第二十六話 心を武装して。
その日の晩はぐるぐると考えごとをしていて、眠ることが出来なかった。
あんなにも時間を費やしたのに、答えは出ていない。
当然ながら、相手の言う条件を呑むなんてことは以ての外。脅しに屈してはいけない。
けれど、娘の出生について明るみになれば、王室の醜聞となってしまう。それはあってはならないことだった。
とりあえず、この件に関してはまだ、他の人に相談すべきではないと思った。小さな範囲で情報を共有し、解決するのが一番だろう。
まず、最初に頼るべき相手は夫。彼ならば、何か良い策を思いつくような気がする。
十日間、隣国で奉仕活動をすると言っていたけれど、あの男に答えを出すように言われていたのは一週間後。
わたくしに出来ることと言えば、たった一つだけ。
どうにかして、夫が帰って来るまでに答えを出すのを引き延ばすようお願いをするのだ。
当然ながら、離縁するつもりなんてない。
夫との結婚は、お父様の意志を引き継いだ伯父様が繋いでくれた縁。生涯大切にしたいと思っている。
それにしても、なんであの男はわたくしに離縁を迫ったのか。全く理解出来ない。
はあ、と大きな溜息。
そもそも、十日も不在だったら夫の誕生会も出来なくなる。
見知らぬ地で一人、誕生日を過ごていることを考えたら、可哀想になってしまった。
まあ、これに関しては別の日に行った方がサプライズになるかなと思ったりもする。
夫の誕生会は問題が解決してから考えることにした。
二日後。
隣国に居る夫より手紙が届く。今日ほど夫からの連絡が嬉しかった日はないだろう。
開封してみれば、急な出張になったことへの謝罪の言葉と、差し入れのお礼と、帰って来る日について、それから、薄い包みが入っていた。
開封してみれば、カードと薔薇の種が入っていた。どうやら隣国産の特別な薔薇の種らしい。
異国の植物など、送っても大丈夫なのだろうかと思っていたら、裏に「税関許可済品」という印鑑が押してある。やはり、夫は抜かりない人だった。
カードには「とても綺麗な薔薇の花が咲くそうですよ。帰ったら一緒に植えましょう」と書いてあった。
その言葉に、勇気づけられる。
わたくしは夫と薔薇の種まきをする日まで、頑張らなければならない。うじうじしている暇はないと思った。
そもそも、あんな男の脅しに屈するなんてありえないこと。
娘の世話に、夫の誕生会の準備、社交界のお付き合い、伯爵家の嫁としての務めなど、することは山のようにあるのだ。
種から育てる薔薇の花についても調べなければならない。きっと、難しいのだろう。あとで、庭師に話を聞きに行こうと思った。
夜になれば、夫への手紙の返事を書き始める。
無理をするなということに加え、薔薇の種のお礼も付け足しておく。
最後に、「あなたがいないとなんだか寂しいです、早く会いたい」と書いた。
便せんを折り曲げ、封筒に入れる。蝋燭を傾け、蝋を手紙の封をする部分に垂らし、伯爵家の紋章を押して固めた。
手紙を執事に渡し、夕食を摂る。
お母様もお友達と旅行に行って不在なので、一人で黙々と食べるだけの時間となってしまった。
食後の紅茶を啜っている最中、ふと我に返る。
夫の手紙にとんでもないことを書いたような気がしてならない。
必死になって内容を思い出そうとする。
「……!?」
なんか、寂しいとか、早く会いたいとか書いた気が―?
「き、気のせいじゃない!! なんてことを!!」
わたくしが大きな声を出したので、デザートである生クリームと苺たっぷりのケーキを切り分けていた侍女の肩がびくりと震える。
だが、そんなことを気にしている場合ではない。
侍女にまた戻って来ると言い残し、執事の執務室へと走って向かった。
ノックもせずに扉を開けば、鼻に眼鏡をかけて書類仕事をする執事の姿があった。
「おや、奥様――?」
「手紙! さっきの、返して!」
あの手紙には、無意識のうちに書いた恥ずかしい言葉が書いてある。あんな言葉、夫に読ませるわけにはいかない。
手を差し出せば、困った顔をする執事。
「も、もしかして、出した?」
「はい、さきほど、隣国行きの馬車が出る時間に合わせて……」
わたくしはその場で膝から崩れ落ちた。
執事が心配して駆け寄ってくれたが、「大したことではなくってよ」、と言っておいた。
声が震えていたので、説得力はまったくなかったが。
なんとなく、夫からの返事が怖いような気がしていたけれど、数日経っても手紙が届くことはなかった。
それはそれで寂しいような気がしたけれど、今はあの男の呼び出しに集中しなくてはならないと思った。
そして迎えた、呼び出しの日。すがすがしいほどの晴れの日だった。
庭の薔薇の蕾も春の温かさに膨らんでいることだろう。
さっそく、朝から気合を入れて準備をする。わたくしは前回以上の武装をすると決めていた。
時間をかけて選んだのは、お父様のコレクションの一つである、板金鎧。
侍女の手を借りて、着込んでいく。
まずは足元から。
鉄靴を履く。これは板金鎧に付いていたものでは寸法が合わなかったんので、持っていた物を合わせた。
他の合わない部位は、布を巻いて着込む。
すね当て、ひざ当て、もも当てと、足元を守る装備を身に付けていった。これだけでも結構な重量となる。
ドレスの下に纏う矯正下着とどちらが辛いか、迷ってしまう。
それから、前甲板に前当てという、胴と胸元を守る防具を身に付た。
両腕には、腕防具に肘当てと篭手を装備。
肩には肩甲と補強版を着ける。
喉元は顎当てを付け、最後に頭部全てを覆う大兜を被れば準備完了。
全身鏡で確認をすれば、問題ないように見えた。
五人がかりで行ったけれど、侍女達は皆慣れていないからか、酷く疲れているように見えた。
そんな彼女らに、感謝と労いの言葉をかける。
身支度が終われば、どこまで立ち回れるかの動作確認を行う。
剣を振ったり、地面で受け身を取ってみたり、走ったり。
まあ、基本的な動きは問題ないように思えた。今日は防衛戦なので、これで良しとする。
時間が近づいてきたので、馬車で向かうことにした。
喫茶店の店主には事前に許可を得ていた。
「今度、おたくのお店に板金鎧で来店したいのだけれど」と問い合わせれば、「いつでもお待ち申し上げております」という回答があった。
――この店の店主、なかなか出来る、と思った瞬間である。
店主の男は板金鎧姿で入ってきたわたくしに驚きもせずに「いらっしゃいませ」と言って迎えてくれた。奥の席で連れの男が待っているとも教えてくれる。
お礼を言って教えてもらった席まで移動した。
馬鹿男こと、イグナーツ・フォン・サイネークはこちらに背を向けて座っていた。
気配を殺して近づいたのに、板金鎧がガチャガチャ鳴るものだから、相手に気付かれてしまう。
「――だ、誰だ、お前!?」
「ごきげんよう。わたくしよ」
「お前か!!」
どうやら驚かせることには成功したらしい。
それにしても、あの間抜けな顔!
頑張って着てきた甲斐があったというものだ。
席に座って店主を呼び、コーヒーを二つ注文する。
今回は運ばれてきてから、話を始めることにした。
「お前、なんだよ、その恰好は」
「今日は板金鎧な気分だったから」
「気分でドレスを選ぶような物言いをすんなよ……」
だって、顔を見られたくないし。
お守り代わりの夫の剣を杖のようにして両手で支えながら、平然とした様子を見せていたが、内心は穏やかではない。
額や手にはじっとりと汗が浮かんでいる。
まあ、板金鎧の中が熱いだけかもしれないけれど。
「で、答えは決まったのか――と聞くまでもないか」
「ええ、というよりは、保留にして欲しいの」
「ほう?」
「もうちょっと考えたいわ」
「その間、黙っておけと?」
「ええ」
「無償で、とは言わないよな?」
「そう言うと思っていたわ。何がお望みかしら?」
どんな返答がくるのか、ドキドキしながら待つ。
相手がどんなことを言ってくるのか、まったく想像がつかなかった。
男はこちらを真面目な顔でじっと見て、要求を口にする。
「――明日、暇か?」
「いいえ、忙しいけれど」
わたくしの言葉を最後に、会話が途切れる。
男は眉間に皺を寄せ、顔色を悪くしていた。汗も額に玉となって浮かんでいる。
「ねえあなた、大丈夫なの? 顔色が――」
ハンカチを貸してあげようと思い。取り出そうとしたけれど、鎧の内側にあるポケットに入れていたので、すぐに取り出せなかった。脱がないといけないので、すぐさま諦める。
「それにしても、明日って、お仕事に行かなくてもいいの?」
「異動前の休暇なんだよ」
「ふうん、そうなの」
すぐに調子を取り戻した男はわたくしに命じる。いいから明日、ここに来いと。
来て何をするのかと聞いても、答えてくれなかった。
でもまあ、来るだけで黙っておいてくれるのならば、従うしかない。
「……分かったわ。来ればいいんでしょう?」
「変な恰好はして来るなよ」
「変なって?」
「男の恰好とか、その鎧とか」
「だったら、使用人の服でも借りてこようかしら」
「そ、それもダメだ! この前みたいな、ドレス姿で来い!」
どうやらめかし込んでくるように言いたいらしい。
面倒な男だと思う。
「ドレスを来て、明日、ここに来る。これでいい?」
「ああ、破ったら承知しないからな」
「はいはい」
わたくしは立ち上がって帰ろうとする。
「ま、待て」
「何?」
「顔を、見せろ」
「嫌」
――全部が全部言いなりになるとは思わないで欲しい。
そう言いたいけれどぐっと我慢して、忙しいからと言って店をあとにした。
 




