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最終話 伯爵家の良妻

 本日は晴天! 

 見事なお出かけ日和だった。夫と娘と共に、近くの公園に馬車で向かう。


 春の陽気に包まれた公園内は、花の盛りを迎えていた。

 木蓮マグノーリエの木には、白く可憐な花が咲き乱れ、華やかで上品な香りを漂わせている。


 夫は娘を乳母車から抱き上げ、花を見せていた。


「リーリエ、見て下さい。とても綺麗なお花ですね」


 わたくしも、夫の隣に立って花を見上げた。


「本当に、綺麗ね」

「はい。まるで、ヘルミーナ様のよう」

「何故?」

木蓮マグノーリエの花言葉は、高潔な心、気高さ、自然への愛情……ヘルミーナ様の内面を表しているかのように思えてならないのです」


 こういうことをさらっと言ってしまう夫が憎らしい。

 なんだか恥ずかしくなり、反応に困ってしまった。


「リーリエには、たくさんの自然に触れて、ヘルミーナ様のようにのびのびと育って欲しいですね」

「のびのびと育った結果、結婚相手が見つからずにお父様がご苦労をされていたようだけど」


 この話は最近お母様が教えてくれたことだった。

 まあ、二十歳になるまでに結婚話が一件も浮上しないのはおかしな話だと思っていたけれど、お父様の「ヘルミーナは特別可愛いから、まだまだ私の傍に居て欲しいんだよ」という言葉を信じて疑っていなかったのだ。

 つい先日もお姉様にも釘を刺されていたけれど、わたくしと結婚をしてくれる奇特な人は夫くらいしか世界に存在しないので、日々感謝をするようにと言われている。


 誠実で、娘を可愛がってくれる夫と過ごすうちに、身を以て実感している最中だった。


「寛大なあなたに感謝しなきゃ」

「そんなことないですよ。ヘルミーナ様が可愛らしく、素晴らしい伴侶なのは、世界共通の認識だと思います」

「ええ、ありがとう」


 口が上手い夫の褒め言葉を軽く受け流す。

 いちいち本気にしていたら、精神が保たない。


 くるりと公園内を歩けば、使用人達が用意してくれた敷物のある場所に辿り着く。

 しばらく一休みをすることにした。


 夫は娘を抱いたまま敷物に腰を下ろしていた。乳母が受け取ろうとしたが、やんわりと断っている。


「ここ最近も、リーリエ不足だったのです」

「あなた、働き過ぎなのよ」

「今季の新人がやんちゃ過ぎて、いつの間にか仕事が山積みになっていて……。前期の騎士達は大人しかったのですが」

「問題児を押し付けられているんじゃない?」

「やっぱり、そう思いますよね」


 人事部が分かっていてやっているとすれば、許せないと思った。


「なんで、あなただけこんな苦労を」


 怒りが込み上げるのと同時に、夫を気の毒に思う。


「私は嬉しいです」

「忙しいのが?」

「いいえ。ヘルミーナ様が、こうして憤ってくれることが」


 また、この人はわけがわからないことを言う。

 ついつい、訝しげな視線を向けてしまった。


「殿下の教育係をしている時は、孤独な戦いでした。彼が思いがけない問題を起こしても、周囲はお前なら解決出来ると、毎回のように言われてしまい――」


 夫の頑張りを、周囲は出来て当たり前、夫ならどうにかしてくれるだろうと、静観していたらしい。


「酷い話ね」

「ええ、ですが、今は、こうしてヘルミーナ様が心配し、労わってくれるので――」


 そこから先は言葉にせず、蕩けそうな笑顔を見せてくれた。

 なんていうか、胸やけしそうな笑顔だと思う。


 話を逸らそうと、わたくしは家から持参していた籠の中を探り、長方形の箱を取り出す。


「これ、あなたに」

「なんでしょうか?」

「チョコレートよ。手作りの一粒チョコレートプラリネンなんだけど」


 調温テンパリングを丁寧に行い、舌触りを良くしたチョコレートに、ローストしたナッツを入れたもの、キャラメルを包んだもの、煮詰めたお酒を入れたもの、砕いたビスケットを包んだものと、さまざまな種類を作ってみた。


「ありがとうございます!」


 この前、部下にも作って行ったら嫌そうな顔をされたので、今回は夫のためだけに作ったと言っておく。


「光栄です。本当に、嬉しい」


 喜んでもらえたようで、ホッとする。

 まあ、その辺の石ころを拾って渡しても、同じような反応を示しそうではあるが。

 今度試してみようと思う。


「今食べる?」

「はい」


 夫は元気よく返事をしたが、差し出したチョコレートを受け取ろうとしない。

 娘を抱いているからだ。


「ちょっと、困りましたね」

「リーリエをゆりかごに寝せればいい問題でしょう」

「リーリエとは、片時も離れたくないんです。ああ、本当に困った」

「……」


 憂いの表情でこちらを見てくる夫。

 無言の要求が、まっすぐに突き刺さっていた。


「わたくしに、チョコレートを食べさせろと言いたいわけ?」

「そ、そんな、ヘルミーナ様に食べさせて頂くなんて、悪いです!!」


 ――嘘ばっかり。


 食べさせて欲しいのかと聞いた途端に、目がキラリと輝いたのを見逃さなかった。


 はあと深い溜息を吐き、チョコレートを一粒摘まむ。

 こういう時、「あ~ん」と言って食べさせる恋人同士の文化は存じていたが、とても真似出来るものではないと思った。


 なので、夫には別の言い方をしてみる。


「く、口を開きなさい」

「!」


 ずいっとチョコレートを目の前に差し出せば、嬉しそうに口を開く夫。

 口元にチョコレートを持って行けば、想定外のことが起きる。


「きゃあ!」


 夫はチョコレートだけでなく、わたくしの指先まで食べてくれたのだ。

 なんてことをするのだと、渾身の力で睨み付ける。

 若干涙が浮かんでいたような気もするが、それどころではない。


 夫がチョコレートを食べている間、なんとか冷静になれるように努めた。

 扇で顔を隠し、目元の涙を拭う。

 食べ終えた夫はチョコレートを世界一だと絶賛したあとで、謝罪をしてきた。


「すみません、距離感が掴めずに……」

「絶対嘘!!」

「嘘じゃないですよ」


 白々しいにもほどがあると思う。

 周囲で待機している使用人達に同意を求めようとしたが、皆、そっぽを向いている状態だった。


 なんだか悔しかったので、甘ったるいチョコレートを次から次へと夫の口に詰め込んでいく。


 甘すぎて、さぞかし苦しいだろうと思っていたのに、夫は「幸せの味ですね」と言って嬉しそうにするばかりだった。


 どうしてこうなった!


 ◇◇◇


 帰宅後、わたくしは急いで準備に取りかかる。

 今晩は、夫の誕生日のサプライズパーティをする日なのだ。

 いろいろと問題が浮上して、随分と日にちが経ってしまったけれど、その辺もサプライズ感があっていいかなと思っている。


 使用人みんなで食堂を飾り付け、特別なごちそうを作ってもらう。

 わたくしも、夫のために大きなケーキを作った。

 美しく着飾ることも喜んでくれるだろうと侍女が言うので、身支度にも時間を費やした。

 夫が贈ってくれた深い青のドレスに、新婚旅行の時に購入した珊瑚の髪飾りを合わせる。

 腰には大きな絹のリボンを巻いた。


 準備が整えば、執事が夫を呼びに行く。

 扉が開かれたら、聖誕節用のクラッカーで出迎える。誕生日には使わないけれど、派手な演出をするために使わせてもらった。

 驚き顔の夫に、紙吹雪やら飴やらが降り注ぐ。

 使用人達と共に、「お誕生日おめでとう!」と言って出迎えた。


「――これは、驚きました」


 サプライズは成功した模様。

 珍しく呆然とする夫を見て、楽しい気分になる。


 お母様にピアノ演奏をしてもらい、わたくしは夫へお誕生日の歌を贈った。

 こんなにたくさんの人の前で歌うのは初めてで、恥ずかしかったけれど、なんとか歌い切ることが出来た。


 誕生会は使用人を交え、無礼講で行われた。

 夫もお母様も、使用人達も、楽しそうにしてくれて、本当に嬉しかった。

 頑張って作ったケーキも、みんな美味しいと言ってくれる。


 娘が眠くなる時間に、パーティはお開きとなった。

 わたくしは、夫にお酒を飲まないかと誘われて、私室に移動する。


 机の上には、赤葡萄酒に焼き菓子が用意されていた。

 夫と共に星空を眺めている間、執事がグラスに注ぎ、部屋から去って行く。


 わたくしは長椅子に腰かけ、しゅわしゅわと発泡しているお酒のグラスを眺めていた。

 夫は向いの席に座らず、何故かこちらに傅くようにしゃがみ込む。

 そっとわたくしの指先を握り、口付けを落とした。


「今日は、ありがとうございました。このように楽しくも愉快な誕生日は、生まれて初めてです」

「大袈裟な人ね」

「本当ですよ」

「分かったから、座ってちょうだい」

「隣に座っても?」

「よろしくってよ」


 自分で許可を出したのに、いざ座られると、妙に緊張をしてしまう。

 妙な渇きを覚え、葡萄酒を一気に飲み干してしまった。

 空になったグラスを見て、ふと我に返る。


「……乾杯をすべきだったかしら?」

「今からでも遅くないですよ」


 夫は空になったグラスにお酒を注いでくれた。自分のグラスも手に取り、軽く掲げる。そして、一言。


「美しいあなたに」

「あなた、酔っているの?」

「酔っていますとも。ヘルミーナ様に」


 夫は酒を一口も飲んでいなかったはずだ。

 素面しらふでこんなことが言えるなんて、恐ろしい人だと思う。

 わたくしは素面ではいられないと、どんどんとグラスを空にしていく。

 あまり酔えないけれど、酒の力が必要な夜だと思った。


 それから二時間くらい経ったのか。

 すでに、今まで何を話していたか思い出せない。

 夫が楽しそうにしていたことだけは、覚えている。


 もしかしなくても、わたくしは酔っぱらっているのだろう。

 ふわふわとしていて、気分が良くなっていた。


「そろそろお開きにしましょう」

「まだ良いでしょう?」


 立ち上がろうとした夫の腕を掴み、再び座らせる。


「ご機嫌ですね、ヘルミーナ様」

「ええ、とっても」


 だって、サプライズは大成功だったし、お酒は美味しい。しかも、素敵な夫が隣に居る。

 こんなにも楽しい夜を終わらせるのは、もったいないと思った。

 それに、まだ言っていないこともある。


「お話は、明日聞きますよ」

「今、言いたいのに」

「素面の時に話して下さい」

「どうして?」


 夫は天井を仰いでいた。

 具合でも悪いのかと聞けば、そうではないと首を横に振る。


「――ああ、ヘルミーナ様が、眠ってから話すようにと私に言っていた気持ちがよく理解出来ました」

「ん?」


 早口で言っていたので、聞き取れなかった。

 まあ、いい。


「あなたに、お誕生日の贈り物を用意していたの」

「本日はもう、たくさん頂きましたが」

「要らないの?」

「いえ、ものすごく欲しいです」

「そういうの、何か分かってから言った方がいいわ」

「?」


 首を傾げる夫に、贈り物の発表をする。


「――あなたへの贈り物は、わたくしなの」

「え?」

「もらって頂けるかしら?」

「まさか、冗談でしょう!?」

「本当よ」


 腰にリボンを結んでいるでしょうと、手で示しても、夫は信じてくれなかった。

 何度も酔っぱらっているのでしょうと聞いてくる。


「ヘルミーナ様、もう一度、酔っていない時に」

「酔っていない時に、こんな馬鹿げたこと言えるわけがないじゃない」

「確かに、それは――」


 こんな時でも、夫は紳士だった。

 酔ったわたくしを今すぐにどうにかするわけではないらしい。

 感心していたが、ふと、疑問が浮かんでくる。


「もしかして、今までわたくしに言った口説き文句はサービスだったのかしら? 気がある素振りも、演技だったの?」


 国王陛下に命じられ、好きでもない女と結婚した。日々の生活が円滑になるように、嘘の愛を囁いていた。

 無理をしていたのではないのかと、気の毒に思う。

 けれど、あんまりにも熱烈に好意を示してくれたので、わたくしはすっかり騙されてしまった。


 そんなことを考えていれば、空しくて、悲しくて、涙が溢れてしまった。


「ヘルミーナ様、違うんです!」

「いいのよ。わたくしも、あなたに酷いことばかり、していたし」


 立ち上がってここから去ろうとすれば、強く腕を引かれ、長椅子に戻されてしまった。

 それから、強く体を抱き締められる。


 抗議の声をあげようとすれば、口を唇で塞がれてしまった。


 思いがけない口付けに、胸がドクリと高鳴り、全身がぞわぞわと粟立っているのを感じる。


 体はすぐに離された。


「――演技で、ここまでするとでも?」

「わ、分からないわ。だって、殿方とこういう駆け引きをしたことが、ないもの」


 夫は苦しそうな顔をしながら、深い溜息を吐いている。

 世間知らずの箱入り娘だと呆れられてしまったのだろうか?


 顔を上げれば、夫と視線が交わる。

 恥ずかしくなって逸らそうとしたけれど、頬を両手で包まれたので、それも叶わなかった。


「ヘルミーナ様」

「な、何?」


 いつになく真剣な眼差しを向ける夫。

 これから言うことを信じてくれるかと、問われる。

 嘘を言う顔に見えなかったので、頷いた。


 何を言われるのか怖くなったので、目を閉じようとしたら、夫に「異性の前で目を閉じるのはキスの合図ですよ」と言われ、しっかりと目を見開くことになった。


 緊張の面持ちで、夫の発言を待つ。

 早く言うように急かせば、ぐっと接近され、低い声で囁くように言ってくれた。


「――わたしは、あなたのことを愛しております」


 夫の前のめりな愛の告白を受け止めきれずに、体をのけ反ろうとしたけれど、しっかり頬を掴まれていたので、身じろぐことが出来なかった。


 それよりも、夫はわたくしのことを真実愛していると?


「だったら、どうして贈り物を受け取ってくれなかったのかしら?」

「酔っぱらった勢いで、なげやりになって言っていると思ったからですよ」

「……そ、そう、だったの」


 わたくしは大変な勘違いをしていた。

 全身に冷水を被った気分になり、酔いも一瞬で醒めてしまう。


「ヘルミーナ様、それで、お返事は?」

「……」


 これは、言わなければならない雰囲気だろう。

 お酒の力を借りたかったが、いまだに頬を掴まれた状態なので、身動きが取れなかった。


 仕方がないと思い、腹を括る。思いの丈を口にすることになった。


「――わたくしも、エーリヒのことが、すき」


 その刹那、夫はわたくしの体を抱き上げ、早足で移動をする。

 向かった先は隣の寝室で、寝台の上に優しく降ろされた。


「な、何をするの!?」

「贈り物を開封しようと思いまして」

「は!?」

「ありがとうございます。とても、嬉しいです」

「ちょっと待っ――」

「今まで、たくさん待ちました」


 するりと腰のリボンは解かれる。


 侍女の提案通り、「贈り物はわたくし」なんて言ってみたけれど、とんでもない状況に追い込まれた。


 こんなに大変な目に遭うなんて、聞いていない。


 でもまあ、夫が嬉しそうだったので、いいかなと思ってしまった。


 ◇◇◇


 と、こんな風にいろいろとあったけれど、娘は可愛いし、お母様も元気だし、夫も相変わらずだしで、満たされた毎日を送っていた。


 その後、子どもにも恵まれ、とても賑やかな家庭となる。


 そんなわたくしの人生は、薔薇色に輝いていた。


 『伯爵家の悪妻』 完


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