第八話 新婚旅行
本日の宿は両親が新婚旅行で泊まった場所らしい。お母様が手配をしてくれたのはいいけれど、夫と一緒というのが落ち着かない。
わたくしにも相手を気にする繊細な感情があったのねと、自分のことながら感心してしまった。
まずは、個人に充てられた部屋で、婚礼衣装から普通のドレスに着替える。
部屋では既に侍女が待機をしていて、身支度を手伝ってくれた。
純白のドレスを脱げば、本日の戦いは終わったのだと、長い安堵の息を吐くことになる。
ずっと、緊張していたのだろう。
着替えは胸の下が絞られていて、スカートがふんわりと膨らんだ、拘束感のないドレスを選んでくれた。
きつく纏めていた髪の毛も、下ろして三つ編みにして胸の前から垂らす。
身支度が整えば、侍女は恭しい態度で頭を下げた。
「――それではヘルミーナ様、何か御用名がありましたら、お呼びくださいませ」
「ええ、ありがとう」
彼女はここの奥にある部屋で待機をしているらしい。
お母様はいろいろと気遣ってくれたからか、個人部屋には寝台や洗面所、風呂などがあった。夫と共用のスペースは居室くらい。
わたくしはスカートの裾を軽く掴み、居室へ移動した。
夫は長椅子でくつろいでいた。結婚式の正装から着替え、長い脚を組んでいる。
こちらが来たのに気付くと、居住まいを正していた。
「そのままで結構よ。わたくし達、夫婦じゃない」
「そうでしたね。まだ、結婚をしたことが夢のようで……」
改めて、お礼を言われてしまった。わたくしも、夫に礼を返す。
せっかくの縁なので、いろいろと上手くいけばいいと思った。
侍女を呼んで紅茶を用意してもらい、ホッと一息吐いたところで、気になっていた件の話をしてみる。
それは、子どもの認知問題について。今日まで熟考していたのだ。
結果、わたくしの我儘は半分叶えてもらえないかと、提案してみる。
「お願いは半分だけ叶えてもらおうかしらと」
「それは?」
「子どもは引き取るけれど、キーラ・フォン・ヴァイガントに乳母を頼むことは諦めるということ」
やっぱり、お母様も同居する手前、愛人が家に居たら落ち着かないだろうと思った。子どもに会う機会は、こちらが作ればいい。
わたくしの譲歩案に、夫は頷いてくれた。
「分かりました。それでいきましょう」
彼は万が一のことがあっても、わたくしが引き取るのならば問題ないとのこと。時期がちょうど良かったとも言っていた。
どういう意味なのか。聞いても答えてくれなかった。
話がまとまれば、明日の予定について聞かれた。
「どこか行きたいところはありますか?」
「そうね。お母様やお姉様にお土産を買いたいわ」
「でしたら、名物の珊瑚細工でも買いに行きましょうか」
ここは海が目の前にある港街。珊瑚は世界的にも有名だと聞いたことがあった。夫は良い店を知っていると言う。
さすがは遊び人と言うか。女性が喜びそうな店などは世界規模で把握をしているのかもしれない。
その後、夫は出掛けてくると言ってどこかに行ってしまった。
お代わりの紅茶を淹れに来た侍女に聞いてみる。
「ねえ、あの人、どこに行ったと思う?」
「それは……」
いつもならば聞いたことに対してきはきと答えてくれる侍女が言葉に詰まっていた。
まあ、遊び人が夜に出掛ける所といったら、そこまで多くはない。
「息抜きも必要でしょう」
久々の休日と言っていたので、たまには羽を伸ばすのもいいだろうと思った。
伸ばした羽でそのまま飛び立たなければ、許容することにする。
帰って来たのは日付が変わるような時間帯だったらしい。侍女報告より。
翌日。
新婚旅行らしく、無難な感じに街を見て回った。
大きな船に乗って街の近くにある鍾乳洞に行ったり、陽気な楽団の演奏に合わせて踊る娘の舞を観たり、昼食は港町の魚介料理に舌鼓を打ったりした。
夫は知識が豊富で、わたくしが聞いた質問には全て答えてくれる。
思いの外、楽しんでしまった。
最後に珊瑚細工を売るお店で家族への土産を買う。
お姉様達には珊瑚の櫛を、お母様には珊瑚の耳飾りを選んだ。
薄紅色の珊瑚はつるりとした手触りで、光沢が美しい。家族も喜んでくれるだろうと思った。
「ヘルミーナ様は何にしますか?」
「わたくし?」
「ええ。記念に何か買いましょう」
そんな話をしていれば、店の主人が何かを持って来る。
木箱の中に納められていたのは、赤い珊瑚だった。たいそう珍しい品らしく、一部の客にしか紹介しないらしい。
それは薔薇を模した髪飾りで、繊細な細工が成されていた。
触れてもいいと言うので、手に取ってみる。
「まあ、とても軽いのね」
「はい。これだけ大きなものは希少で、薔薇の形の細工は世界で一つだけの品となります」
派手な赤ではなく、落ち着いた色で、本物の薔薇に負けず劣らず美しかった。
「気に入りましたか?」
「ええ、まあ」
色合いも意匠も大きさも、全てが好ましいと思ったけれど、土産として買うような品でもない。多分、わたくしが今身に付けている首飾りと同等の価格か、それ以上するのではと思った。
一度検討を。そう言おうとすれば、夫は「では、こちらを下さい」と店主に笑顔で言っていた。
わたくしはすぐさま腕を掴み、耳元で囁く。懐具合は大丈夫なのかと。
「大丈夫ですよ。今まで使う機会がなかったもので、人並み以上はあると思います」
今まで遊んでいた癖に、お金を使う機会がなかったと?
どういう遊び人なのか、気になってしまった。
赤珊瑚の髪飾りは宿に、土産は王都の屋敷に届けてくれるらしい。
わたくし達は店をあとにした。
外はすっかり暗くなっている。
「ヘルミーナ様、お疲れではないでしょうか?」
「いいえ、平気よ」
気付けば、一日中じっくり観光をしていた。
たびたび休憩の時間があったので疲労感はなかった。疲れないような日程を組んでくれていたのかもしれない。
帰宅後、風呂に入ってゆったりしていたら、夫より声がかかる。
またしても、出掛けてくると言っていた。
わたくしはいってらっしゃいと言って見送った。
二日目も、彼はどこかへ羽を伸ばしに行った。
なんというか、一日観光したあとで、よくもそんな元気があるものだと、ある意味感心をすることになった。
三日目は港街の海まつりに行くことになった。というか、これが旅行の目的でもあった。
世界各国から船がやって来て、様々な品物が並ぶ最大規模の市場となる。
見て回るだけでも楽しい。でも、人の多さには驚くばかりだった。
どこに行っても人で溢れている。
夫はわたくしの肩を抱き、歩きやすいように誘導してくれた。
食事は海辺の料理店を予約していたけれど、店の入り口までに至る長蛇の列を見て断念した。
代わりに、屋台で食べ物を買った。その場で飲食するなんて人生の中でも初めて。
はしたないと思ったけれど、わたくし達を気にしている人なんて誰も居ない。
『旅の恥は掻き捨て』という異国の言葉もあるし、開き直ることにした。
人混みを避け、公園で食べる。
夫は芝生の上に上着を敷き、そこに座るように勧めてくれた。お礼を言って腰を下ろす。
屋台料理は味付けが濃いものばかりで、食べるのにも苦労をしたけれど、青空の下で食べる食べ物は美味しいように思えた。
その後、市場の散策を再開。
本日も新婚旅行の記念と言って、真珠の首飾りを買ってくれた。丸い形が可愛くて、とても気に入っている。
帰宅は夕刻となった。
その日の晩も夫は出掛けていると言う。笑顔で分かったと返事をした。
まだこちらに報告に来ただけで、出て行っていないようだった。
わたくしはすぐさまある行動に移る。
侍女に手伝いを頼み、ドレスを脱いで使用人の着るワンピースを纏う。
髪の毛は一つに纏め、頭巾を被った。
今から、夫のあとを付けてどこに行っているのか尾行をする。
侍女には止められたけれど、護身用の武器は持っているので、心配はいらないと言い伏せた。
一緒に行くと言っていたけれど、気配を殺せるのかと聞いたら、首を横に振っていた。
バレないように、一人で行くことにする。
夫が出て行ったのを確認し、あとに続いた。
宿を出て、徒歩で夜の街を進んで行く。
まず、先に向かったのは、閉館している博物館。
ざっと外観を確認して、踵を返している。
こちらに向かって来たので、さっと素早く身を隠した。
どきどきしたけれど、バレていなかった。
次に向かったのは料理店。中へと入って行った。ここで女性と待ち合わせをしているとか?
帰ろうか迷っていると、夫はすぐに店から出てきた。
わたくしは慌てて身を隠す。
三件目。
土産屋の前をじっと見ながら進んで行っていた。どのお店も閉店している。
どうして閉まっている店を見て回っているのか。謎過ぎる。
四件目は天体観測所。
ここは開いていたけれど、建物を見るだけで中に入ろうとしない。
ずっとあとを付けてきたけれど、誰かと遊んでいるようには見えなかった。
まるで、観光の下見をしているだけのようにしか見えなかった。
もしかして、わたくしとの街歩きのために、前日から確認をしていたというのか。
目的は? 分からないことばかりだった。
再び夫が踵を返すので、建物の陰に隠れる。
通過するのを待って、後姿を追おうとすれば、忽然と消えていた。
どこに行ったのかと辺りを探していたら、突然背後より気配を感じる。
意識が完全に前方にあったので、反応が遅れてしまった。
手首を掴まれ、耳元で囁かれる。
「――奥様、これで満足したでしょうか?」
「!?」
冷たい声にびくりと体が震える。掴んでいた手首はすぐに解放された。
慌てて振り返れば、夫の姿があった。
いつのも笑顔は消え、真剣な顔で注意される。
「夜道の独り歩きは危険ですよ」
「……え、ええ」
どうやら、尾行はバレてしたようだ。
いつ気付いたのかと聞いてみれば、宿を出てすぐにというご回答が。
やはり、想像通り明日の観光の下見をしていたらしい。
「その場その場で危険がないかとか、道が整って歩きやすいかとか、そういうのを見ていました」
「そう、だったの」
さすがは王族を護衛する騎士と言えばいいのか。
尾行がバレていたのは悔しかったけれど、今回ばかりは反省と謝罪をし、二度としないと誓うことになった。