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聖杯の丘

「あれは……?」

「あっ……!」

 彼が素早く机に歩み寄ると、明生が止める間もなく例の地図を手に取って眺め始める。

 ヨアキムが、横から興味深げにそれを覗き込んだ。

「懐かしいなあ。これって、ジョーンズ卿の霊廟(モーソリアム)にある地図の写真だよね」

「…………はい」

「安心していいよ。君がこれを持っていることは、誰にも言わないから。僕も昔、この地図を見に霊廟(モーソリアム)に忍び込んだ経験があるクチだし。でもこの地図って、『聖杯(チャリ)の(ス・)(ヒル)』の記入がないから、紛らわしいよね」

「『聖杯(チャリス)の(・)(ヒル)』……?」

 ここには明らかに、トールの丘しか見当たらないのだが。

「あれっ、まさか知らなかったの? 『聖杯の丘』はトールの丘の真横にある、そこそこ有名な観光名所だよ。ただ、丘と言っても、単にこんもりした広いドーム状の盛り土みたいな場所だけどね。一応ここには、アリマタヤのヨセフの遺体が聖杯と共に埋葬されているという言い伝えがあるけれど、観光客は皆グラストンベリー修道院(アビー)か『聖杯(チャリス)の(・)(ウェル)』からトールの丘に直行してしまうし、実際丘には何も無いから、ほとんど素通りされているんじゃないかな」

 言われてみれば、そんな名所もあったような気がする。

 観光客を呼び寄せる為のこじつけの名称や由来など、全然あてにはしていなかったから、すっかり忘れていたけれど…………。

 いつの間にか明生の傍らで話を聞いていたミシェルが、真顔でヨアキムに尋ねていた。

「それは、正確にはどこにあるんですか?」

「う~ん、この地図だとちょっと分かりにくいけれど、大体その小さな×(ばつ)印がある辺りだよ」

「え……?!」

 明生とミシェルが、思わず顔を見合わせた。

「じゃあ、まさかだけど……このX印は、実はトールの丘を指していたんじゃなくて、『聖杯(チャリ)の(ス・)(ヒル)』を指していたとか………?!」

 『聖杯(チャリス)の(・)(ヒル)』は、トールの丘に続くなだらかな丘陵地帯にあり、ちょっと見には、トールの丘の麓にある単なる起伏のように見えなくもないらしい。

 ちゃんとした地図で見ると、それは『聖杯(チャリス)の(・)(ウェル)』のすぐ上にあり、グラストンベリー修道院(アビー)とトールの丘に挟まれているのだと、ヨアキムは教えてくれる。

 狐の図像が暗示している通り、これ等の観光名所は皆、嘘臭いとばかり思い込んでいたのだが――――。



 ((……グノーシス派の……絵画では、Xは真実を意味する印なんだ))



 以前ミシェルが教えてくれた言葉が、明生の脳裏に浮かび上がる。

 ミシェルが再度ヨアキムに尋ねた。

「それならば、本物の聖杯はその『聖杯(チャリス)の(・)(ヒル)』に埋められている可能性もあるのでは?」

 木の葉は森に隠せ――――眉つばモノの観光名所に囲まれ、さらに真打ちと言われているトールの丘がすぐ隣で皆の視線と意識を逸らしてくれるならば、それは最高の目晦ましになるのではないだろうか、と彼が主張する。

 だが、かつての聖杯王は、苦笑しながら返事をした。

「その可能性はぼくも考えたけど、『聖杯(チャリス)の(・)(ヒル)』はナショナルトラストが管理しているトールの丘に隣接しているから、まずは発掘の許可自体が下りないと思うよ。それに、この付近の丘陵には、アリマタヤのヨセフゆかりの西洋(ホーリ)サンザシ(ー・ソーン)があったりするから、地元の人達は掘り返すのを嫌がるだろうし」

西洋(ホーリ)サンザシ(ー・ソーン)?」

「アリマタヤのヨセフが聖杯をグラストンベリーに運んで来た際に、疲れ切った彼がサンザシの枝を地面に突き刺して休むと、枝がたちまち根付いて花開いたという伝説があるよね。グラストンベリーには、そのサンザシの子孫だという西洋(ホーリ)サンザシ(ー・ソーン)の木が所々にあるんだ」

 しかもこの地では、西洋(ホーリ)サンザシ(ー・ソーン)は妖精の木とも呼ばれており、その枝を切ったりすると、人が死ぬなどの祟りがあると根強く信じられている、とヨアキムが説明する。

「いずれにしても、あんな広い所を宛ても無く掘り返すのには、とんでもない資金と労力が必要だし、たとえ聖杯が実際に埋められていてその発掘を試みたとしても、発見する前にナショナルトラストから警察に通報されて、それまでだと思うよ」

 どうやら観光客向けの名所の由来など、はなから信じていないらしいヨアキムが、さして興味も無さそうに肩をすくめて見せた。

「そうですか……残念です」

 ミシェルが、礼儀正しくここで引き下がる。

「ぼくも……それに、今の話を聞いて、何か大事なことを思いだしそうな気がしていたのに…………」

 明生ががっくりと肩を落として呟くと、ヨアキムが皆に促した。

「さあ、もうそろそろお(いとま)して、メイ達を眠らせてあげないと。それじゃあ、お疲れ様。お休み、メイ、ミシェル」




 そう言い残してから、にこやかにユリエルの肩を抱いて、出口へと促したヨアキムの耳元で。

先ほどから無言のまま三人の会話に耳を傾けていたユリエルが、明生やミシェル達に聞こえないような、ごくごく小さな声で、一言彼に呟いていた。

「タヌキめ……!」

 そして、まもなくガブリエルが自室に戻って行くと。

アーサー寮へと肩を並べて歩きながら、ユリエルがヨアキムに吐き捨てた。

「……聖杯王が『決してグラストンベリーから出ない』というゲッシュを聞いた時、不要な上に奇妙な禁忌だと思ったのだ。そのゲッシュが必要だったのは、聖杯を守る為などではないのだろう?」

「……何のことかな」

「『聖杯から決して離れない』というゲッシュを立てた聖杯王は、ドルイド達の手前、聖杯が偽物であっても常に近くに居なくてはならない。だが、もしも何かの理由で、偽物の聖杯を持ってグラストンベリーから出なくてはならなくなったら、この地に埋められている本物の聖杯から離れることを強要されてしまう。そうなれば、ゲッシュを破った結果として神の罰が下るからな。あれはどう考えても、それを防ぐ為のゲッシュだ」

しばしユリエルを無視したまま虚空を眺めていたヨアキムが、振り向くといかにも嘆かわしげに言った。

「……君の想像力には脱帽するよ。でも、それならその立派な能力を、もっと他のことにも使ってくれるといいのに」

「何のことだ?」

「そうだね……たとえば僕のこととか、かな?」

 訝しげに銀髪の青年を見つめ返すユリエルに、彼がふいに真摯な眼差しと暖かな笑顔で告げた。

「……君は全く気が付いていないみたいで残念だけれど……ここ長い間、王として友人が居なかった僕は、君っていうパートナーが出来ると知って、本当に心から喜んでいるんだよ」




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