メモ
『お前の秘密を知っている。今夜十二時に、独りでチャリスの霊廟へ来い』
メモに書かれていたのは、それだけだった。もちろん署名も無い。
(チャリスの霊廟って、もしかして創立者のウィリアム・ジョーンズ卿の遺体が安置されている、丘の上に建つあれ……?)
真夜中にあんな人気のない不気味な場所に呼び出すなんて、一体どういうつもりなのだろう――――――。
(しかも、『お前の秘密』って……)
脅されるほど大層な明生の『秘密』など、一つしか思い浮かばない。けれども、この人物はどうしてそれを知っているのだろう。それに――――。
(一体誰がこんなことを……?)
彼女の脳裏に、すぐさま禍々しいレイモンの薄ら笑いが浮かび、背筋に悪感が走る。
(まさか、彼が…………?!)
再びレイモンに相対したとしたら、今度こそ無事ではすまないのではないか。そんな考えが、何度打ち消しても頭から離れてはくれない。
「メイ……?」
再びミシェルが、心配そうに彼女の名を呼んだ。
それと同時に、お湯を沸かし終えたケトルのスイッチが切れる音がする。
「あ、ごめん、ぼ~っとして」
「疲れているのなら、無理しないで休んでいていいんだよ」
「本当に大丈夫だってば」
出来るかぎり明るい声でそう応じると、微かに震える手でお湯を白い急須に入れ、蓋をする。
(落ち着かなくちゃ……! ミシェルはすごく鋭いから……!)
今晩無事にこの部屋から抜け出す為にも、彼に動揺を見せてはならない。
桜の花が描かれた美しい七宝焼きの皿にカステラとフォークをのせると、春の雪をモチーフとした白い美濃焼の湯呑に緑茶を注いで、一緒に机の上に置いた。
「はい、お待たせ」
「ありがとう(メルシー)、メイ」
「これは、カステラっていうお菓子なんだ」
ミシェルが自分の椅子を明生の机まで運んで来て腰掛ける。
緑茶はともかく、カステラを食べるのは初めてだというミシェルが、興味深々にそれをフォークで小さく切ると、静かに口に運んだ。
「どう?」
「美味しい(セ・ボン)よ。日本のお菓子なのに、何だか懐かしい味だね」
「よかった、ミシェルの口に合って。カステラはもともと、ポルトガルの宣教師が日本に伝えたお菓子なんだって」
「へえ、そうなんだ。どうりで」
「でも、オリジナルは今の物とは見た目も製法も違うらしいから、やっぱりこれは日本独自のお菓子なんだと思う。このカステラは蜂蜜入りの物だけど、日本では他にも抹茶やココア、チーズなんかが入った、色々な種類の物が店頭で売られているんだ」
「それは見物だね。いつかぼくも、メイが生れ育った日本に行ってみたいな」
「ぜひ来てよ! その時には、ぼくがミシェルを案内してあげる!」
「楽しみにしているよ」
ミシェルが一緒なら、どこへ行っても楽しいに違いない。それが日本ならば尚更だ。
彼が慈愛に満ちた微笑みを明生に向けると、脅迫めいたメッセージで強張っていた心が、少しずつ解れていく。
懐かしい緑茶の温かさも、体の芯まで届くかのようだ。
けれども、次に聞いたミシェルの一言が、夢見心地でいた彼女を現実へと引き戻した。
「ところで、先日ハーシェルが、ウィリアム・ジョーンズ卿の霊廟に侵入したんだってね」
彼女が思わず緑茶を吹き出しそうになった。
「兄様がっ?!」
(よりによって、そこに――――?!)
『天下無敵のハーシェル』と賞賛される彼は、実は陰で生徒達から『歩く無法地帯ハーシェル』とも囁かれていたりするのだが――――その行動は、いつもながら全く予想がつかない。
「以前にも彼は、聖杯資料館の近くにある地下墓地に侵入していたし、本当に聖杯を見付ける気満々だよね。ぼく達も先を越されないようにしないと。」
「兄様ってば、何でそんなところにばかり入ろうとするのかな……」
「墓地等は異界へ通じていると言われたりもするから、もしかすると彼は、何か重要なヒントが隠されていると考えているのかも知れないよ」
「地下墓地に?」
「ケルト人は巨石墳墓や遺跡に、よく渦巻模様を彫っていたよね。渦巻模様は生と死と再生、つまり輪廻の象徴だったと考えられているけれど、同時に異界を象徴する印でもあるんだ。ハーシェルはあの地下墓地に、ケルト渦巻があるとでも発見したのかも知れない」
「じゃあ、もしかして、霊廟にもケルト渦巻があったとか……?」
「さあ……それよりもぼくは、彼が何か有力な情報を発見したのかどうかが気になるよ」
「多分それはぼくにも教えてはくれないと思うけど、いちおう後で聞いてみるね」
「メイにも教えてはくれないって……?」
信じられないと言いたげな表情で、ミシェルが彼女の目を見る。
「本当だよ。聖杯に関してだけは、ぼくは兄様にとってあくまでもライバルなんだ」
「驚いた……! 君のことは、目に入れても痛くないくらい可愛がっているように見えるのに」
明生が微かに苦笑する。
真実は、ミシェルが思っていた通りなのだ。だからこそユリエルは、妹の為に暴走してしまいそうで怖い。
彼女が、我知らず心の声を小さく外に漏らした。
「……だからこそ、兄様がバカなお願いをする前に、絶対に聖杯を見つけ出さなくちゃ…………」
明生はたまらなく心配なのだ。兄が自分を元に戻す為に、せっかく回復した視力をゲッシュとして差し出してしまうのではないかと――――。
ふと気が付くと、ミシェルが彼女の顔をじっと見ていた。
「バカなお願いって……?」
一瞬ひやりとした彼女が、取り繕った笑顔でごまかそうとする。
「あ、ううん、何でもないんだ……それより、ぼく、後で霊廟に行ってみようと思うんだけど」
「君までが? どうして?」
「別に中に押し入ろうなんて思ってないから安心して。ぼくもあそこに何かヒントがあるのかどうか、気になるんだ。それに、外からでも少しは中の様子がわかるかも知れないし」
「中の写真ならぼくが持っているけれど」
「えっ、ミシェルが?!」
「うん」
ルームメイトがあっさり肯定すると、彼女に頼む。
「ぼくが写真を持っていることは秘密にして欲しい。それから、君に見せるのは構わないけれど、どうやって写真を手に入れたかは聞かないでくれないかな」
「わかった、約束するよ。ありがとミシェル!」
「それと、今はこの部屋にないから、今日の放課後まで待ってくれるかい?」
「もちろん!」
明生が、今度は本物の笑顔で応じる。
今日の放課後ならば、真夜中の会合には何とか間に合う。
それに、放課後をまたミシェルと二人きりで過ごせるということが、彼女には何よりも嬉しかった。
明生が、授業に出席するべくランスロット寮を出た後。
しばらくすると、ミシェルが独りで部屋へと戻って来た。
ドアを閉めるなり、真直ぐに明生の机へと向かうと、その下にある箱を手にとって、中に入った丸められたメモを静かにつまみ上げる。
メモを開いた彼は、微かに眉根を寄せてしばしそれを眺めていたが、やがて全てを元の通りに戻して部屋を去って行った。