第九話 子どもが生まれたが……
新婚旅行から帰ると、夫の屋敷へ引っ越しをした。
これから暮らすのは彼の実家ではなく、新しく建てた郊外にある家。周囲は自然豊かで、薔薇の庭園も造られているようだ。上手くいけば、次のシーズンには美しい薔薇の花が咲き乱れるとのこと。
庭の片隅には馬が放し飼い出来る広場もある。
愛馬である白馬、クリスティーナも連れて来た。人見知りをする子なので、同じ柵内に居る夫の黒馬、エレンを警戒しているようだった。
仲良くなれたらいいけれど。
屋敷の裏には訓練場もあった。
隣にある倉庫には剣だけでなく、弓や槍、斧など、多数の武器も貯蔵されている。
剣以外の武器も使えるようになりたいと言えば、扱い方は夫が教えてくれるらしい。
とても楽しみにしている。
屋敷の中もわたくしの要望を叶えたものが揃えられていた。
お母様のお部屋は白を基調としている落ち着いたものが用意されていた。ものすごく喜んでいたので、夫には感謝をしなくてはならない。
働く使用人達も、わたくしの家で働いていた者を全員連れて来た。
侍女達はわたくしの嫁ぎ先でも働けることに対し、たいそう感激をしているようだった。
こうして、結婚生活は始まったけれど、夫はまだまだ忙しい日々を過ごしていた。
新婚ということもあって、たくさんの方々がお祝いに駆けつけてくれる。
夫の親戚もやって来た。本人が居ない中で、わたくしだけが応対することになった。
上手くおもてなしが出来ているといいけれど。
相変わらず、外交の旅に出かけた夫からの絵葉書が届いていた。
わたくしが家を守ってくれることに対し、お礼の言葉が書き綴られている。
これも妻の務め。しっかりとこなしているつもりだった。
幸いなことに、わたくしはお話をしたり、聞いたりすることは大好きなので、楽しんでやっているところもある。
キーラ・フォン・ヴァイガントの元へも何度か通った。
認知の件について決まったことを話せば、泣いて喜んでいた。
出産後、彼女は教会が運営する孤児院で、子どもの世話をすることになったらしい。
一ヶ月に一度、産まれる子と共に訪問すると約束をした。
久々に返ってきた夫が呼んだ宝石商がやってくる。
机の上には煌びやかな石飾りが並べられ、好きな品を買っていいと言った。
わたくしには、大粒のガーネットの首飾りを選んでくれた。艶やかな赤い石の首飾りは、素敵な意匠だった。
夫はわたくしに、赤が似合うと褒めてくれた。
けれど、どうしてこんな物を買ってくれるのかと思えば、今日はわたくしの二十一歳の誕生日だということを思い出す。忙しい日々を過ごす中で、すっかり失念していたのだ。
夜はサプライズで、盛大なパーティが開かれた。
エルケお姉様とシャルロッテお姉様、クララお姉様、ビアンカお姉様も駆けつけてくれた。
夫が招待してくれていたらしい。
たくさんの人達が集まる賑やかな誕生日なんて久々だった。
嬉しくて目頭が熱くなり、わたくしは自らの顔を扇で隠してしまった。
結婚生活は、思ったよりも悪くなかった。
夫はほとんど居ないけれど。
他人同士、適度な距離を保っているのが良かったのかもしれない。
そんな日々を過ごす中で、ドロテアお姉様の子どもが産まれた。
予定日を大きすぎた中で、長時間の出産となった。
今、母子ともに危険な状態にある。
子供は三つ子だった。
けれど、どの子も未熟児で、ドロテアお姉様と共に生死を彷徨うことになる。
意識が戻ったお姉様本人の希望で、現状は家族のみに伝えられた。
深く落ち込んでいるわたくしを、夫は優しく慰めてくれる。
大丈夫、心配は要らないと繰り返す言葉を聞いているうちに、なんとか元気を取り戻すことが出来た。
それからしばらく経って、お姉様と子どもの容態は安定しだした。
もう、心配は要らないとのこと。
ホッとしていたのも束の間、ある知らせが届く。
キーラ・フォン・ヴァイガントの子どもが産まれたと。
出産は修道院で行われた。
すでに離縁し、子爵邸を出ていた事実に驚いてしまう。
それにしても、妊婦を家から追い出すなんて、子爵はとんでもない鬼畜男だと思った。
けれど、愛のない結婚の実態なんて、こんなものなのかもしれない。
あいにく、夫は仕事に出ている。今晩、出張先から帰ってくる予定だ。
どうしようか迷ったけれど、様子を見に行くだけならばいいかと思い、一人で修道院に向かうことに決めた。
◇◇◇
孤児院の子ども達へクッキーを作ってから出かける。
若干形はいびつになったが、アレクシアお姉様の秘蔵のレシピで味は保証する。
籠の中にクッキーと、キーラ・フォン・ヴァイガントへのお見舞いの品を入れ、馬車で向かった。
まずは、子ども達に会ってお菓子を渡す。とても喜んでくれたので、一安心。
可愛らしい子達に囲まれて、癒されてしまった。
そして、修道女の案内でキーラ・フォン・ヴァイガントの元へ行く。
ドロテアお姉様のことがあったので、母子ともに元気だと聞いて、ホッとした。
部屋の前で修道女はわたくし振り返り、神妙な顔付きで話しかけてきた。
「面会は本人の希望で、全てお断りをしていたのです。ですが、ヘルミーナ様ならばと……」
「ええ、大丈夫。事情は存じていてよ」
「左様でございましたか……いえ、私も驚いてしまって」
なんだろうか、この見てはいけないものを見てしまったかのような物言いは。
「いえ、なんでもありません。どうぞ」
「ええ」
気になる態度だったけれど、彼女は扉を開いたので、これ以上話を聞く雰囲気ではなくなった。まあ、清らかさを象徴する修道女にとって、不貞で産まれた子どもは罪のような存在なのかもしれない。
最後に、奥の寝室に居ますと教えてくれた。彼女の案内はここまでのようだ。
お礼を言って別れる。
キーラ・フォン・ヴァイガントは寝台の背にもたれ、愛おしそうな顔で子どもを眺めていた。
わたくしが来たことに気付くと、花が綻びるような笑顔を見せてくれた。
「おめでとう。無事に産まれて良かったわ」
「はい、ありがとうございます」
子爵とは離縁をしていた、今は旧姓であるポロバークを名乗っているとのこと。
大変だっただろうと言えば、首を横に振っていた。
屋敷には居場所がなく、苦しい毎日を過ごしていたらしい。
「こんなに気が楽になるならば、早く出ていれば良かったと思いました」
「そう」
話がひと段落したので、子どもの顔を見ることにした。彼女は嬉しそうに産まれたばかりの我が子をこちらへ向けてくれる。
「――え?」
わたくしは子どもの顔を覗き込んだ瞬間、身動きが取れなくなってしまう。
まさかと思い、目を擦って、再び見る。だが、それは見間違いではなかった。
「あ、の、この子は――」
「まだ顔はむくんでいますが、女の子です」
「いえ、そうじゃなくて……」
上手く、状況が呑み込めない。
何故ならば、キーラ・フォン・ポロバークが抱く子は、黒髪だったから。
この国で黒髪を持つものはごく一部と限られている。
それは、王家の血を引く者だけだ。
詳しく言えば、黒髪に青い目。お父様も王家に名を連ねる者の一人で、わたくしの髪と目も王家の血族の証が出ていた。
瞼が開いていないので、目の色は分からない。
でも、王族以外から黒髪を持つ子が産まれることはありえないことだった。
当然ながら、赤子の母親である彼女は王族ではない。栗毛に紫色の目をしている。
夫は金色の髪に翠色の目をしていた。二人の子どもが黒髪なわけがない。
「ひ、一つ、よろしいかしら?」
「はい?」
「この子の父親は、わたくしの夫ではない?」
質問をすれば、キーラ・フォン・ポロバークは目を伏せ、重々しい様子で頷いていた。
一体誰が父親なのだと、強く問い詰める。
しばらく口を閉ざしていたが、彼女は泣きそうな顔で父親の名を口にした。
「――この子の父親は、アウグスト・フェルディアント・フォン・メクレンブルグ第二王子様でございます」
な ん て こ っ た ! !
侍女に手を出したのは、夫ではなく、第二王子だったのだ。
王子が過酷労働をしていた意味を、今更ながら理解する。
夫は王子の悪評の泥を被っていただけなのか?
分からないことばかりで、わたくしは大混乱をしていた。