第六話 エーリヒ・フォン・ヴェイマールと直接対決!
帰宅後、すぐに未来の旦那様へ手紙を認めることになった。
せっかくなので、可愛い花柄の便箋を使うことにした。
今回は簡潔な手紙を送ろうと思う。
さらさらと、時間をかけずに書ききった。
エーリヒ・フォン・ヴェイマール殿
貴殿との話したいことがある。
明日の夜、ロートリンゲン邸にて待つ。
ヘルミーナ・フォン・ロートリンゲンより
侍女が薔薇の精油を焚いていてくれたので、手紙に香り付けをする。
封筒に入れ、手元の小さな燭台を傾けて、閉じた位置に蝋を垂らす。その後、ロートリンゲン家の家紋の入った印璽を押して封をした。
多分、家に送っても読まない可能性があったので、職場に届くようにした。手紙を送ってから三時間。返事がくる。丁寧な挨拶の言葉と共に、「はい、喜んで」と書かれてあった。
手紙は二枚もあった。あれだけ簡単な内容に、ここまで長文で返せるなんて、あの人、やっぱり普通じゃない。ちょっとだけ負けたような気分になる。
明日は、万全の状態で挑まなければと思った。
翌日。
約束の時間ぴったりに、エーリヒ・フォン・ヴェイマールがやって来た。今日は仕事帰りなのか、騎士の制服を纏っていた。
私服の柔らかな雰囲気から一変して、髪の毛をきっちりと整えているからか、凛々しい印象があった。
そんな彼に謝罪する。
「ごめんなさいね、突然呼び出したりして」
「いえ、嬉しかったです」
こちらの非には一切触れずに、仕事が入っていなくて良かったと言っていた。
依然として、忙しい日々を送っているらしい。
そんな中でも、彼は手ぶらでやって来なかった。
使用人に持たせていた真っ赤な薔薇の花束を受け取り、わたくしに差し出してくれる。
「街で見かけて綺麗だったので、ヘルミーナ様にと思いまして」
「まあ、素敵」
薔薇は大好き。
喜んで受け取る。豪奢な花を愛で、香りを楽しんだと、花瓶に生けておくように侍女に渡した。
「綺麗な薔薇のお花、ありがとう」
「喜んでいただけて幸いです」
ここでも感心してしまう。彼は女性を喜ばせることに関してはプロなのだ。さりげない手口の巧妙さは誰にも真似出来ないだろう。二十七年も女性好きをしていただけはある。
「あの薔薇は、女王薔薇という名前で、ヘルミーナ様に相応しい花だと思いました」
「そうかしら?」
「ええ」
「あなたは、蜂蜜薔薇というものがあったらぴったりね」
「蜂蜜……?」
「いいえ、こっちのお話」
お喋りはこれくらいにして、本題へと移る。
「以前お会いした際に、わたくしの願いは全て叶えると言ったわよね?」
「はい」
「間違いないと?」
はっきり間違いないと言う。
だったらと、わたくしは昨日、キーラ・フォン・ヴァイガントから聞いた、子どものお話してみることにした。
「先日、キーラ・フォン・ヴァイガント様に会ったの」
「!?」
出会ってから、絶やすことのなかった笑顔が凍り付く。明らかな感情の変化をみせてくれた。分かりやすい動揺に笑ってしまいそうになり、急いで扇を広げて口元を隠した。
「彼女が、ヘルミーナ様を呼び出したのでしょうか?」
「さあ、どうだったかしら?」
急に真剣な顔になって、わたくしを問い詰めだした。やっぱり、子どものことは触れてはいけない問題だったよう。
何か言われたとか、彼女は一人だったとか、続けざまに質問をしてくるけれど、教えてあげない。今日はわたくしが未来の旦那様にお願いをするだけの場だから。
「ヴァイガント子爵夫人があなたに接触するなど、信じられない」
「そんなことよりも、お願いがあって」
額に手を当て、苦渋の表情を浮かべていた彼だったけれど、わたくしの言葉を聞いてハッとなる。
察してしまったのかしら?
こちらに熱い眼差しを向けるので、にっこりと、肯定するような微笑みを浮かべた。
「それは――いけません」
「まあ」
やはり、認知はしないようで。
けれど、先ほど願いは全て叶えると言ったわよね? と言えば、眉間の皺はさらに深くなっていった。
「子どもを引き取れば、きっと近い将来、あなたは後悔するでしょう」
「具体的にどういう風な後悔を?」
「それは、言えません」
どこからか強い圧力がかかっていて、詳しい事情を話せない模様。
子爵家に口止めされている? この、天下の女性好きエーリヒ・フォン・ヴェイマール様が?
彼のご実家は伯爵家で、古くから続く名家でもある。社会的地位はかなり高いと思ったけれど?
「わたくしも、理由が聞けないと判断で出来ないわ」
「申し訳ありません、今は、言えないのです」
「そう」
わたくしが後悔? 一体、何を悔やむというのだろうか。
よくよく考えたけれど、理由は思い浮かばなかった。
そういえば、自分の人生の中で後悔したことがないと気付く。それを言えば、彼はわたくしに「でしたら、人生で初めての後悔になりますね」と言い切った。
その言葉は、わたくしの感情に火を付けることになる。
「どうしてあなたがわたくしの気持ちを決めつけるのかしら?」
「それは、申し訳ありませんでした」
顔を背け、謝罪をするエーリヒ・フォン・ヴェイマール。
ばつが悪そうな顔をしていた。彼にも人間らしいところがあるものだと、まじまじと眺めてしまった。
話を続けても? と聞けば、こちらに力強い眼差しを向けてくる。
「ヘルミーナ様、いま一度、検討をして頂きたいのです。子どもを引き取りたいだけならば、他に伝手があります」
エーリヒ・フォン・ヴェイマールは次男で、跡取りになる血の通った子どもは必要ないと言う。
「私が死んだら、私財は全てあなたに相続するようにしますので」
「ええ、それはいいけれど」
わたくしの顔を見て、眉尻を下げている。きっと、意見を曲げることはないと気付いているのかもしれない。
はあと、大きなため息を吐かれる。
「……分かりました」
結局、最終的には折れてくれた。キーラ・フォン・ヴァイガントとの子を引き取ると言う。
わたくしはついでにもう一つ、要望を出した。
「もう一つお願いが」
「……聞くのが怖いです」
「そんなに大変なことでもないわ。一つ目に比べたら」
二つ目の要望。それも子ども関連のもの。
「乳母についてなんだけど」
またしてもハッとなるエーリヒ・フォン・ヴェイマール。いろいろと察しが良すぎる。
「キーラ・フォン・ヴァイガントを――」
「それも止めた方がいいですよ」
「どうして?」
「社交界に知られたら、あなたの立場が悪くなる」
夫の愛人の子を引き取って、さらにその女性を家に招く。確かに、狂気の所業かもしれない。幸せな結婚をした女性がすることではなかった。
「秘密裏に引き取ればいいのでは?」
「……」
わたくしの要望を聞いて、彼は額に手を当てていた。
認知の件でここまで困らせることが出来たなんて、驚いてしまう。
けれど、気になる点が浮かんできた。
それは、キーラ・フォン・ヴァイガントへの情というか、愛というか、そういったものを全く感じなかった。
彼女は二人の間に愛はあったと言っていたような気がしたけれど、一方的な想いだったとか? よく分からない。
まあ、愛のない行為も可能には可能なのだろう。残酷な話であるけれど。
ふと見れば、苦しそうな表情をしていたので、一言謝ることにした。
「ごめんなさいね。初めから、無理難題を押し付けて」
「……私を、このように困らせる存在は、世界であなただけだと思います」
「あら、そう。大変ね」
そういう風に言っていたけれど、最終的には乳母の件も許可を出してくれた。
「……社交界で広がった噂話はこちらではどうにも出来ませんが、本当によろしいですか?」
「そうね」
狂気の花嫁とか、陰で呼ばれてしまうのかもしれない。
そこまでしてすることなのかと聞かれたら、首を傾げてしまう。
さきほど、跡取りは要らないと言っていた。なので、このまま仮面夫婦として仲良くすることも可能なのだ。
けれど、困っている人を見捨てることは出来ない。
面識のなかった人だけれど、どうしてか助けたいと思ってしまったのだ。
あのふるふると震える子猫のようだったキーラ・フォン・ヴァイガント。
ちょっと、昔飼っていた栗毛の猫に似ている気がした。
彼女に救いの手を差し伸べることは、偽善なのかもしれない。でも、ちょうどいいと思ってしまった。
「女性関係で浮名を流すあなたと、変わり者のわたくし。お似合いの夫婦になると思うの」
「そんなことは――」
「あるわ」
夫婦は運命共同体。
これから頑張りましょうと手を差し出した。
警戒を解くために笑顔を向ければ、膝の上で握り締められていた手をこちらへ向けてくれた。
握手をしようと思ったのに、彼は困った顔をしながら、そっと手を重ねた。
――いや、お手じゃなくて。