第二十七話 最終決戦
朝、侍女に声をかけられて起きる。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、わたくしは目を細めた。
侍女の手渡す目覚めの渋い紅茶を一口飲み、パチパチと何度か瞬きをすれば、はっきりと覚醒する。
「……おはよう」
「おはようございます、奥様。珍しいですね」
「ええ、なんだか疲れていたみたい」
「慣れない装いで出かけましたから」
「そう、だったわね」
昨日装備した板金鎧のおかげで、全身筋肉痛だった。起き上がるのにも苦労をする。
「リーリエは?」
「乳母とお散歩に」
「そう、もうそんな時間だったのね」
朝の日課である娘の散歩時間もとっくに過ぎていた。雨の日を除いて毎日欠かさず行っていたのに、情けないと大きな溜息をついてしまう。
今日も、あの男の元へと行く予定があるので、朝食を食べたら準備をしなければならない。朝からますます憂鬱になった。
「薔薇の蕾も見に行きたいけれど、時間がなさそうね」
「庭師に報告するよう、命じておきます」
「お願い」
侍女に本日の装いはどうするかと聞かれ、全て赤い物で揃えるように頼んだ。
赤は闘争や破壊を意味する色合いがあり、恰好から敵対心を感じ取って欲しいと思って選んだ。
朝食後、更衣室に行けば、侍女が赤いドレスや装飾品などを用意していた。
「奥様、こちらの品々でよろしいでしょうか?」
「そうね」
本日の装いの品の中には、新婚旅行の時に夫が贈ってくれた珊瑚の薔薇飾りもあった。今日はこれをお守り替わりにしようと思う。いつの間にか、夫に関わりある品は魔除け扱いになっていた。
赤いドレスに赤い薔薇の髪飾り、赤い宝石に、赤い靴を纏う。
髪の毛はきっちりと緩みなく集め、三つ編みにして後頭部で纏めた。珊瑚の髪飾りで留める。
化粧もどぎつく見えるよう、濃く施すように命じた。
瞼の周囲は黒く縁取り、上瞼には紫色のアイシャドーを、唇には真っ赤な紅を差した。
身支度が整った自らの姿を全身鏡で見て、完璧だと思う。
今日のわたくしは、古い童話に出て来る悪い魔女のようにしか見えなかった。
「素晴らしい武装だわ」
「ええ、奥様。とてもお強そうに見えます」
「そうでなくては」
今日も負けられない戦いが始まる。
気合を入れて出かけることにした。
◇◇◇
待ち合わせは昨日と同じ喫茶店。
店内に入れば、店主が「いらっしゃいませ」と笑顔で迎えてくれる。
真昼間から派手な恰好で来たわたくしを見ても、欠片も驚いた様子を見せていなかった。
まあ、板金鎧に比べたら、地味な装いかもしれないけれど。
例の男は既に来ているようだった。教えてもらった席に向かう。
「ごきげんよう」
「ああ――……!?」
真っ赤な装いのわたくしを見て、ぎょっとした表情をする馬鹿男。
今日も驚かせることに成功したようだ。
席に座ってコーヒーを注文する。
こちらをじっと見て、目が合えば逸らす男。
今日は挙動不審で、緊張をしているように見える。一体どうしたものなのか。
早く家に帰りたかったので、用件を問いただした。
「今日は何用で?」
「お前、その、食事は――」
「お食事? ここに来る前に済ませてきたけれど」
「!?」
私の返答を聞いて、驚いた顔をする男。
お腹が空いていたのか。今から食事に行くつもりだったらしい。
「ここ、軽食もあるみたいだけど?」
「……いや、いい」
何故か頭を抱えつつ、答えていた。
「それで、本題に移って頂けないかしら? 昨日も言ったけれど、わたくし忙しいの。娘と過ごす時間も最近少なくなっているし、夫の誕生会の準備もあるし――」
「誕生会?」
「ええ。日頃の感謝を込めて、盛大にやろうと思っているの」
男は「子どもじゃあるまいし」と吐き捨てる。
確かに、大人の誕生会などあまり聞かない。でも、わたくしの誕生日は、家族が毎年パーティを開いてくれた。子どもの頃、それが楽しみで仕方がなかったのを覚えている。
「いいじゃない。きっと、夫は喜んでくれると思うわ」
「まるでままごとだな」
「なんですって!?」、という言葉を寸前で呑み込む。この男の前で感情的になるわけにはいかなかった。
そんなわたくしを男は追い詰める。
「なあ、お前らって、仮面夫婦だろう? 偽装結婚とでも言えばいいのか?」
「……何故、そう思うの?」
「結婚後に子どもを引き取るなんて、そうですと主張しているようなものだろう」
それについては否定出来ない。
娘を引き取ったきっかけは、養子を迎えたら夫の子どもを産まなくていいと思ったからだった。
「別に、今はそうとは思っていないわ。子どもだって、夫が望めば――」
口にしたあとで、何を言っているのかと恥ずかしくなる。
でも、娘に妹か弟が居ればいいなと思わないこともない。わたくしはお姉様達に囲まれて本当に幸せだったので、娘もそうであればいいなと、最近になって考えたりもする。
その話を聞いた男は、とんでもないことを言ってきた。
「お前、旦那に唆されているんじゃないだろうな?」
「はあ?」
「あのエーリヒ・フォン・ヴェイマールに惚れるなんて、ありえない」
「何を言っているのかしら?」
「だって、あいつ、いろんな場所で女と噂になって、隠し子だって居るだらしない男だ。好きになる要素なんてまったくないだろう? やっぱり、お前たちは別れるべきだ」
勝手な物言いにムッとする。
惚れた腫れたはいいとして、夫への侮辱は許されないことだ。
けれど、言い返す言葉は一つも見つからない。
「お前は箱入り娘だから、何も知らなくて、言いなりになってしまうんだ」
「言いなりになんてなっていないわ」
「なっている」
「なっていない」
わたくしと男の間に、ひやりと冷たい空気が流れているような気がした。
けれど、ふと疑問に思う。
どうしてこの人は、わたくしを気にすることばかり言うのかと。
「ねえ――」
「俺にしておけ」
「はあ?」
「腹黒女好きの旦那より、マシだろう」
やっとのことで気付く。
この男はわたくしのことが好きで、脅すようなことを言ってきたのかと。
馬鹿馬鹿しくなって、はあと大きな溜息を吐いてしまった。
「せっかくだけれど、お断りよ」
「なんだ、やっぱり旦那に惚れているんだな」
「……それを、あなたに答える義務はないわ」
「あいつのどこを好きになるんだか」
夫は変なところもあるけれど、基本的には真面目で、仕事人間だ。
休みの日は趣味に付き合ってくれるし、娘も可愛がってくれる。
振り返ってみれば、わたくしにとって、夫は過ぎた人なのかもしれない。今になってそう思う。
「――もしも、あなたと結婚したとして」
「!」
「片道三時間の山歩きに付き合ってくれる?」
「なんだ、それ?」
「趣味なの」
「山に行く意味が分からない」
「自然に触れていると、癒されるでしょう?」
そんなことを話せば、ポカンとした顔を見せる男。
「だったら、遠乗りでもいいわ。剣の打ち合いでも」
「いや、女は家で大人しくしていろよ」
「古臭い考えなのね」
「いや、お前がおかしいのだろう」
そう、わたくしはおかしい。否定出来ない言葉だった。
普通の女性とは感覚がまるで違うのだろう。結婚してから気付いたことだけど。
けれど、夫は嫌な顔をせずに付き合ってくれる。
それどころか、わたくしのすることを一緒に楽しんでくれるようにも見えていた。
わたくしはそんな夫の事を――……。
「娘は旦那に押し付ければいい」
「なんですって!?」
「あの男は王子の教育係だった。うっかり子どもを作ってしまった件については、あいつの責任だ。しっかりと面倒を見るのも義務――」
わたくしは言葉を最後まで聞かないうちに立ち上がり、男の元に回り込むと、頬を思いっきり叩いた。
男は頬を押さえ、びっくり顔で見上げてくる。
「な、何を!!」
「あなたは最低最悪な人ね」
「どうしてそうなる!?」
「言っておくけれど、脅しをして、誰かの心を掴むことなんて出来ないんだから」
そのまま踵を返して帰ろうとすれば、相手も立ち上がって腕を引いてくる。
わたくしは振り返って手を振り解こうとしたけれど、力が強くて失敗した。
「ねえ、放して」
「待て、話を聞け!」
「あなたと話すことなんて、何もないわ」
「だったら、秘密を暴露する!」
「その時はあなたを斬るから」
なんとか距離を取ろうと頑張るけれど、男の人には力では勝てないと痛感してしまった。
でも、諦めるわけにはいかないと、足を思いっきり踏みつけた。
「い、痛ってえ、この、じゃじゃ馬娘が!」
「放しなさい、意気地なし粘着男!」
「なんだと!!」
わたくし達は子どものように、低レベルな言い争いをする。
「考え直せ、今なら間に合う」
「何を言っているのかしら?」
「俺は、お前を大切に、する!」
「この状況で、よくもそんな説得力のない言葉が、言えるものね!」
「旦那と比較して、だ。今の状況は、含まない!」
ぐっと足元に力を入れても、革靴を履いた男に致命傷を与えることは出来なかった。
悔しくって、顔を歪める。
「だから、旦那と別れて、俺と結婚しろ!」
「絶対に嫌!」
「なんでだよ!」
「あなたのことは大嫌いだし、何よりも、わたくしは、夫のことが――好きなの!」
はたりと、男の動きが止まる。
強く掴んでいた力も弱まったので、急いで振り払った。
男は呆然としていた。
あまりにも間抜けな顔をしているので、気は確かなのかと聞いてみる。
すると、すっとわたくしの方を指差した。
「わたくしが、何?」
「いや、う、後ろに――」
「後ろ?」
指はわたくしではなく、その後ろにあるものを示していたらしい。
一体何がと振り返れば、そこにはここに居るはずもない――
満面の笑みを浮かべる夫が立っていた。
わたくしは、思わず大きな悲鳴をあげてしまった。




