第四話 強敵と対峙するご令嬢
向かい合って座り、ひとまずお茶を飲んで落ち着くことにする。
エーリヒ・フォン・ヴェイマールは、かねてより受けていた印象通り、只者ではないと思った。
普通、扇を使って物のように扱えば、なんらかの感情を読み取ることが出来る。
なのに、彼は動揺の一つも見せず、ただただ、澄んだ目でわたくしを見上げるばかりだった。
けれど、あのお方は七つも年上。余裕があるのは仕方がないこと。わたくしなんて小娘にしか見えないのかもしれない。
分かったことと言えば、油断は禁物ということ。
けれど、既に鳥羽という弱みも握られてしまった。悔しい、悔し過ぎる。
ちらりと見れば、ばっちりと目が合う。
先ほどからじっと見ているのは分かっていたが。何かと聞けば、わたくしの美しさを絶賛してくれた。
「今日のヘルミーナ様も女神のように美しい。私だけがあなたを独占していると、罰が当たってしまいそうです」
今日もってことは、この人、わたくしを何度か見かけたことがあるのかしら?
やだ、怖い。
それに、美への称賛をされても困るというもの。
「わたくしが綺麗なのは当たり前のこと。侍女にそうなるように命じたから」
「ああ、なるほど。だから、嫁ぎ先にも連れて行きたいというわけなのですね」
「ええ」
ここでわたくしの侍女を連れて行ってもいいか聞きたいところだけれど、がっつけばそれも弱みになる。まだ我慢をしなければならない。
敵……じゃなくて、エーリヒ・フォン・ヴェイマールを見れば、蜂蜜のように甘ったるい顔で微笑んでいた。あんなのを視界に入れ続けていたら、胸やけを起こしてしまう。
けれど、目を逸らしたら負けになる。わたしは挑むような気持ちで、相手を見続けた。
「ヘルミーナ様」
「何か?」
「今回のお話は、本当に受けて頂けるのでしょうか?」
「そうでなかったら、わたくしはここに居ないわ」
「ですよね。良かったです」
話はこれで終わりと思っていたのに、詳細を聞いてくる蜂蜜男。
「ずっと疑問だったのですが、何故、結婚話を受けて下さったのかなと」
「伯父様――国王様が勧めて下さったから」
「なるほど。単純明快な理由ですね」
「ええ」
訊ねた理由は謎だけど、彼は深々と頭を下げてお礼を言っていた。
「最初に言っておきます。ヘルミーナ様に不自由をさせるつもりはありません」
「アラ、ソウ」
「願いは全て叶えるつもりでもあります」
「マァ、素敵」
だから、多少の浮気は許せとか、そういうことを言いたいのかしら?
「私の生涯は、あなたへ捧げます」
「夢ノ様ナ、オ話ネ」
いけないいけない。気障ったらしい言葉を前に、返事が全て棒読みになってしまった。気をつけないと。
その後、あとに続く言葉を待っていたけれど、相手方はわたくしの顔を見ながらにこにことしているだけだった。
向こうからわたくしへの条件はないのかしら?
なんだか待遇が良すぎて不気味に思う。かといって、こちらから訊ねるなんてことはしないけれど。
「そういえば、お仕事はまだお忙しいのかしら?」
「ええ、そうですね。しばらくは、ヘルミーナ様に家を守って頂くことになりそうです」
「そう。でも、異常な忙しさね。何かの罰みたい」
「それは――そうですね」
家に帰れないほど働かされているとは、一体どんな悪さをしたのか。
王子付きの侍女に手を出して妊娠させてしまったことへの処罰?
でも、お仕えしている王子も一緒に働かされているのが謎過ぎる。
まあ、亭主元気で留守がいいという言葉もあるし、別に問題はないように思えた。
「他に、私への要求はありませんか?」
「いいえ、別に」
「左様でございましたか」
その言葉を最後に、シンと部屋が静まり返る。
用事が済んだのなら早く帰って欲しいと思ったので、玄関の場所は南南西を目指して下さいなと、勧めてみた。
「ご親切に、ありがとうございます。では、そろそろお暇致しましょう」
「ええ、ごきげんよう」
察しが良いのは気に入った。
わたくしは満面の笑みを浮かべながら、エーリヒ・フォン・ヴェイマールをその場でお見送りする。
出て行ったので思いっきり顔を顰めていたら、彼はあろうことかこちらを振り返った。
「あ、ヘルミーナ様、次に会える日は分からないのですが」
「よろしくってよ」
慌てて手を振り、相手の帰宅を促した。
……あ、間違った。この手の振りはあっち行けだった。
彼はぞんざいな扱いも気にしていない様子だった。どれだけ神経が太い人なのか。
逆に尊敬してしまう。
「では、またお会い出来る日を楽しみにしています」
「エエ、ワタクシモ」
また、心ないことを言ったので、棒読みになってしまった。
――嫌になってしまうわ。わたくしったら、嘘が上手に付けないの。
そんな雑な見送りだったけれど、彼は最後まで笑顔を絶やさずに帰っていた。
なんというか、脱力。想定以上に疲れてしまった。
わたくし、本当にあの人と結婚をするのだろうか?
なんだか、勝てる気がしな……いえいえ、戦う前から逃げるなど、ありえないこと。
まだまだ、修行が足りない。
そんな風に思ってしまうような、面会時間だった。
◇◇◇
それから数日後、とあるご婦人からお手紙が届けられた。
差出人の名はキーラ・フォン・ヴァイガント。
ヴァイガントは子爵家で、キーラはそこの夫人だったような?
今まで付き合いがあったかと考えていたけれど、全く思いつかない。年齢は二十七か八、くらいだったような気がする。でも、彼女が社交場に顔を出すことはほとんどなかった。一体、何の用事なのか。
もう一度、手紙の表面を確認する。宛名はわたくしに間違いない。首を傾げつつ、封を開いた。
そこには、エーリヒ・フォン・ヴェイマール殿のことで相談したいことがあると書き綴られていた。
――あ。
彼の名前を見た途端、ハッとなる。
これはアレに違いない。痴情の縺れだと。
まあでも、これにわたくしを巻きこむのは、見当違いも甚だしい。
しかも、ヴァイガント家に来て欲しいと書いてあった。
何故、わたくしがわざわざ行かなければならないのか。
どうしようか迷ったけれど、ちょうど結婚式の準備もひと段落していた。
用事が入っていない日があったので、腕試しだと思い、訪問してみることにする。
それから更に数日後。キーラ・フォン・ヴァイガントと会う日になった。
どうせ、身を引いてくれとか、そういう感じの用事だろうと思っている。
そういえば、彼女は王城で侍女をしていると聞いたことがあった。多分、二人は愛人関係に違いない。
身支度を整えながら、どういう風に応戦しようか考える。
出来るなら、女性と物理的な戦いはしたくない。
後々の活動のためにも、話は穏便に済ませたいものだった。
とりあえず、『二人の愛は結婚後も永遠に』作戦を考える。わたくしが公認することによって、逢瀬もしやすくなるだろう。
侍女が身支度が整ったと言うので、全身鏡にわが身を映す。
本日は襟の詰まった昼用のドレスを纏った。
若草色で、とっても可愛らしい意匠をしている。花飾りの付いた帽子を被り、くるりと鏡の前で回ってみた。
「今日も完璧ね」
「ええ、ヘルミーナ様は世界一です」
侍女の言葉に気分を良くしながら、出掛けることにする。
傘と手土産を持った侍女があとに続いていた。
ヴァイガント家は馬車が玄関まで入れる広さはないらしい。
庭の途中で降ろされてしまった。まあ、薔薇の花が綺麗だからいいけれど。
日傘を差し、玄関まで歩いて行く。
出迎えてくれた執事は、なんとも気まずそうな表情で居た。
大丈夫、あなたの奥様を取って食べるわけではないから。
安心させるように微笑んだのに、執事の顔色はどんどん悪くなっていった。
それにしても、意外に思う。
わたくしの記憶の中のキーラ・フォン・ヴァイガントは、線が細く、薄幸そうな美女といった印象だった。そんな人が浮気をするなんて。
執事はすでに奥様は部屋で待っていると言っていた。
客間の前で息を吸い込む。
戦いの始まりだと、気合を入れて扉を叩いた。