レイモンの真意
ドルイド達が、一斉に彼の周囲に走り寄る。
例の魔物を駆使して聖杯城の扉を潰していたのは、レイモンだったと彼等が察したからだ。
「それは……本当なのかい?」
張り詰めた空気の中、王がレイモンに向って問うと、それまで無言で皆の会話を聞いていたレイモンが、口角をつり上げて不敵に笑った。
「聖杯を葬る? 俺がやろうとしているのは、そんな陳腐なことじゃない」
ヨアキムが、眉をひそめた。
「では君は、一体何をするつもりなんだい?」
「その質問に答える前に、そろそろイエスの聖杯を渡してもらおうか。与太話を聞くのも退屈になって来たからな……出でよ、アスタロトよ!」
彼が掲げた指環から、どす黒い霧が噴出する。
アスタロトは、悪魔の軍団を率いる地獄の大侯爵だ。配下の悪魔達の影が、次々と不気味な形を取り始める。
「このドルイド達を倒せ!」
間髪を入れずにそう命ずると、たちまち影が神官達を襲い、彼等が苦悶の呻き声を上げて、あっけなくその場に崩れ落ちた。
「やめて!」
明生がロンギヌスの十字架を出して助けに向ったが、間に合わずに呆然として立ち尽くす。
と、その時。
レイモンが素早くアスタロトを帰還させると、近づいて来た彼女を捉えて、喉元にナイフを突き付けた。
「――――!」
「動くな! 動けばこいつの命はない!」
駆け寄ろうとしていたミシェル達の動きが、ピタリと止まった。
レイモンが、聖杯王に命じる。
「こいつの命を救いたければ、今すぐに聖杯を出せ」
「だめっ……うっ……!」
彼がナイフの刃先を彼女の首筋に食い込ませると、生温かい血が一筋流れてきて床に落ちた。
「メイッ――――!」
皆が一斉に彼女の名を叫ぶ。
(レイモンは、本気だ――――!)
彼女の背筋が、恐ろしさに凍りつく。
「さあ、さっさと聖杯を寄こせ! 俺は気が短いんだ!」
レイモンが、ナイフを持つ手に更に力を込めると、彼女の首からまたしても血が流れ出した。
しばしの睨み合いが続いた後。
ついに、ヨアキムが苦渋の決断を下した。
「メイ――! 分かった。聖杯を渡すから、メイを解放するんだ!」
「ヨアキム! だめです!」
「ありがとう、メイ。でも、これは君のせいじゃなくて、この事態を未然に防げなかった僕の責任だから」
優しい聖杯王は、彼女を宥めるようにそう言うと、耳慣れない文言を唱えて、眼前に聖杯を出現させた。
虚空に、古びた銀色の小さな杯が、光を放ちながら浮かんでいる。
レイモンが、明生を盾にしたまま用心深くそれに近づくと、片手を伸ばして聖杯の脚を握った。
聖杯の中に古い血痕があるのを確認した彼が、歓喜の声を上げて笑い出した。
「はははは、まさか言い伝えが本物だったとはな! この血さえあれば、ようやくこの俺が、この世界の神になれる!」
「え?!」
「何だって?!」
「何の話よ一体?!」
明生達が、口々に彼に問い質す。
レイモンが、ミシェルに似た美しい面に不釣り合いな歪笑を浮かべると、従兄弟に向って尋ねた。
「大昔とは違って、現代にイエスの子孫は山ほどいる筈だし、例え子孫が出現したところで『ただの人間』扱いだろうとお前は言ったな。だが、もしも子孫がたった一人だけになってしまったならば、どうなると思う?」
「たった一人って……まさか、『子孫』の中で君だけが生き残っている場合、という意味なのかい?」
「そうだ」
それは即ち、イエスの子孫と噂されているミシェルや彼の家族だけではなく、レイモンの家族の死をも意味する。
そして、真に神の血脈につながる者達も――――。
「君がやろうとしていることは、まさか……!」
彼の真の意図を悟ったミシェルが、衝撃のあまりに絶句した。
残された『神の子孫』がこの世にたった一人しかいなくなれば、その者はもうただの人間ではなくなる。
この世で誰よりも貴い、『神の子』だ。
レイモンは神の血痕を使って、その血脈に繋がる本物の子孫を悪魔に辿らせ、彼等を根絶やしにしようとしているのだ。
彼自身が、この世界に『神』として君臨する為に――――――。
ただでさえ、他のデュクロー家の者達が皆殺しになった後に、デユクロー・グループを始めとする全ての遺産を受け継ぐのは、レイモン一人だけだ。
莫大な財産を手に入れれば、それだけでも彼は強大な権力者になるというのに、これに『神の子』という大義名分まで手に入れてしまったとしたら。
一体彼にはどれほど恐ろしい暴虐が可能になるのだろう――――。
ミシェル同様に青ざめているヨアキムが、苦しげな声を絞り出した。
「君は……狂っている」
狂っている。そうとしか言いようがない。
けれども明生には、あのソロモンの指環が全ての源凶であるように思えてならなかった。
「……レイモンはきっと、指環の悪魔に魂を乗っ取られているんだ……!」
神の子孫に対する、あの異常なまでの執着と残酷さは、神に対する堕天使達の強い怨嗟を彷彿させた。
ミシェルの顔に、苦悶の表情が浮かぶ。
彼は今でも気に病んでいるのだ。過去に彼自身があの指環の継承を拒否したことを。
レイモンが、ふいに勢いよく明生を突き飛ばすと、大声でソロモンの指環に命じた。
「出でよ、アスタロト! この聖杯に付いた血をひく全ての人間を滅ぼせ!」
「やめて!」
「やめろ、レイモン!」
明生とミシェルが、ソロモンの指環に向って突進してゆく。
しかし、彼等がレイモンの許に到着する前に。
聖杯から放たれていた眩いまでの輝きが、突如として消えた。
それとともに、それまで宙に浮かんでいた杯が急に床へ落ちると、音を立てて転がる。
まるで呪いによって神性が失われたかのような、不吉な聖杯の様子に、明生が思わず息を飲んだ。
もしかすると、世界中に散らばる数多の神の末裔達が、今この瞬間にも苦痛に喘いでいるのかも知れない――――。
ミシェルが、従兄弟の襟ぐりを掴んで命令した。
「レイモン、今直ぐ指環に命じて止めさせるんだ!」
だが彼は、嘲笑を浮かべたまま返す。
「無駄だ。全てが終わるまでには数分もかからない。たとえ今俺を拷問したところで、それくらいの間は耐えられるだろうから、とっくに手遅れなんだよ」
レイモンが仕掛けた呪いは、既に発動してしまったのだ。彼女達にはもう為す術もない。
明生達が、愕然とレイモンを見つめていると。
「うっ……!」
ふいに、ヨアキムとラファエルの二人が、胸をかきむしりながら体を屈めて、床に倒れた。
「うっ……ううっ……!」
「ヨアキム……ラファエル……! どうしたの、しっかりして!」
(どうして急にヨアキム達が……?!)
予想外の出来事に、明生が今度は当惑する。
ラファエルの方は、母親の家系が本当に神の子孫だった可能性があるのかも知れない。けれども、それならばなぜ、ヨアキムまでが呪いを受けているのだろう。
蒼白になった二人が、まるで酸素を求めるかのように苦しげに喘いでいる。
それまで愉悦に酔いしれていたレイモンが、ふと彼等の様子を眺めながら、訝しげに眉をひそめた。
恐らく彼も、彼女と同じような疑問を抱いたのだろう。
やがて何かに気付いた彼の端正な面が、急速にこわばってゆくと。
彼が、悪鬼の如き表情で聖杯王を睨め付けながら叫んだ。
「きさま……俺を騙したな! アスタロトよ、中止だ! 今すぐこの聖杯王に、本物の聖杯の在りかを吐かせろ!」
ラファエルの呻き声がたちまち止んだかと思うと、今度はヨアキムの絶叫が広間に轟いた。
「うわあああああああ――――――っ!」
彼が、床に転がったまま悶絶する。
「ヨアキム……!ミシェル、一体何が起こってるの?!」
「そうか……! 多分、アリマタヤのヨセフは、本当にダミーを用意してあったんだ」
「ダミー?」
「そう、イエスではなく彼自身の血を付着させた、偽物の聖杯を」
「――――!」
明生の瞳が、驚きに見開かれた。
イエスの子孫ではなく、アリマタヤのヨセフの血をひくラファエル達に呪いが降りかかっているのは、そのせいだったのだ。
「でも、それなら――」
――――――――本物の聖杯は、一体どこに?




