第五話 キーラ・フォン・ヴァイガントとの直接対決?
中に居た使用人が扉を開く。
キーラ・フォン・ヴァイガントはわたくしと目が合うと、ゆっくりと立ち上がった。
人を呼び出しておいて、随分余裕だこと――と言いたいところだけれど、それは仕方がないと思った。
彼女は妊娠をしているようだ。多分臨月なのだろう。立ち上がっただけでも、辛そうな表情を浮かべている。
「あらあら、まあまあ、よろしくってよ。どうぞ、お座りになって」
「は、はい。ありがとうございます……」
侍女の手を借りて、長椅子に腰掛けるのを確認してから、わたくしも向かい側に座らせてもらう。
ちらりと彼女の顔に視線を移せば、顔色が真っ青になっていた。微かに震えているようにも見える。
……まあ、お気の毒に。
キーラ・フォン・ヴァイガントは、記憶にあった通り、風が吹けば消えてなくなりそうな儚い印象がある。それから、栗色の髪が美しく、綺麗な菫色の目をした可憐な人であった。
「お見苦しい状態で失礼いたします。昨晩から、お腹が張っていまして……」
「まあ、そうでしたの」
まじまじと彼女を観察していたら、ふと気付く。以前、王子に仕える侍女をエーリヒ・フォン・ヴェイマールが妊娠させたという噂話が広がっていたことを。
お相手はヴァイガント子爵の奥方だったのだ。
「ほ、本当に、申し訳ありません……」
キーラ・フォン・ヴァイガントは消え入りそうな声で、謝罪をしている。彼女はこちらが心配してしまうような、弱々しい女性に見えた。これで、子どもを産めるのかと、心配してしまうくらいに。
そんな彼女が、今からどういう風に荒ぶるのか、ちょっと楽しみになってしまった。
お茶が運ばれ、カチャカチャという茶器の重なり合う音だけが部屋の中に響き渡る。
わたくしは一番美味しい状態の紅茶を戴いた。
再び、キーラ・フォン・ヴァイガントを見る。
すると、ビクリと肩を揺らしていた。そんな、取って食べるわけじゃないのに。大袈裟な人。わたくしの手の中にあった扇を広げ、扇いでいるだけで、涙目になっていく彼女。つい、近くに居た使用人に、時間を訊ねてしまう。
それでいろいろと察してくれたのか、キーラ・フォン・ヴァイガントはやっと話しかけてくれた。
「――あの」
「何か?」
「わ、私は、キーラ・フォン・ヴァイガント、と、申します」
「ええ、存じていてよ」
彼女は震える声で挨拶をし、来てくれたことへのお礼と謝罪をしていた。
「お気になさらないで。そのお体では、外出も困難でしょう」
「はい……」
ここまで接してきて、疑問に思う。彼女は夫を裏切って不貞を働く強かな女性には見えなかった。果たして、交わされた夜の契りは合意の上だったのかと。
「本題に移って頂けるかしら?」
「は、はい。申し訳ありません」
彼女は口を開き、そのままの状態で停止。その後、口を閉ざして顔を伏せる、という行為を何度が繰り返した。余程、言いにくいことなのか。
時間が勿体ないので、先に質問をする。
「一つ、よろしいかしら? 相手との行為は同意の上、ということだったの?」
もしも、無理矢理彼女を襲ったとなれば、エーリヒ・フォン・ヴェイマールに厳しい体罰を与えなければならない。お尻を百回叩くだけでは足りないだろう。
けれど、キーラ・フォン・ヴァイガントはわたくしの質問に対し、ゆっくりと頷いて見せた。
良かったのかどうか分からないけれど、愛のある行為だったと。
「それで?」
「お、夫に、り、離縁を、言い渡されました」
「でしょうね」
どうしてか、男性の浮気は時間の経過と共に許される風潮にあるけれど、女性の浮気は罪を犯した者のように糾弾される。そして、長年に渡って後ろ指をさされるのだ。
彼女にも、罰が言い渡されていた。
「私は、し、修道院へ、行くようにと、主人に言われています」
それも、仕方がないお話というもの。
ちらりと顔を見れば、キーラ・フォン・ヴァイガントは、はらはらと涙を流し始めた。
あらあら、困ったお人。
まるで、わたくしが虐めているような雰囲気になってしまった。
まだまだ情報不足なので、質問を重ねる。
「他にあなたの子どもは?」
「血が繋がっている者は、居ません」
結婚をして十年。跡取りを産むために、それなりの努力はしていたらしいけれど、一度も懐妊の兆しが出ることはなかったと言う。
現在は義弟の子を養子として引き取り、育てているらしい。
もしかしたら、キーラ・フォン・ヴァイガントは冷遇をされていたのかもしれないと思った。
追い詰められていく中で、あの蜂蜜男が甘い言葉で誘惑する。心が弱くなった彼女は、あの胸やけするような甘い蜜を求めた。
だいたい話は見えた。
「――それで、あなたの目的は何?」
多分、応じることは出来ないけれど、ここまで来た以上聞いておかなければならない。
「……認知を」
「ん?」
「子どもの、認知を、して頂きたい、のです」
「エーリヒ・フォン・ヴェイマールに?」
「は、はい」
図々しい願いであることは承知の上だと言っていた。
まあ、その通りなんだけれど。
産まれてくる子はここより遠くにある孤児院に引き取られることになると言う。そして、国の決まりで、預けた子どもの顔を見ることは二度と許されないと。
「自分勝手なのは重々承知です。で、ですが、遠目で、子どもの成長だけでも、見守りたいのです」
今まで弱々しかった彼女の、力強い主張を目の当たりにする。
話を聞けば、同様の願いをエーリヒ・フォン・ヴェイマールに手紙に書き綴って送ったらしい。けれど、返事は来なかったとか。
あの人、女性にならば平等に優しい感じがしていたけれど、冷酷なところがあるのねと、意外に思った。
自分の撒いた種なのだから、男らしく責任を取ってもいいのに。
そんなことはさておき、この問題をどうしようか考える。
わたくしにとっては悪い話ではなかった。
エーリヒ・フォン・ヴェイマールとキーラ・フォン・ヴァイガントの子を引き取れば、わたくしは妻の役割の一つを果たさなくてもよくなる。
こうして実際に目の当たりにすれば、子どもを身に宿すというは大変そうに見えた。
出産は命がけだと聞いたこともある。
遊び人の夫のためにわたくしが命をかけるのも、なんだか腑に落ちないような気がしてきた。
けれど、さすがに認知の決定権はわたくしにはない。
一度、未来の旦那様と話し合いをしなければならなかった。
「まあ、そういうわけだから、すぐにお答え出来る問題ではないわ」
「……はい」
「出産予定日はいつくらいなの?」
「一ヶ月後だと、お医者様が」
「そう」
わたくし達の結婚式は一週間後。
子どもを引き取るとしたら、家も落ち着いている頃だろう。
問題はエーリヒ・フォン・ヴェイマールだ。
彼がどういう判断をするのか、全く想像出来ない。
認知の手紙を無視していたらしいので、子どもを引き取るのは不本意なのかもしれない。
願い事はなんでも聞くと言っていたが、これは保証対象外の可能性があった。
きちんとした契約書を作っておけばよかったと、今更後悔する。
考えごとをしていたら、キーラ・フォン・ヴァイガントが遠慮がちに声をかけてくる。
「ヘルミーナ様、一つ、質問をしても?」
「別に、よろしくってよ」
「ありがとうございます」
改まって聞かれたことは、今回の件を憤っていないのか、というものだった。
「いいえ、全く」
エーリヒ・フォン・ヴェイマールにとって、隠し子は弱みだろう。
引き取って欲しいと言えば、そんな表情を見せてくれるのか。
ちょっとドキドキしてしまう。
不安そうな表情を浮かべるキーラ・フォン・ヴァイガントに、開いた扇で顔を半分隠しながら、「どうかお気になさらずに」と言っておいた。
「では、そろそとお暇しようかしら」
「た、大したお構いも出来ずに」
「いえいえ、紅茶大変美味しかったわ」
「お口に合ったようで、嬉しく思います」
立ち上がれば、家から被って来た帽子を使用人が手渡してくれた。
わたくしは彼女と別れ、ヴァイガント子爵邸をあとにする。