渦巻模様
「メイは、どうしてケルトの聖杯を探しているんだい?」
「え……?」
「ケルト神話の聖杯を見つけるのは、ある意味イエスの聖杯を発見するよりもはるかに難しいよね。チャリスの生徒達はたいてい、アリマタヤのヨセフが運んで来た聖杯の方を探しているのに、どうして君とハーシェルはケルトの方を探しているの?」
「それは…………」
「もしかするとそれは、ハーシェルの視力が突然回復したことと、何か関係がある?」
「えっ……?!」
明生が思わずミシェルを見上げた。
さり気なく尋ねてはいるが、彼の瞳は探るように彼女を見ている。
「……全盲だったハーシェルの視力が『聖杯の奇蹟』によって回復したという噂は、結構よく知られているんだよ。ただぼくが気になっているのは、聖杯探求に行けなかった筈の彼の願いを誰が叶えたのかということと、なぜハーシェルが未だに血眼になって聖杯を探しているかということなんだ。それに……」
ミシェルはまだ何かを言いかけたが、途中で止めた。
明生が、気の毒なくらいに蒼白な顔でうつむいているからだ。
小さな溜息をついてから、ミシェルが言った。
「…………メイ、これだけはどうしても覚えておいて欲しい。お互い他人に言えないことはあると思うけれど、それでもぼくはいつだって君の味方のつもりだから」
「うん……」
彼女がこくりと彼にうなずくと、ミシェルが小さく安堵の吐息をもらす。
その姿を見ながらも、明生の胸はひそかに痛んでいた。
彼女だってミシェルのことが大好きだ。出来ることなら一生このままで居たいとすら思う。
けれども、いつか彼女が愛彩に戻ってしまった時。
女嫌いだというミシェルは、果たしてこれまで通りに彼女に接してくれるのだろうか――――。
ふと、階段から食堂へと下りてゆく生徒達のざわめきが聞こえてきた。
日常の喧騒に、二人の肩の力が抜けてゆく。
「もうそろそろ夕食の時間だね。よかったら、今から一緒に食べに行かないかい?」
「せっかくだけど、ぼくはもう少し写真を見ていたいんだ」
「そう……じゃあぼくは後で聖杯劇の練習があるから、先に食べて来るよ」
ミシェルが少し残念そうな顔で部屋を出ていく。
彼の足音が遠ざかるのを聞き届けると、明生は真剣な表情になって例のファイルへと向きなおった。
真夜中の会合までまだ時間がある。それまでに少しでも霊廟の内部の情報を頭に入れておきたい。
霊廟で待ち合わせするからには、置き手紙の主は彼女とその中に入るつもりだろう。
何が起こるか分からないからこそ、余計に内部の様子を知っておかなければ。
幸い、ファイルには写真だけではなく、簡単な室内図や説明も添えてあった。
霊廟と呼ぶにはいささか簡素な、目立たない石造りの建物の入り口は一階にあり、屋内の壁には至るところに絵画が飾られている。どれも西洋の名画のレプリカのようだが、明生が知っているのは、せいぜいレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』くらいだ。彼女はキリスト教の宗教画にあまり馴染みがないので、これらに何か重要な意味があるのかどうかは判らない。
入り口と反対側の奥には、一階から地下へと続く階段があり、柩が納めてある地下墓室には、歴代の校長かジョーンズ卿の家族が安置されていると思われる複数の棺が並んでいた。いかにも死者の国に通じていそうな風情ではあったが、これといって変わったところはないようだ。
写真と室内図を眺めながら、彼女は考えていた。
(どうしてわざわざ真夜中にここで会う必要があるんだろう……)
単に人目を避けたいだけならば、たとえ放課後にここで落ち合ったとしても、プライバシーは十分に確保できる立地だ。
真夜中と指定するからには、何か別の理由があるのかも知れない。
ふと、最近の牧師達の連続不審死を思い出し、ファイルをめくる手が止まった。
(そういえば、これまで牧師様の遺体が魔法円と一緒に発見されたのは――――)
皆、地下墓地のような、墓場ばかりではなかったか。
背筋に冷水を浴びせかけられたような寒気を覚えて、思わずミシェルの十字架をぎゅっと握りしめる。
(……気のせいだよね? もともと、人気がない墓地は悪魔の召喚に適しているっていうことで、これまでにもトレジャーハンター達がさんざん使って来たわけだし…………)
そう自分に言い聞かせながらも、手の震えが治まらない。
ようやく十字架を離した明生が、再びファイルに向きなおった時。
彼女の手から、ファイルが床に滑り落ちた。
(いけない、大事な写真が……!)
幸いファイルは背表紙から仰向けに落ちたので、写真に折り目はつかなかった。
安堵の息をもらした彼女が、ファイルを拾い上げようとして手をのばすと。
偶然開かれたページの見開き一杯に、まるで宝探しの物語に出て来るような、古い手描きの地図の写真が広がっていた。
グラストンベリーに散在する、聖杯に関する主な名所が集められた、まるで観光地でおみやげ用に販売していそうな見た目の地図だ。
地図のところどころに狐や渦巻き模様が描かれている以外には、これといった装飾もない。
開いたままのファイルをそのまま床から拾い上げると、今度はその地図を近くから眺めてみる。
異界アヴァロンの入り口と言われているトールの丘、アリマタヤのヨセフが運んだ聖杯が沈められていると伝わる聖杯の(・)井戸、アーサー王とグィネヴィア王妃の墓が発見されたとされるグラストンベリー修道院……。けれども、目立つ名所を除けば、この地図に記されているのは、なぜか丘や墓地の名称ばかりだ。
墓地名には聞き覚えのある物も多く、その中のいくつかには渦巻模様の印が添えてある。
(何だろう、この渦巻マーク……?)
模様は、件の霊廟にも付けられていた。
(そういえばミシェルが、渦巻模様は異界の入り口も表すって言っていたっけ……)
地図上にある、模様が添えられた墓地の名を何げなく眺めていた彼女の視線が、ふと、その内の一つに釘づけになった。
『コーンウォール墓地』という名には、彼女にも聞き覚えがある。先日、ゴードン牧師が魔法円の横で亡くなっていたという、あの墓地だ。
心臓が、大きく脈打った。
(どうしてこの墓地が――――?!)
単なる偶然なのかも知れない。そう自分に言い聞かせながらも、鼓動の乱れはなかなか治まらない。
渦巻模様を添えられた他の墓地の名と場所を、一つ一つ丁寧に確認し始めた彼の顔から、今度は次第に血の気が引いてゆく。
渦巻の印がつけられた墓地は全て、牧師達の連続不審死の現場だった――――ただ一カ所、チャリスの霊廟だけを除いては。