コルベニック城
(ここは、どこ――?)
丘陵で転んだはずの愛彩は、気がつくと中世の古城にも似た石造りの部屋にいた。
窓の無い閑散とした広間は、光源が見当たらないにも係わらず、なぜか淡い光に満ちている。
白いローブを纏った数人の大人達が、少し離れたところから驚いたように彼女を注視していた。
大人達は皆それぞれ、樫の木で出来た杖を携えている。まるでアーサー王物語やケルト神話に出てくるドルイドのようだ。
(ここはまさか、アヴァロンのお城なの……?)
けれども彼女は、サクラソウで妖精の丘を叩いた覚えなど全くない。
(もしかすると転んだ拍子に、トールの丘の端っこでもサクラソウで叩いていたとか……?)
それにしては、トールの丘から離れていた気がする。
広間の中央にはどっしりした円卓があり、正面の玉座には冠を頂き法王のごとき衣装を纏った、銀髪の若い白人男性が佇んでいる。
厳めしい衣装に似合わぬ穏やかな顔と気さくな口調で、北欧系らしき風貌の青年が声をかけて来た。
「おやおや、これは珍しいお客さんだね」
見た目は若いのに、少し年寄りくさい話し方だと思いながら、愛彩が彼に尋ねる。
「すみません……ここは、アヴァロンなんですか?!」
「ううん、違うよ。よく間違えられるけれど」
彼が笑いながら即答した。
「……そうですか……」
露骨にがっくりとうな垂れる彼女の姿を見て、彼が銀灰色の優しそうな目を細めたまま言う。
「正確に言うと、ここはアヴァロンの辺境というか……大昔にアヴァロンだった場所、かな。本物のアヴァロンは、この地に人間が増えるにつれて、遥かに奥深いところへ移ってしまったから」
「じゃあここは、どこなんですか?」
「コルベニック城。聖杯城とも言われているよ」
「聖杯城?!」
アーサー王の聖杯物語に登場する、聖杯がある城の名だ。
「じゃあ、ここに聖杯が……?!」
彼女の瞳が、一縷の望みに輝きを増す。
「そうだよ。それにしても、ここにお客さんが来たのは何年ぶりかな……。残念だな、君がもし男だったら、ぼくの後を継いで聖杯王になれたかも知れないのに……」
『君がもし男だったら』――――この言葉に彼女が僅かに体を硬くする。
彼女はまだ気にしているのだ。兄のユリエルに投げかけられた科白のことを。
愛彩が、聖杯王だという青年に訴えた。
「あなたが聖杯王なら、お願いです、私のお兄さんの視力を戻して下さい!」
「残念だけれど、それは無理だよ」
「どうしてですか?!」
「ここにあるのはケルト神話の聖杯じゃなくて、アリマタヤのヨセフが運んで来た、イエス・キリストの血を受けた聖杯の方だけれど、昔はともかく、今は奇蹟を起こす力のない唯の杯だから」
「そんな……!」
「本当だよ。理由は分からないけれど。たぶん現代には、昔ほど神の奇蹟は必要ないからじゃないのかな」
愛彩が、掌をぎゅっと握りしめたまま声を絞り出した。
「――――私はどうしても、お兄さんの目を治したいんです! どうか……!」
目に涙を浮かべながら訴える彼女を、しばし見つめながら。
おもむろに彼が答えた。
「ここの聖杯には君のお兄さんを癒してあげる力はないけれど、アヴァロンにはもう一つの聖杯がある……。今はちょうどサウィンの朝だ。アヴァロンへの扉もまだ開いているはずだから、君を送り届けてあげるよ」
「えっ……?」
彼が、年老いたドルイドの一人を呼び寄せて話しを済ませると、彼女に振り向く。
「でも、アヴァロンでケルトの神々に願いを叶えてもらえるかどうかは、君しだいだから。いいね?」
むろん、彼女に異議などあるはずもない。
こくりと頷くと、ドルイドが彼女の手をとって、何やら呪文を唱え始める。
「ありがとう! 私は愛彩……あの、あなたの名前は――――?!」
「ヨアキムだよ――――グッド・ラック、メイ!」
彼女が彼の返事を耳にするや否や。
視界から聖杯城が消えて行き、全てが暗転した。