ユリエルのパートナー
創立祭が終わり、チャリス校の生徒達が深い眠りに落ちた頃。
アーサー寮の明生達の部屋に、ミシェル達が帰って来た。
「ミシェル!」
「ただいま、メイ」
「おかえり、ミシェル……!」
ルームメイトに駆け寄った彼女が、飛びつくように抱きつくと、彼が万感の思いを込めて抱き締め返す。
彼女がすぐさま顔を上げると尋ねた。
「ソロモンの指環は?! ケルトの女神は願いを聞いてくれたの?!」
彼が、不安そうな様子の彼女に、笑顔を浮かべて首肯する。
「うん。ソロモンの指環は、ちゃんとロンギヌスの十字架と組み合わせてケルトの十字架にしてもらえたし、その十字架も、アヴァロンで永久に保管すると約束してくれたよ」
「じゃあ、もうミシェルが悪魔に取り憑かれる心配は無いんだね?!」
「そういうことになるかな」
「良かった……!」
パジャマ姿の明生が、涙を浮かべて安堵しかけたが、ふと思い出したように顔を強張らせると聞いた。
「そうだ……ゲッシュは?! ミシェル達は、願い事の代わりにどんなゲッシュを立てたの?!」
とたんにミシェルの笑顔が、気のせいか、取ってつけたような物に変わる。
「幸い、あの願い事にゲッシュは必要なかったんだ……ハーシェルが女神を説得してくれたからね」
「説得……? どうやって?」
「うん……地上で人間界が乱れれば、アヴァロンもその影響を免れられないから、ケルトの神々があれを封印してアヴァロンで保管することは、彼等の利害とも一致しているってね」
「ふうん……じゃあ、結局タダでお願いを聞いてもらえたっていうことなの?」
「そうだよ」
「そうなんだ……?」
狐につままれたような顔をしている彼女に、横からガブリエルが口を挿んだ。
「何だか納得がいかないわよねえ。ゲッシュを立てなくて済んで、助かったとはいえ……」
「うん…………あっ、ところでレイモンは?! 彼はあれからどうなったの?!」
ミシェルが僅かに苦悶の表情を浮かべたが、すぐに元に戻ると答える。
「彼はさっき、デユクロー家の使いに預けて来たよ。今後は彼の精神が回復するまで、恐らくどこかの修道院で過ごすことになると思う」
きっと彼の魂が癒やされるまで、とてつもなく長い時間がかかることだろう。
心の中で彼の為に祈りながら、明生が呟く。
「……彼、早く回復するといいね」
「そうだね……」
後で聞いた話だが、レイモンは幼い頃から、デユクロー家や周囲の者達から、常にミシェルと比較されながら育って来たのだという。
なまじそっくりな上に年齢も近い彼が、これまでどれだけ劣等感を味わって来たかが容易に想像出来るだけに、明生はどうしても彼に同情を禁じ得ない。
ミシェルも薄々、従兄弟の気持ちに気付いてはいたのだろう。
デユクロー家の行く末を一身に背負う神々しい貴公子は、「ぼくは将来、絶対にレイモンを見捨てないつもりだよ」と、まるでゲッシュを誓うかのように宣言した。
「さあて、あたしもそろそろ部屋へもどるわ。……それにしても、あの辛気臭いジャイナ教徒でも、居ないと寂しいものよねえ」
「あれ、そういえば、ラファエルは? それに……」
どうしてさっきからここにヨアキムがいるのか。
顔に大きくそう書かれている彼女に、本人が言った。
「実は、ラファエルにはしばらくの間、聖杯王になってもらうことが決まったんだ」
「ラファエルが?! でも、どうして……?!」
「実はあれから、アヴァロンからも聖杯城に使いが来てね。こちらの願いを聞く代わりに、ぼくにも今すぐ人間界でやって欲しいことがあるって、頼みごとをされたんだ」
「頼みごと……?」
「そう。ぼくに、ぜひユリエルのパートナーになって欲しいって」
彼女が目を瞬かせた。
「それは、兄様がケルト聖杯に願い事をしたからじゃなくて……?」
「違うよ。ユリエルの願い事じゃなくて、あくまでも女神からの個人的な頼みごとなんだ」
ヨアキムが、ユリエルとミシェルにウインクする。
何だか、分からないことが多すぎるが、ともあれゲッシュも無しに願いが叶うらしいのだから、喜ばしいことではあるのだろう。
だが、ユリエルに生涯のパートナーが出来るということは、同時に、明生にとってはミシェルと共に過ごせる時間が、秒読み段階に入ったことをも意味する――――。
少し寂しげな表情を浮かべた彼女に向って、ヨアキムが続けた。
「それから、ぼくはこの後チャリスの第六学年上級に戻って、ユリエルと同じ大学に進むことにもなったんだよ」
「そうなんですか?!」
これにはさすがに皆も驚いた。
「いずれにしても、こっちの世界に戻るのなら、学校くらいはちゃんと卒業しておかないとならないしね」
かつてはヨアキムも、この学校の全校生徒代表だったという。温和だけど、いまいちパッとしない外見の彼が、実はそんなにデキる男だったとは意外だった。
しかも彼の生家は伯爵家だと知って、皆が更なる驚嘆の声を上げる。
その、未来の伯爵様が明生に告げた。
「ラファエルについてだけれど……聖杯が偽物だと分かった以上、聖杯城はもう必要ないし、偽物の聖杯の方は、人界でしかるべき施設に保管してもらおうかと考えているんだ。だから、心配しなくても、彼はそのうち帰ってくるからね」
「よかった……! てっきり、もう会えなくなっちゃったのかと思った……!」
明生が心から嬉しそうに呟くと、なぜか先ほどからずっと不機嫌なユリエルが、ふいにぼそりと呟いた。
「ラファエル・ブラントめ、よくも私をアヴァロンに売り渡すような真似を……!」
どうやらユリエルは、ラファエルさえ聖杯王になることを承諾しなければ、こんなことにはならなかった、と恨みを抱いているらしい。
アーサー王の衣装を纏ったままぶすくれている彼に、同じく時代がかった王の衣装を着たヨアキムが、穏やかな笑顔で声をかけた。
「そういうわけだから、これからも一生よろしく、ユリエル」
「何がよろしく、だ! お前を取ってつけたように私のパートナー候補に指名した女神の、嫌がらせ九十九パーセントの取り決めなど、絶対に阻止して見せるからな!」
「女神の嫌がらせ……?」
ではケルトの神は、別に親切心からヨアキムにパートナー役を依頼したわけではなかったのだろうか。
明生が首を傾げると、ヨアキムが困り顔で彼女達に説明した。
「ユリエルはどうも、ケルトの女神の不興を買ってしまったらしくてね。僕に彼の人格をしつけ直してあげて欲しいと、アヴァロンから依頼があったんだ」
ミシェルとガブリエルが、思わず噴き出した。
「これだから、私は女が嫌いなんだ! お前など、この私のパートナーとは絶対に認めないからな!」
ユリエルが、本気でむくれながら悪態をつくと、ヨアキムが笑いを堪えながら彼に返す。
「でも、君が僕と仲良くならないと、結局困るのは君自身なんだけどね?」
「くっ……!」
明生も思わずくすりと笑ってしまう。
完全無敵の大天使が、恨めしそうにかつての聖杯王を一瞥してから、チラリと妹に目を向けた時。
ふと彼の視線が、彼女の机の上に広げられたままになっている、霊廟の写真のファイルに止まった。




