霊廟1
その日の深更。
明生は音を立てないようにそっとベッドから起き上がると、部屋の反対側で眠っているミシェルに目を向けた。
彼の寝息を確認してから、足音をひそめて廊下に出る。
非常用の階段から外へ出ると、月明りを頼りに芝生の中庭を横切って、霊廟のある丘の方向へと歩き出した。
夜の世界は、異界の者達の領域だ。
特に今は、異郷と現世の境があいまいになるとされるサウィンの夜も近い。
怖がりなのに、見たくない物まで見えてしまう明生は、少し寮から離れると、目的地まで一気にたどり着くべく駆け出した。
「ここが、ジョーンズ卿の霊廟……」
呼び出しの場所にたどり着いた彼女は、額に汗を滲ませながら呟いた。
見晴らしの良い小さな丘の上に建つそれは、離れた所から眺めた時よりもずっと大きく見える。
古びた教会に似た入り口の、堅牢な木の扉の前で周囲を見回していると。
背後から微かな音がした。
振り向くと、内側に開いた扉の奥から、白い手がこちらに手招きしている。
「――――!」
一瞬、恐怖で凍りついた明生だったが、よく見るとその手は、黒のセーターを着ている。
手の本体の顔が視界に入ると、安堵とともに今度は警戒心が頭をもたげ始めた。
「早くしろ。人が来る」
ミシェルに似た声と姿で、全身を黒で固めた男が明生を呼んだ。
僅かに躊躇した後、意を決して中へ入ると、すぐさま彼が扉を閉める。
部屋の中心には明りとりのランプが置いてあり、ミシェルに見せてもらった写真通りの内装が視界に映しだされた。
中央に置かれた大きなガラスケースの中には、ジョーンズ卿が収集したというこの地方の様々な地図が収められており、例のグラストンベリーの地図も、その中に入っている。
「……来い」
レイモンが再び手招きすると、部屋の奥へと先に歩き出す。
明生が、その場から動かずに尋ねた。
「……どうしてぼくをここへ呼んだんですか?」
歩を止めて振り向いたレイモンが、冷やかな一瞥を彼女に向ける。
頭では別人だと分かっているのに、ミシェルにそっくりな容貌で侮蔑の目を向けられると、どうしても胸が痛んでしまう。
彼が、低い声で言い捨てた。
「来ればわかる」
部屋の突きあたりには地下の墓室へ通じる階段がある。たぶん彼は彼女を地下へと連れて行くつもりなのだろう。
入り口でレイモンの姿を見た時から既に、明生はここへ来たことを後悔していた。
嫌な予感が、足元から這い上がって来る。
このままついて行けば、地下で彼女を待っているのは恐らく――――。
「……ぼく、やっぱり帰ります」
いつでも逃げられるように身構えていた彼女が、ゆっくり後退り始めた。
今ならば、彼女の方が断然入り口に近い。たとえレイモンが追って来たとしても、少なくとも扉の外まではたどり着けるだろう。
そうしたら、懐中電灯を振り回しながら、大声で助けを呼べばよい。
余裕があれば、携帯電話で助けを呼ぶことも可能かも知れない。
だが、振り向いた彼は彼女の意図に気付くと、ふいに言った。
「ユリエル・ハーシェルに、弟はいない」
ドク……ン。
明生の心臓が大きく脈打った。
「何のことですか……?」
「更に言えば、ハーシェル卿の再婚相手にも息子はいない。だが、彼女にはお前と同じ歳の娘が一人いた。名前も聞きたいか?」
ドクン。ドクン。
ドクン。ドクン。
心臓の音が次第に速くなってゆく。
レイモンが、ゆっくりとこちらへ進み始めた。
明生が、彼との間に距離を保つべく、じりじりと後退してゆく。
「その見た目でチャリスに暮らしていて、よく今まで女だと気付かれなかったもんだな」
「……あなたが何を勘違いしているか知りませんが、ぼくはれっきとしたユリエル・ハーシェルの弟です」
レイモンが、唇の端をつり上げて嗤った。
「ハーシェルの視力が回復したのは、彼の義妹が聖杯城とアヴァロンに行って願いを叶えたからだと、彼の使用人達が噂していた。しかもその後、義妹は一切の消息を絶っているというのに、母親を含めて誰も彼女を探し出そうとする者はいない。一体なぜだろうな」
ドクン。ドクン。ドクン。
ドクン。ドクン。ドクン。
「……ぼくは、何も知りません…………!」
「ほお……」
ほんの束の間、明生が気まずさのあまり無意識に目を逸らした。
そして彼女が再び視線を戻した時。
いつの間にか、レイモンがすぐ近くまで迫っていた。