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人生が二度あれば【呪術編】  作者: ゆずさくら
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 目が覚めると、布団から出れなかった。

 意識的に出れなかったのではなかった。

 思うように体が動かない、という意味だ。息を吸い込むと、無駄にせき込むし、体調が悪いのだと思った。

 父と妹が会社に出て、母がおそらく買いものに出ているこの時間、この時間しか顔を合わせずに食事をすることは出来ない。俺はそう思って重い体を必死に動かして一階に下りた。

 階段を下りる間中、膝が痛くてしょうがなかった。どこかぶつけたのか、寝ているときにどうかしたのだろうか。

 とにかく、かなりの時間をかけて一階に下りた。

 食パンをトースターに入れ、タイマーを回す。

「……」

 タイマーの回す部分が異常に硬い。何かが詰まったか壊れかけているのだろうか。良く見てみるが何も詰まっていない。

 必死に力を入れて、なんとかタイマーをセットする。

 俺は目玉焼きを作ろうと冷蔵庫に近づいた時、いつもと様子が違うことに気が付いた。

 俺に比較して、冷蔵庫が大きくなっていたのだ。

「……」

 まさか、そんなことはない。ということは、俺の背が縮んだ、ということになる。

 この位置からでは冷蔵庫の卵をストックしている場所に手が届かない。

 不審に思いながらも、俺は椅子を運び、冷蔵庫の前に置き、それに乗って卵を取った。

 同じことが、目玉焼きを作ろうとしたガス台でも起こった。

 俺はそのまま椅子をガス台の前に置き、それに乗って目玉焼きを作ることにした。

 今度は、火をつけようとして、火力調整のダイヤルをひねるのだが、遅すぎるのか火が付かない。

「どぉぁってん……」

 独り言がまともに発声出来ない。

 イライラしながら、何度かひねっていると火が付いた。

 卵もうまく割れず、殻が多少入ってしまった。

 俺は少し冷めたトーストと、汚い出来の目玉焼きを食べた。

 味、トーストと目玉焼き、の味すら、俺はよくわからなくなっていた。いつもより中濃ソースを多く掛け、白身部分が見えなくなっているのに。

 食事が終わると、俺は恐る恐る風呂場へ行った。

 ぼんやりと、猫背な人影が、風呂場の奥映っている。

「どぁれぇだ?」

 俺の前には誰もいない。俺の後ろにも誰もいない。つまり、風呂場の鏡に映っているのは、俺に違いない。

 こんなに猫背で、小さいのか。これが、俺なのか。

 近づいていくと、ようやくそれが自分であることを認識できた。

 目の下にヒダ状に皮が幾重にも重なっている。目の下、と言ったが、それ以外の場所も皮だけがたるんでヒダをつくっていた。髪の毛も白くなっていて、見るからに本数が減っている。

 まさか、俺はニートをしている間に、こんなにも老化していたのか。

 俺は鏡に移る自分の姿に絶望し、鏡を叩いた。

 軽く、小さな音が風呂場に響いた。


 しばらくして、俺は風呂場を出、洗濯用カゴを確認した。

 やはり洗い物がない。

 ゆっくりと、居間に戻って庭を見る。物干しざおにも何も掛かっていない。

 ここには(・・・・)(・・)()()んでいない(・・・・・)

 確かめようがないだろうか、俺は必死に考えた。

 頭のなかで同じ言葉がなんども回って、全然思考が進まないことに苛立った。

 そして、ようやく思いついた。

 父の部屋に入る。

 父が暮らしているか、部屋の様子を見ようと考えたのだ。

 一階のトイレの反対側の部屋が父の書斎だった。

 俺がニートになるずっと前、父は母との生活のずれから、母と寝室をともにしなくなっていた。

 書斎にベッドを持ち込み、そこで寝ていた。帰ってきて、書斎に入る。書斎から出社して、書斎に帰ってくる。飯を食べる時だけ、書斎から家族のところへやってくる。

 俺は、書斎の前で躊躇(ちゅうちょ)した。

『こんなことをしていないで就職活動しろ!』

 と、父の声が聞こえてくるようだった。

 ドアのノブに手をかけてから数分たって、ようやく俺は決断した。

 ゆっくりとドアを開けて、中に入る。

 人の姿はなかった。

 机の上は整然としていた。というより、ノートパソコンが閉じたまま端においてあり、数冊の本が本立てにあるだけだった。

 机を横に見ていくと、そこには机や部屋の壁と調和するような木目の本棚があり、いつ読むのか分からないようなハードカバーの本が並べられていた。机も本棚も何者かが触れているような気配がなかった。

 残る家具はベッドだった。ベッドにはシーツが皺鳴く掛けられていて、中央に洗濯が終わって畳まれた肌着や普段着が重ねておいてあった。

「……」

 床に視線を移しても、ゴミや何か人が暮らしていれば発生するであろう、乱れ、のようなものがなかった。

 ここに(・・・)(・・)はいない(・・・・)

 俺はそう確信した。

 俺は耐え切れなくなって、部屋を出た。

 その時、人の気配を感じた。

「……」

「誰か、いるの?」

 妹の声だった。

 俺は慌ててトイレに入って、水を流して出た。

「まさお…… ま、まさお(・・・)()(・・)ちゃん(・・)

 妹…… 俺は一瞬、その姿に母の姿が重なった。理由は分からなかった。

「どうしたの?」

 妹の顔がしっかりと見えなかった。

 視覚に限らず、感覚が鈍って、思考が衰えているようだ。

「おト…… げほっ、げほっ……」

 俺はトイレにいたのだ、というつもりでトイレを指さしながら、言いかけると、せき込んでしまった。

 妹はすぐに駆け寄ってきた。

 俺の老化した顔に少しも疑問を持たずに、妹は背中をさすってきた。

「無理しちゃダメよ。ほら、肩を貸してあげるから」

 まるで俺が何年か前からこんなになっていたかのように、慣れた感じで付き添ってきた。

 ゆっくりと一歩一歩階段を上がり、俺の部屋に入ってくると、ゆっくりと横になった。

 部屋を出て行こうとする妹を呼び止めた。

「なぁ、父、さんって、どこ、行った、んだ?」

 自分が言うつもりだった、何倍もの時間をかけて、やっとそれが言えた。

 俺を見る妹の目が、一瞬、厳しくなった気がした。

「……しらないんだっけ」

「しら、ない」

 目つきがまた変わって、優しい笑みを浮かべながら言った。

「父さんの部屋、見たの? そうよ。行方不明なのよ」

「行方、不明…… ごほっ、ごほっ」

「あん…… お兄ちゃんが引きこもっている間に、出て行っちゃったのよ」

 俺はそれなら納得がいく、と思った。

 そもそも書斎ぐらしになったのは、母との生活リズムの違いだ、と言っていたが、何かと顔を合わせるたびに喧嘩をしていた。嫌になって帰って来なくなっても不思議ではない。

 妹は部屋を出て、扉を閉め掛けた。

「まっ、て」

 閉まりかけた扉から少しだけ顔をのぞかせた。

「なに?」

「おま、え、きょ、う、なんで、会社、やす……」

 俺が最後まで言わない内に、妹は頬を赤くして言った。

「せい…… お兄ちゃんにいえる訳ないでしょ」

 そのまま扉を閉められてしまった。

 なにか、ひっかかる。

 ボケ始めているのか、思い出せないことが多かったが、さっき妹が言いかけた言葉は、何度も聞いた気がする。

 俺に会社を休む理由を言いかけて、ためらって、頬が赤くなる、などという経験は、いくな思い返しても記憶の中にはなかった。妹はいつも、もっと平然とそれを言ってのけたはずだ。

 俺のことを『あん』と言いかけた。おそらく『あんた』と言いたかったのだ、そう、一階でばったり出会った時は、俺を『まさお』と言って慌てて『まさおお兄ちゃん』と言い換えている。家の中で俺を『まさお』と呼ぶのは父か母だ。父が行方不明なのだとしたら、残る一人は母しかいないはずだ。

 そして、父が出ていくほど月日が経っているのなら、妹もそれなりに歳をとっていてもおかしくないのだが…… 妹は俺の知る限り劣化していない。

 それから俺はもう一つ重要なことを思い出した。

 俺の顔をみても、妹は驚きもしなかった。俺が俺自身の老化に気付いたのは今日。俺自体の驚きより、俺を外側から見ている人間の方が驚きは大きいはずだ。なのに、平然と肩を貸してくる。まるで要介護の人の扱いに慣れているように。つまり、妹は俺がこうなることを知っていたことになる。あるいは、俺が老化するように仕向けたのかも。

「あの、よる、の、ねんぶつ……」

 夜聞こえてくるあのねんぶつのような声は、俺を老化させるための何か…… 秘術のようなものだったのではないか。いや、まて。なんで俺は妹に殺されなければならない。動機がない。妹が、俺を呪い殺そうとする理由……

『あんたが引きこもりななおかげで、どれだけいじめられたと思ってんの!』

 確かに、妹が学校に行っているころ、そんなことを言われたことがある。

 しかしなんとかそれは克服してくれて、気の合う友達も作れたと聞いていた。いまさら、そんな恨みで俺を殺そうとしているのだろうか。考えても、それ以上の理由は浮かばなかった。

 もし、さっきみた妹のような人物が、妹ではなかった場合は……

 俺は少し寒気がして、布団をかぶった。

 目の前が暗くなると、自然に眠りについていた。


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