聖杯王のゲッシュ
足音を忍ばせて無事ランスロット寮の部屋に戻ると、明生はミシェルに霊廟でレイモンから聞いたたことをかいつまんで話した。
もちろん、ユリエルの為に聖杯城とアヴァロンへ行ったのが実は彼女だということや、彼女に異界の者達が見えることに関しては、触れてはいない。
彼女がソロモンの指環について言及すると、ミシェルの表情に陰りが生じた。
「……にわかには信じられないけれど……彼は神父の連続殺人は本当に悪魔の仕業だと言っていたのかい?」
「うん……ミシェルは、あれがどういう指輪だか知っていたの?」
彼の高雅な面が、微かに苦しげに歪む。
「少なくとも、ソロモンの指環だと聞いてはいたよ……それが本物で、レイモンに使いこなせるかどうかはともかくとして」
「彼は、聖杯をグラストンベリーに閉じ込めようとしているって言ってた。でも、どうしてなのかは教えてくれなかったんだ。それから、聖杯を見つけたら何をするつもりなのかも。ぼくはすごく気になってるんだけど、ミシェルには何か心当たりがある?」
「直接的な心当たりはないけれど…………以前レイモンが言っていたことなら、覚えているよ」
「彼は何て言ってたの?」
どうやら話したくなさそうなミシェルが、吐息とともに黙って前髪をかき上げる。
ややあって、彼が口を開いた。
「とても信じられない話だけれど…………彼はかつての聖杯王の子孫をあの指輪の中に取り込んだ、と豪語していたんだ」
「えっ――?!」
どうやってその子孫を探し出したかは、聞かなかった。
デュクロー家のことだ。明生などには想像もつかない伝手があるのだろう。
それよりも、明生の脳裏に再びあの禍々しい悪魔の影が浮かび上がり、心臓が凍りつく。
レイモンの話が本当ならば、その子孫はもうこの世には存在していないに違いない――――。
顔色を変えた明生に、ミシェルが先を続ける。
「そして、指輪に取り込まれたその子孫の記憶によると、聖杯王の子孫の家には代々、『先祖はアヴァロンの地で聖杯を守らせてもらうことと引き換えに、古の神々にゲッシュを立てた』という伝承が、秘かに受け継がれているらしい」
「ゲッシュを?」
「そう。確か、『もしも彼が聖杯王になったら、譲位するまでグラストンベリーの外には出ない』と『聖杯からは決して離れない』というゲッシュだったと思う」
その話を聞いた当時は、全く信じてはいなかったけれど。ミシェルが今もどこか半信半疑のような表情でそう付け足した。
彼の言わんとすることに気付いた明生が、軽い興奮とともに言う。
「それってもしかして、レイモンがグラストンベリーにある異界への入り口を潰していったことと関係があるんじゃあ……!」
「ぼくもそう考えていたんだ。今の聖杯王も同じゲッシュを受け継いでいるとしたら―――そして、もしもレイモンが本当に聖杯を閉じ込めようとしているのなら、聖杯の守護者である王さえグラストンベリーから逃げられなくしてしまえば、閉じ込めることは可能なのかも知れないとね。ただし、レイモンがどうして聖杯を閉じ込めたいのかは分からないけれど」
しばしの沈黙の後、明生が呟いた。
「レイモンは聖杯を使って、一体何をしようとしてるんだろうね……」
「さあ……それよりもぼくは、あの指輪の方が気になるよ。……あれは本来、ぼくが受け継ぐはずの物だったのだから」
「そうなの?!」
ミシェルが、澄んだアクアマリンの瞳に憂いを浮かべて、首肯すると打ち明ける。
「でも、ぼくは伝説のソロモン王の指環の魔力など信じてはいなかったし、得体の知れない物として指輪の継承を拒否したんだ。デュクロー家ではそれ以来、とある教会にあれを預けておいたのだけれど……いつの間にかレイモンの手に渡っていたらしい」
「ねえ、ミシェル。彼はソロモンの指輪の持ち主として選ばれたわけでもないのに、あんな物を身につけていて大丈夫なのかな……」
「さあ……」
姿はミシェルそっくりなのに、まるで悪魔に憑かれているかのように振る舞うレイモンの記憶が、まざまざと蘇る。
彼自身は指環を使って悪魔を使役していると信じているけれども、実は悪魔に利用されているのではと思えてしまうのは、穿ち過ぎだろうか――――。
「ソロモンの指輪の魔力が本物かどうかはともかく、あの指環はレイモンの物ではないのだから、後で何とか彼から取り戻すことにするよ。それより、チャリスの創立者がお膳立てした、年に一度だけ異界への扉が開くという仕組みのことだけれど……レイモンは確かにサウィンの夜にと言っていたんだね?」
「うん」
「だったら、それは恐らくチャリスの創立祭の聖杯劇に関係があると思う」
「聖杯劇?!」
「チャリスの聖杯劇には、昔から伝説じみた噂があったんだ。劇の最中に本物の聖杯が現れることがあるって」
「そうなの? でも、どうして劇に聖杯が……?」
「さあ。もしかすると、創立者のジョーンズ卿が、アリマタヤのヨセフの子孫だと言われていることに関わりがあるのかも知れない。もともとぼくは、聖杯劇が毎年サウィンの夜に行われることには、何か意味があるような気がしていたんだ」
古代ケルト暦では、一年の終わりは十月三十一日とされていた。かつてはこの日の夜から翌日の朝にかけて、収穫祭であり、厳しい冬と新年の始まりを謳うサウィンの祭りがおこなわれていたのだが、現在ではその名残りであるハロウィンの方が有名だ。
サウィン――キリスト教では万聖節のイヴに当たる――には、死者の国や妖精郷といった、異界への扉が開くと言われている。
明生の背筋が、一瞬ひやりとした。
(じゃあ、もしも劇の最中に、ユリエル兄様の目の前に聖杯が現れたとしたら――――?!)
彼は、迷わずその聖杯を手に入れようとするだろう。