最近生きづらいなあ、と感じるあなたに
新興住宅地や高圧線が走っている場所では、凶悪犯罪や猟奇犯罪が起きやすいという。
あの事件とかこの事件とか。
それがなぜ生きづらさにつながるかは後になるので、もうちょっと待って欲しい。
さて、新興住宅地で凶悪、猟奇犯罪が起きることについては友人が(怪異健忘症に出た友人とはまた別)古い農村にあったものが、墓地を含めてなにからなにまで一揃いできるまで土地神が許さないぞ、と怒っているからだと言っていたが、ぴんと来ない。
しかし、古い農村が新興住宅地の対極にあるのは確かなので、そこから攻めてみよう。
たぶん、古い農村、漁村、長い時間をかけてなんとなく人が集まってなんとなく家と建ててつくった村をいうのは自然の摂理に沿っている。
風が吹くままに、雨が降るままに、崩れるところは崩れ、流れるところは流れ、それらを避け作れるところに村を作ってきた。
結果、古い農村、漁村は意図せず自然の摂理に沿うことになった。
そういった村での古い生き方は自然の息吹や鼓動とともにある。
それはきっと、生きものとして正しい。
では、都市生活はどうか。
合理的な計画で作られた都市はどうなのだろう。
住みやすいし便利だが、それは自然の摂理に沿っているのだろうか。
いいや、いいや。
自然は合理を追求しない。
たまたま合理に沿った生きものや環境が生き残っていまに今にいたるだけだ。
であれば合理性は自然を侵食している。
狂った法則による汚染。
マクロな視点で見れば、都市とは巨大な狂った聖域である。
よくもまあ、凶悪犯罪や猟奇犯罪で済んでいるものだ。
思っているより人というのは頑丈なのかも知れない。
どこに狂った法則を持ちこんだかというのも、大きいのだろうけど。
ああ、だから京都は魔都なのだな。あの時代にあんな碁盤目の都市を作ってしまったもんだから、いくら鬼門を封じようと碁盤目にいろんなものが吹き溜りんだ。
話がそれた。
スローライフで重要なのは時間に追われない生活だけではなく、都市計画が入っていない自然のままに時間をかけて作られた古い町並みが必要だ。
おそらくスローライフを求めて、都市計画が入った半端な田舎に移住してしまった人たちは満足してないのではないだろうか。
そこに自然の摂理はなく、縮小された都市が、狂った法則があるだけだから。
このように都市に暮らすということは俺やあなたにマイナス方向の負荷をかけている。
穢れが溜まる。
生きづらかったり、しんどいのは仕方ない。
むしろそれが当たり前だ。
しんどくない人は、生きものとしてかなり鈍感なのだろう。
しんどいのや生きづらいのはあなたが悪い訳ではない。
むしろ、しんどいと感じているあなたの方が、生きものとしては正しい。
しかしそうそう田舎に移住はできない。
だからあなたも