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第三十話 胸がざわめく

 問題は全て解決した。

 なのに、心がざわざわとしていて落ち着かない。

 これは、悪いことが起きる前の胸騒ぎなのか、それとも夫への想いに気付いてしまったからなのか。

 傍に居た侍女に相談してみる。


「奥様、虫の知らせと恋心はまったく別物ですよ」

「どちらか分からないから聞いているんじゃないの」

「でしたら、旦那様に相談をされてはいかがでしょう」

「……会いたくないの」

「もう三日もお会いになっていないじゃないですか」


 あの日から、わたくしは夫を避けまくっていた。

 当然ながら、事件解決への感謝の気持ちはしっかりと伝えた。手紙で。


「手紙、喜んでいたんでしょう? だったらいいじゃない。向こうも仕事が忙しいようだし」

「ですが――」


 夫は任務先で無理をしていたからか、その後処理でここ数日帰りが遅い。

 明け方に帰って来る日もあったようだ。

 なので、正確に言えば夫を避けまくっているという表現は正しくない。時間が合わなくて、すれ違っているのだ。


「奥様、旦那様は今回の件でお怒りになっていないと思いますよ」

「それは分かっているの。寛大な夫で本当に良かったわ」


 本来ならば、男性との密会など許されないことなのだ。

 でも、夫はその点について、一切責めることはなかった。


 会いたくない理由はそれではない。


 わたくしは、言ってしまったのだ。夫への気持ちを、本人が背後に居るとは知らずに。

 恥ずかしいにもほどがある。

 それについて、夫が聞かなかった振りをし続けているのも、なんだか気まずいと思っていた。


 頭を抱えていたら、娘がぐずりだした。

 そろそろお乳の時間だろう。


「リーリエ、お腹が空いたの?」


 おむつではないことを確認し、小さな体を抱き上げて乳母の元へと向かう。


 ◇◇◇


 夫とすれ違いの生活が一週間と続けば、さすがになんだか悪いような気もしてくる。

 手紙の交換はしていたが、若干の物足りなさも感じていた。

 夫は娘に会いたいらしい。でも、起きている時間に帰って来られないと。

 最近の娘は夜泣きもせずに、ぐっすり眠ってくれるようになった。

 またしばらく経てば、夜泣きをする時期に突入すると乳母は言っていたけれど。


 だったら、娘を連れて、職場へ差し入れを持って行こうかしらと考える。

 久々にお菓子作りをするのも、気分転換になっていいかもしれない。


 依然として、穏やかではない胸の内は続いていた。

 もしもこれが恋心だったら、嫌すぎる。

 一向に治る気配もないので、もしかしたら夫に合えば症状が改善するかもしれないと思った。


 とりあえず、夫の元へ向かう知らせを執事に頼み、娘の世話を乳母に任せ、お菓子作りを開始する。


 時間をかけていられないので、簡単な焼き菓子に決めた。


 まずは、林檎を剥いて薄切りにし、砂糖と蜂蜜、バニラビーンズとお酒を入れて煮込む。


 侍女に鍋を頼み、わたくしは生地作りを始める。


 溶かしバターと砂糖を混ぜ、白っぽくなったら卵を入れてさらに混ぜる。その後、小麦粉とアーモンドパウダーを加え、もったりなるまでかき立てる。

 最後に、煮込んだ林檎を入れて、油を塗った型に流し込み、竈で焼けば完成。


 こういう焼き菓子は日を置いた方がしっとりとなるけれど、出来たてもそこそこ美味しい。一気にたくさん焼けるので選んだ。

 しばらく粗熱を取り、冷えたところで切り分ける。全部で五十切れほど完成した。

 これだけあれば、隊員全員に行き渡るだろう。

 シャルロッテお姉様直伝の林檎ケーキなので、きっと気に入ってくれるに違いない。

 大きな籠と小さな籠を用意し、紙に包んだケーキを詰める。夫の分には、果実汁の瓶も入れておいた。


 時間になったので侍女を従え、娘と共に騎士隊の兵舎へと向かうことになる。


 ◇◇◇


 夫が働く騎士団の兵舎は、街の郊外にある。

 ここに配属される叙勲されたばかりの騎士の大半は、実戦経験のない貴族の子息ばかりらしい。

 通常は従騎士となり、様々な任務に就いたのちに正式な騎士となるが、一部の貴族はその段階を踏まないで騎士となる。

 当然ながら実務経験がないので、一人前にはほど遠い。そんな者達を独り立ちさせるのが夫のお仕事。


 教育部隊が訓練をする敷地は広い。十の部隊が所属すると聞いていた。

 隊舎が五つあり、訓練をする広場もいくつもある。

 夫が働く建物は、敷地の端の方にあった。訪問する話が通っていたからか、迎えの騎士が入り口に来ていた。


 この前家に伝達に来てくれた騎士だった。


「ごめんなさいね、忙しい時に」

「いえいえ、とんでもないことでございます」


 騎士はお菓子が入った籠も持ってくれる。

 長い廊下を進めば、たくさんの騎士達とすれ違った。

 チラチラと、視線を感じる。


「ねえ、もしかして、面会って珍しいのかしら?」

「ええ、そうですね。多くの騎士は、教育部隊に所属していることを、家族や知り合いなどに言わないらしいので」

「変な自尊心ってやつ?」

「そうですね」


 教育部隊に所属されることを面白く思わない貴族のお坊ちゃんも多いらしい。ここではなく、きちんとした部隊に所属するように意見する新人も珍しくないと。

 この前問題を起こした新人騎士達も、そういう不満を抱えていたのかもしれないなと思った。

 なかなか大変なところで働いているのだなと、夫に同情してしまう。


 すれ違う騎士から、娘に視線を戻せば、だあだあと、何か一生懸命喋っていた。

 わたくしはもう少しでお父様のところに着くからねと、話しかける。


「お嬢様、お可愛らしいですね」

「そうでしょう?」


 侍女が押す乳母車の中の娘は、手足をパタパタと動かしていた。

 しっかりお昼寝をしてきたので、元気だった。


「この子、今日は機嫌が良いの」

「お父さんにお会い出来るのが、嬉しいのかもしれないですね」

「ええ、そうね」


 一週間ぶりの夫との顔合わせに、わたくしまでも落ち着かない気分になっていた。

 今まで感じていた胸騒ぎとは、また違う心のざわつきを覚える。


 夫が居るらしい部屋の前に到着し、騎士が扉を叩く。

 すると、「どうぞ」という返事が聞こえた。

 声を聞けば、ドクリと心臓が高鳴る。


 恋は病とは聞いていたけれど、本当のことだと身をもって感じることになった。


 騎士が扉を開いてくれる。


「ありがとう」

「いえいえ、ごゆっくり」

「あ、そのお菓子、今日作ったのだけれど、よろしかったら皆さんで召し上がって」

「そんな、奥様手ずからのお菓子を頂けるなんて、光栄です」


 騎士は深々と頭を下げ、部屋には入らずに去って行った。

 置き去りにされたわたくしは中に入る。

 乳母車を押す侍女もあとに続いた。


 夫は、居た。

 部屋の真ん中に立ち、入って来たわたくしを見ている。


「ごきげんよう」

「ヘルミーナ様、リーリエ!」


 夫は早足でサクサクと歩いて来て、蕩けそうな笑顔で娘の顔を覗き込む。

 宝物を扱うような手つきで抱き上げ、頬を寄せていた。


「ここ最近、大変深刻なリーリエ不足でした。ヘルミーナ様、ありがとうございます」

「いいえ、よろしくってよ」


 リーリエを抱いたまま、夫は長椅子に腰かける。わたくしも対面する位置に座った。

 侍女から小さな籠を受け取り、夫に差し出す。


「これは?」

「差し入れよ」

「ありがとうございます」

「お口に合えばいいけれど」

「もしかして、手作りでしょうか?」

「ええ、そう」


 夫は嬉しそうにしていた。

 とりあえず、喜んでくれたので一安心する。


 ふと、夫の顔をよくよく見れば、目の下に濃いクマが浮かんでいた。

 隣国での任務を早めに終わらせたことは、やはりいろんな面において無理があったのか。気の毒に思う。


「大丈夫なの?」

「ええ、そうですね」


 ここで、最近忙しいのは前回の騒ぎの件でないことが発覚する。

 夫は詳しく語らなかったが、また新しい問題が浮上していたようだ。


「そういうわけですので、どうかお気になさらずに」

「いえ、どちらにせよ、気にはなるけれど」


 仕事はほどほどにして、しっかりと睡眠は取って欲しいなと思った。


「でも、リーリエを抱きしめたら回復しました」

「確かにそれは癒されるけれど、根本的な解決にはなっていないわ」

「そんなことないですよ」


 夫は立ち上がる。

 どうやら娘は眠ってしまったみたいだ。

 乳母車に寝かせ、侍女に世話を頼む。


「少しだけ、散歩に行きませんか?」

「ええ、いいけれど」


 外に出て気分転換をしたいらしい。

 林檎のケーキと果実汁が入った籠を持って、部屋を出る。


 教育部隊の敷地内の施設の数々は、貴族専用とあってそこそこ立派な物に見える。

 隊舎の庭も騎士団にあるとは思えないほど、綺麗に整えられていた。


 白い花が咲いた庭園を、夫と並んで歩く。


「ヘルミーナ様、今日は本当に嬉しかったです」

「それは良かったわ」

「会いに来てくれるだけでも嬉しいのに、手作りのお菓子まで作ってきてくれるなんて」

「まあ、みんなに作ったから、そこまで手の込んだ物ではないけれど」

「皆に?」


 突然ぴたりと歩みを止める夫。

 わたくしは振り返り、隊員全員にケーキを持って来たことを告げる。


「直接訪問するのに、あなただけにってわけにもいかないでしょう?」

「……左様でございましたか」


 もしかして、他の隊員に渡したのが気に入らなかったのか。

 何を考えているのか、まったく想像出来ない。


「……ヘルミーナ様」

「な、何?」

「……抱き締めてもいいですか?」

「は、はあ!? あなた、職場で何を言っているの?」

「大丈夫です。ここは誰も来ません」


 娘を抱くのとはわけが違う。

 誰も来ないと言っても、どこに他人の目があるとも分からないのだ。


 ふと、夫の顔を見て、ぎょっとする。

 なんだかやばい顔つきになっていた。


「ならば、家だったら、良いと?」

「ちょっと、待って。あなた、目が血走って――」


 ふいに、夫がわたくしに手を伸ばしたので、ひらりと回避する。


「ねえ、ちょっと眠ってから話をしない?」

「……どうしてですか?」

「か、顔が怖いのよ!」


 そんなことないと言って微笑む夫の顔は――やっぱり危ない雰囲気だった。


「大丈夫です、ヘルミーナ様を、抱きしめれば治ります」

「だから、そんなことないんだってば!」

「やってみないと分からないでしょう」


 じりじりと追い詰められ、わたくしはついに回れ右をして走り出す。


 夫があとを追って来ているのが分かった。

 わたくしは大声で背後に居る夫へ抗議する。


「な、なんで、追い駆けて来るのよ!!」

「……狩猟本能、でしょうか?」

「人間に、そんなものは備わっていないのよ!!」


 何故か、騎士団の庭園で全力疾走をするはめになる。


 どうしてこうなった。


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