身人間になってしまうと、復讐心しか生まない。
自己評価が常に他人ありきになってしまって、自分に自信が持てなくなってしまう。
だからこそ、肩書きに頼っちゃうの」
「で、そうならないためには経済の勉強をしなくちゃいけないってこと?」
「そう。日本の経済の仕組みを話して、『サラリーマン』と『起業家』の違いに触れて、その上で、お金を稼ぐための「働き方」について説明したいと思ってる。で、そこでのキーワードが『オウンドビジネス』!」
ここ数日間で最も多く聞いたであろうその言葉。
授業の最後でようやくその言葉の意味がわかる構成になっているようだった。
「ってことで、今回の目標!」
羽鳥は再びチョークを握りしめ、何の迷いもためらいもなくこう書いた。
『◯◯をして、働いてお金を稼ぎます』
「これを人に話せるようになること! もちろんあなたもね!」
「うーん、けどまだ高校生だし、働いたことがないからなんとも言えないなぁ……」
言うやいなや、脳裏に羽鳥に怒られるんじゃないかという地雷を踏み抜いた感が走った。
だが意外にもそれを聞いた羽鳥は、少し尖った八重歯をこちらに見せるくらいニカっと笑った。
……ってことはこれも想定内?
「お金を稼いだことがない、っていう人は実は誰もいないの。お金を使っている人は、全員必ず働いているの!」
いたずらっぽく笑ってみせた美少女の口から飛び出したのは、スルーできない極論だった。
「どういうこと?」
「あたしたちみたいなこれから社会に出て働く高校生だって、すでに社会に出て働いている社会人も、暮らしていくためにはどうしてもお金が必要になるわよね? つまり、今の日本には、お金が必要ないと言い切れる人は1人もいないの」
「確かにそうだね」
「あなたはなぜ、お金が必要だと思ってる?」
「だって使う機会が多いし……」
「そう、お金が必要だと思うのは、誰しもが日常生活の中で、お金を使っている実感を持っているからなの。
リアルにお金を使う瞬間を経験しているからこそ、あたしたちはお金を使う方法がイメージ出来ていると言える。
じゃあ今のあなたはどうやってお金を手に入れてるの?」
「小遣いをもらったりとか、手伝いをしたりとか……」
まさか、空からお金が降ってきたり、庭を掘ったらお金が出てきた、という経験がある人はいないだろうし。
「それも、お金を稼ぐってことなの。そして、お金を稼いでいる以上は、誰だって必ず働いているの。もちろん小学生だって!」
羽鳥の言っていることが、この段階では全然理解できなかった。
世間がイメージしている『働く』とは少し違った意味での『働く』だってことがわかったのは、少し先の話。
小学生も小遣いを『稼ぐ』ために、両親や祖父母、親戚などに向けて働いている。
こんなの、考えたことないでしょ?
「ってことで、ようやく経済学に入ります」
あとから聞いた話だと、羽鳥もかつて他の人から同じ質問をされたらしい。
100万円を自由に稼ぐなら、あなたは何をするでしょうか?
『うーん、とりあえず働く?』
それだけじゃなくて、
100万円を自由に使うなら、あなたは何をするでしょうか?
『うーん……とりあえず貯金?』
みたいな感じでしか答えられなかったらしい。(今となっては信じられない……!)
だけど、確かに彼女は変わった。変わろうとした。
そして今度は、誰かを変えようとしている。彼女自身がそうだったように、変わると信じている。
考えるために準備された夕暮れ時は、初日から長い。
本来よりも長く待ってくれているようにさえ思えた。