第三十四話 ご挨拶に行きましょう
エミリーの同居人と話をする。
彼女は夜遊びをしたことがなく、近隣の酒場や食堂に行って探してみたが、居なかったらしい。
朝になっても帰らないようならば、騎士団に相談に行くと言っていた。
同居人の女性が帰ったあと、わたくしは頭を抱える。
「どうしよう、わたくしが、あの記事を見せたせいで――」
「ですが、彼女に単独で乗り込まない方がいいと、ヘルミーナ様は注意していましたよね?」
「それは、したけれど」
「ならば、連れ去られた可能性も考えられます」
どちらにせよ、最悪な事態であることに変わりない。
「ヘルミーナ様のことを書いた雑誌、飛ぶように売れているそうです。なので、新たな記事を書かせるために拉致をしたのかもしれないですね」
今回、伯爵家が強めに圧力をかけているらしいけれど、取り付く島もないらしい。完全に開き直っていると。
「とまあ、このような状態ですので、今から少し出版社にご挨拶に行きませんか?」
「――え?」
「嫌ですか?」
「そう、じゃなくって」
夫の提案に驚いてしまった。
家で待っているようにとお願いされると思っていたのに、一緒に行ってもいいと言ってくれた。
「ほ、本当に、わたくしも、一緒に行ってもいいの?」
「ええ。ヘルミーナ様も物申したいことがあるでしょう?」
「まあ、そうね」
「必ずお守りしますので、ご安心を」
夫の頼もしい言葉に、思わずときめいてしまった。
熱くなった頬に手を当て、火照りを冷ましつつ、お礼を言う。
「ただし、一つだけ、条件もありますが」
「何かしら?」
夫の示す条件とは――変装をすることだった。
◇◇◇
日付も変わるような深夜。
わたくしは侍女達の手を借りて、身支度を整える。
用意されたのは、白銀の装い。
足元を守る鉄靴に、すね当て、ひざ当て、もも当てを装着。急所を守るため、分厚い作りとなっている前甲板に前当て。腕防具に肘当てと篭手、を纏う。肩甲を始めとして、肩から下も隙間なく武装した。喉元に顎当てを付け、最後に頭部全てを覆う大兜を被れば準備完了。
夫の言う変装とは、板金鎧を装備することだった。
伯爵家の者として乗り込めば外聞が悪いので、このような作戦に出る。
だが、この重たい鎧では、思うように動けない。なので、わたくしは後方支援に務めようと思い、武器庫より機械弓を持って来てもらった。
玄関で待機をしていれば、夫は銀の鬘を被って礼装を纏い、目元は仮面で覆った、懐かしの白銀の貴公子様の姿で現れた。
「申し訳ありません、準備に手間取ってしまい、お待たせを……」
「それよりも、驚いたわ」
ぎょっとしたのは優美な貴公子然とした姿を見たからではなくて、その装いに相応しくない得物を持っていたからだ。
「ねえちょっと、なんなの、それ……?」
「ご挨拶に伺うのに、普通の装備では物足りないと思いまして」
「そ、そう」
夫は戦斧を肩に担いだ姿でやって来たのだ。
それにしても、とんでもないなと思ってしまう。見惚れてしまうような貴公子の姿と、武骨な斧は不釣り合いというか、なんというか。
「――行きましょう」
「そうね」
特別なお出かけの装いで、揃って出かける。問題の出版社へと。
◇◇◇
出版社は王都の中央街にある、四階建ての立派な佇まいをしていた。
深夜だと言うのに、部屋にはいたる場所で灯りが点いている。受付があると思われる、一階部分は真っ暗だったが。
「どうやって入るの?」
「鍵を開きましょう」
そう言って、裏口に回る。
夫がポケットから取り出したのは、先端が湾曲している鉄の棒。
それを、鍵穴に差して動かしていた。
数分後、カチャリという音と共に、扉が開かれる。
「あなた、どうしてそんなことが出来るのよ」
「昔、殿下に部屋の中に籠城されたことがありましてね。さまざまな手段を以て抵抗をしてくるので、いろいろ出来るようになってしまいました」
夫を高性能に育てたのは、殿下であったと判明する。
いや、今はそんなことどうでもいい。エミリーを助けなければ。
出版社への潜入を開始する。
一階部分は人の気配はなかった。
二階に上がれば、灯りが漏れている部屋がいくつか。
耳を澄ませば、男性のうめき声のようなものが聞こえてくる。
「夜明けまでに十万文字、ウッ、無理……」
どうやら原稿を書く記者の部屋らしい。
無理難題と長時間労働を強いられているように思えた。
気の毒に思いながら、先を進む。
三階に上る。
灯りが点いている部屋では、深夜なのに話し合いが行われているようだった。
「――では、二人同時に呼び出して、そこを記事にしましょう」
「嘘ばかりは書けないですからねえ。信用問題に繋がりますから」
何やら怪しい打ち合わせをしているようだ。
この階にエミリーは居そうにないので、先に進む。
四階。
最上階となったフロアには、一部屋だけ灯りがついていた。
夫と共に、慎重な足取りで進む。
扉の前に近づけば、中から女性の声が聞こえてきた。
「こんなの、こんなの間違っています!!」
「いいからさっさと書きやがれ!」
「きゃあ!」
何かを打つような大きな音と、女性――エミリーの叫び声が聞こえた。
その刹那、夫はわたくしに目配せをして、中に居る者達の人数を手で示す。
指は四本立てられていた。エミリーは含まないらしい。
部屋から聞こえる物音を聞いただけで人数を把握するとは、とんでもない能力だと思う。
エミリーは記事を書くために誘拐されたに違いない。
だが、打たれた彼女は、暴力に屈していなかった。手を動かさずに、批判するようなことばかり言っている。
怒号が響き渡っていたが、痛めつければ使い物にならないと制止する声も聞こえた。
想像よりも悪い状況ではなかったが、どちらにせよ、早く助けなければと思った。
夫と目線で合図を交わす。
扉は鍵がかかっている状態らしい。
夫が耳元で囁いた作戦、それは、一緒に扉を蹴破ろうというものだった。
わたくしは夫の言葉に、しっかりと頷く。
扉へ、渾身の蹴りを入れる。
大きな音を立てて扉が外れ、地面に叩き付ける形になった。
扉には男が寄りかかっていたようで、一緒に転倒していた。
まずは一人、始末出来た。
想像通り、部屋には軽い武装した男達と、椅子に縛られたエミリーの姿があった。
とても、出版社の姿とは思えない。
男達は叫ぶ、何者かと。
「私達は、ただの通りすがりの一般人です」
「は、何言ってんだ、お前!?」
これに関しては、わたくしも同意する。
貴公子の装いに戦斧を持った男と、機械弓を持った板金鎧姿の二人組が、通りすがりを名乗れるわけがない。
荒ぶる男達を前に、夫はひるまずに話しかける。
「――まず、あなた方に選択肢を与えましょう。その一、エミリー・フォン・オークレールを解放し、騎士団に出頭する。その二、抵抗し、私達に倒されて、騎士団に連行される。その三、大人しく待機して、騎士団が迎えに来るのを待つ」
「どれを選んでも、騎士団に拘束されるんじゃねえか!」
男達は夫のボケ(?)に、的確な指摘を入れてくれた。
「……まずは編集長とお話をする、という選択肢もあると思うけれど。今、どこに居るのかしら?」
「編集長、お前らが扉と一緒に倒してしまったじゃねえかよ」
「まあ、この人が?」
扉の前に立っていた男が編集長だったらしい。
気を失って倒れていたので、そっと被さっていた扉を退かしてあげる。
ピンと張りつめた雰囲気は変わることなく。
夫は男達に問いかける。
「――さて、どれを選びますか?」
夫は男達に近づいて行った。
ずるずると、重い音をたてながら地面に引きずられていく戦斧は、どうしてか不気味に映った。
問いかけに答えることなく、威勢の良い者が剣を抜き、夫に斬りかかろうとする。
わたくしは即座に機械弓の弦を引き、矢を発射させる。
矢は剣に当たり、男の手から離れていった。
一応、次は体に当てると、宣言しておいた。
「――私も、斧では手加減出来ませんので」
誰かが「ヒッ!」と悲鳴をあげる。
夫はわたくしに背中を見せていたので、表情は見えなかったが、怖い顔をしているに違いないなと思った。
正直に言えば、室内で戦斧と機械弓は不利だが、男達も戦闘のプロではないのだろう。
すっかり怯え切っているように見えた。
指示を出す頭が潰れているせいもあるのかもしれない。
「両手を頭に上げて、壁に立って――」
夫が命じたその時、端に居た男が鐘のような物を鳴らす。
すると、奥の部屋からぞろぞろと、武装した者達が現われた。
今まで部屋にいた男達とは違い、鎧などを纏っている。
ここが出版社であると、信じられないような光景であった。
その様子をみて、夫は肩を震わせていた。
大丈夫なのかと、声をかけようとすれば、手にしていた戦斧を回し、近くに居た男二名をなぎ倒す。
それをきっかけに、部屋の中で乱闘が始まった。
わたくしは後方で支援をしつつ、エミリーの元へと近づいて行く。
男達はわたくし達を殺しにかかろうとしていた。
なので、容赦はしない。
放った矢は手足を貫通させ、戦闘不能に追い込んでいった。
そして、やっとのことでエミリーの元へとたどり着く。
「――ねえ、大丈夫?」
「へ、ヘルミーナさ……!」
口元に手を当て、エミリーを黙らせる。ここで正体を明かすわけにはいかないからだ。
「すみませんでした」
「いいのよ。ここへは、挨拶に来る予定だったから」
部屋の本棚は倒され、壁には穴が開き、酷い状態になっている。
倒れている男達全てに息があるのが幸いと言ったところか。
「この出版社は、無法者の集まりだったようです」
「……みたいね」
でも、喧嘩を売る相手は選んだ方がいいと思った。
武装した男達は、夫の手によって全滅させられていた。
その後、騎士団が出版社にやって来る。
どうやら夫は、執事に騎士団を呼ぶように命じていたらしい。
司令官は知り合いらしく、わたくしたちは通りすがりの一般人として処理され、行動を咎められることはなかった。夫は事情を説明するために、家に帰らなかったけれど。
翌日。
出版社の悪事がすべて書かれた新聞が届けられた。
どうやら、この辺もしっかり手を打っていたらしい。驚くべき手腕だと思う。
出版社は当然ながら、廃業に追い込まれた。
ゴシップ誌も、一冊残らず回収される。
後日、わたくしや夫の記事はでたらめだったとも報じられ、傷つけられた名誉もどうにかなりそうだった。
それから、この事件をきっかけに、エミリーとの付き合いが始まった。
彼女は王都でも歴史のある出版社に入り、真実を報じる道に進むことを決めたらしい。
危ないことはしないでと、言い聞かせることになった。
夫は相変わらず、忙しい日々を過ごしているようだった。
そんな中で夫は、久々の休みとなる。
この前交わした約束を果たすために、娘と三人で外出をする予定だった。
次回、最終話です。